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3|シャーロット
彼女も、仕書だ。詩音はそう直感した。
膝丈のワンピースは、斯人のジャケットやスラックスと同じ、暗いモスグリーンだった。大きな襟はやはりセーラーカラーのように後ろに垂れ、燕尾服のテールのように切れ込みが入っている。胸元には臙脂のリボンタイが結ばれ、短冊形の栞が揺れる。
ワンピースの上にはフリルたっぷりのエプロンがかけられており、半袖からのぞいた腕には純白の長手袋。さらに、頭部には同じく真っ白なホワイトブリムが飾られている。いわゆるメイドのような衣装だ。
少しウェーブがかった長い金髪をツインテールにした少女は、笑顔の花を咲かせ、愛らしい声で挨拶した。
「こんばんは、かくと。ご機嫌いかがかしら」
「チャーリー……!」
斯人が驚いたように呼び掛ける。それが嬉しかったのか、少女は一層華やかに笑って、スキップするように階段を下りてきた。白人の割に小柄な彼女は、斯人のそばに歩み寄ると、ネイティブさながらの流暢な日本語で話しかけた。
「よかった、元気そうで。協会から聞いたのよ、かくとが加護の一部を失ったって。大丈夫?」
「非常に非常に不便な体に戻りましたが、大丈夫ですよ」
「ごめんってば」
やや棘のある言い方に、詩音が思わず謝ると、チャーリーと呼ばれた少女が不思議そうに彼女を見た。
「もしかして、この子が?」
「ええ、僕を解放した人間、白柳寺詩音です」
「よろしくお願いします、えっと……」
「シャーロット・ボドリーよ。よろしくね、しおん」
ぺこりとお辞儀した詩音に、シャーロットは優雅なカーテシーで応じた。
「チャーリーはイギリスの書寂館にあたる、アフターライブラリの仕書です。通称『ボドリーの仕書』」
「ボドリーの仕書!」
大英図書館に次ぐ規模の大図書館、ボドリアン図書館の館長をなぞらえた粋な愛称に、詩音は目を輝かせた。
「チャーリー、詩音は司書を目指しているそうで、図書館については中途半端に詳しいんです。妙なところに食いつくかもしれません」
「中途半端って言わないのー!」
両手を振り上げて怒る詩音を脇に寄せるように手をひらひらと振り、
「それより、何かご用でしたか?」
「様子を見たかったし、確かに用もあるんだけど……その前に」
シャーロットはじっと斯人を見つめた。
「かくと、どこか調子悪いの? 顔色がよくないわ」
「えっ」
声を上げたのは詩音だ。そう言われてみると、張り詰めたように、少し表情が硬い。
「悪いとすれば……これでしょうか。さっきアヤメに噛まれたんです」
斯人がジャケットを脱ぎ、シャツの右袖をまくった。あらわになった白い肌には、黒ずんだあざのような歯型がついていた。詩音はたまらず小さな悲鳴を上げる。
「大変! かくと、どうして早く言わないの!」
「寝たら治りますから」
「何日かかると思ってるの! それに……いいえ、とにかく早く治療しないと。ソファに座ってて」
「いいですよ、それより用件は……」
「いーいーかーらーっ!」
シャーロットにドンと押され、斯人は後ろのソファに背中からダイブした。
「乱暴な……」
「シャーロット、力持ちだね」
「ふふ、仕書に限らず、司書は力持ちじゃなきゃ務まらないのよ。しおん、あたしは準備してくるから、かくとが逃げないように見張ってて」
「はーい」
二階へ駆けあがるシャーロットを見送りながら、詩音はふと首をかしげた。
「あれ、シャーロットってイギリスの仕書だよね。どうして日本にいるの?」
「今頃気づいたんですか。各国の書寂館というのは、簡単に行き来できるようになっているんですよ。連携しやすいように。二階の奥に、彼此の扉と同様の大扉があります。渡りの扉と呼ばれるそれで通じているんです」
「じゃあ、ドアの向こうはイギリスなんだ!」
「イギリスだろうとドイツだろうと、どこへでも行けますよ。僕は軟禁されていたころも、書寂館同士の出入りは許されていたので、何度も行ったことがあります」
「すごい……!」
そうこうしているうちに、シャーロットが戻ってきた。おしゃれなティーポットとカップ、淡いピンクの液体が入った小さなアトマイザーを銀の盆にのせ、それらが揺れないよう巧みに駆け寄ってくる。
「書寂館にそんな食器あったっけ……」
「渡りの扉については聞いた? さっきイギリスに帰って持ってきたのよ。しおん、そこの小さいテーブル、こっちに持ってきてくれる?」
言われたとおりに詩音がソファのそばに一人用の丸テーブルを持ってくると、シャーロットはそこに盆を置いた。まず、アトマイザーを手にする。
