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詩音は自室で、クッションを抱きながら仏頂面を浮かべていた。
結局、図書館での一件で毒気を抜かれた詩音は、素直に帰宅した。案の定、父は不安の海で溺死しそうになっていて、詩音は少し罪悪感を覚えたものだ。それからは、進路の話題は暗黙の箱に閉じ込めて、いつも通りに過ごすこと丸一日、現在午後五時四十五分。
「やっぱり気になるなぁ、あの図書館……」
春休みの暇に飽かせて、詩音はずっと山林の奥の不思議な図書館について考えていた。辺鄙な場所に立つ、ほぼ無人の書の宝庫。そして、あの慇懃ながら高圧的な態度の少年。
「内密に、か……。もしかして、何か秘密がある……?」
思い立ったが吉日、とすぐさま着替えて、母に断りを入れると、詩音は暮れだした森の中、バロックの館を目指した。行きは遮二無二走っていたため、往路の道筋は覚えていないが、帰りは冷静だったのでルートは大体わかる。しばらく進んでいた詩音は、歩を止めて辺りを見回した。
「この辺だと思ったんだけど……ないなぁ。まさか幻だったなんてこと……あっ、あれって」
近くの木の枝に、前回も見かけたフクロウらしき白い鳥が止まっていた。高さにして五十センチメートルを超えそうな大型のそれは、黄金色のどんぐり眼で詩音を見つめ返すと、突然翼を大きく開いた。思わず詩音は一歩退く。彼女の前を滑空し、紙飛行機のような姿は右ななめ奥へと飛び去っていった。その方向に灯る温かい光に気づいて、詩音は安堵の息を漏らす。どうやら、幻想などではなかったようだ。詩音は窓明かりへ向かって走り出した。
薄暗闇の中、どっしりと腰を据える図書館は、昼間とはまた違った趣を見せた。眠らない聖堂、というキャッチを思い浮かべてから、午後六時を過ぎてもまだ開館している事実に感心した。この辺りの市立図書館はもう床に就いている時間だ。
ドアノブを握ると、思考が額を横切るように駆けていく。昨日の少年はいるだろうか、また追い返されるだろうか、いや、いたとしても入る、そしてこの図書館の秘密を聞くのだ。彼らが走り去った後、よし、と詩音はドアを押し開けた。
中に入った詩音は、今度こそ幻覚を疑った。昨日とは全く様相が違うのだ。
書架の前では老若男女が品定めをし、ソファでゆったりと読書にふける人もいる。本を出し入れする小さな音、抑えられた話し声、めくられたページのため息。活気に満ち溢れた、静かににぎやかな図書館がそこにあった。
「なんだ……利用者、いるんじゃない」
自然と笑みを浮かべながら、詩音は昨日お預けを食らった右側の書架のほうへ歩き――すぐに、立ち止まった。ひどい違和感だった。こんなにもたくさん人がいるのに、まるで存在しているのは自分一人だけのような感覚。
その原因はすぐに分かった。足音だ。短い芝のようなカーペットを踏む音が、一つ分しか聞こえない。当たり前だ、見渡せば誰も彼も、足を動かして歩いてなどいない。床をすべるように移動し、無重力のような軽やかすぎる動きで椅子に座る。
これこそ幻影か。この世のものとは思えない光景に、しかし詩音は首を振る。彼らは、確かにそこに存在している。虚像などではない。かといって、この世のものと認めたわけでもない。それは、きっと。
「あなたは――!」
足音がした。暗色に身を包んだあの