「腕出して」
斯人がしぶしぶ腕を出すと、シャーロットはハンカチをあてがいながら、消毒するようにアトマイザーの中身を吹きかけた。すると、見る見るうちにあざが消えていく。
「これって、霊力的な何かの術?」
「チャーリーの能力は、香りに効果を宿すことです。僕が読んだものを完璧に覚えられたり、飲まず食わずだったりしたのと同様に、アフターライブラリからもたらされた加護なんです」
「厳密には、香りのある植物、だけどね。はい、これ、飲むほう。体内まで穢れが入ってたら大変だから」
ポットからお茶を注ぎ、カップを斯人に差し出す。中身は紅茶のようだ。
「紅茶とか、香水とか、そういうので術を使うってこと?」
「ええ。でも、一番得意なのはポプリなの」
シャーロットはそう言うと、指をパチンと鳴らして、人差し指の上に赤いポプリを浮かべた。手品のような技に、詩音は小さく拍手する。
「かくと、これをそばにおいて寝ることね。これで完璧!」
「どうも」
斯人はポプリを受け取った。シャーロットが照れたように笑う。ただの同僚とは思えない睦まじさだ。
「二人は仲がいいんだね。斯人くんはニックネームで呼んでるし。仕書同士はみんなそうなの?」
「いいえ、全く」
斯人があっさりと否定した。
「僕たちのような若い仕書は、協会でもナメられがちですので、仲よくとはいきません。もちろん、全員と不仲というわけではありませんが、関係はドライと考えてください」
「協会?」
「世界各国の仕書たちで構成された組織よ。あたしたちの収入はここから来ているの」
「協会の財源は? 普通の人たちには秘密なんでしょ?」
「仕書がらみではない、表向きの仕事で稼いでいるわ」
どの国にも書寂館があり、仕書が存在する。想像すると夢が広がる詩音だが、彼らが斯人たちとはさほど懇意ではないと考えると、それもしぼんでしまう。
「シャーロットと斯人くんは、子供同士だから仲よくなった……ってことね」
「いいえ、それだけじゃないわ!」
シャーロットは目をキラキラさせて語りだした。斯人が「また始まった……」と漏らす。
「あれは初めて協会の総会に行った時のことよ。みんな、あたしみたいな幼い仕書なんて、って鼻で笑って。あげく、イギリス英語なんて気取ってる、ってバカにして、聞き取りにくいアメリカ英語で話し出すの!」
各国から仕書が集まる総会の公用語は英語らしい。
「そうやって嘲笑されていたとき、かくとがやってきたの。そして、涼しい顔をして、流暢なイギリス英語であたしに話しかけてくれたの! 周りの大人たちは、『こいつも気取ってる』みたいなことを言ってたわ。そしたら、かくとってば、何て言ったと思う? 『合わせてほしければ合わせますよ』って、今度はアメリカ英語で言い放ったのよ!」
「うわー……斯人くん、当時からそんなだったんだ……」
「余計なお世話です」
「もう、あたし、感動しちゃって……それが、あたしたちのドラマチックな出会い!」
シャーロットは赤く染まった頬に手を当て、体をよじって、胸に沸くときめきを制していた。
「でも、シャーロットの日本語もうまいし、英語が話せるなんて、斯人くんもすごいね」
「そりゃそうよ、だって、かくとは……」
「チャーリー、世間話はそれくらいにしてください。本命の用は何だったんです。僕もう眠いんですが」
斯人が小さくあくびをして見せると、シャーロットは「そうね」と時計を見て、
「あたしも開館しなきゃだし、出直すわ。今来たのは、アポを取るためだけだから」
「開館? アフターライブラリは朝から開いているの?」
「イギリス時間で夜九時からよ。時差があるもの」
「あ、そっか」
「アポを取るなら電話でいいのでは……。留守電に入れておいてくれれば確認しましたのに」
「細かいことはいいのっ。アヤメの穢れを早めに祓えたんだから、結果オーライ。じゃあ、また十時ごろ来るわね。しおんも、いったん帰ったほうがいいんじゃなくて?」
「そうだね」
シャーロットはふわりとカーテシーでお辞儀すると、盆を持って軽やかに二階へ上がっていった。彼女の姿が見えなくなるまで見送ると、
「じゃあ、わたしも……」
斯人を振り向いて、詩音はぱっと口を押えた。ソファの上で、ポプリを抱いたまま、斯人はもう眠りの世界に入っていた。
「……朝ご飯の用意して来るから、またあとでね」
詩音はそうささやいて、静かに書寂館を後にした。
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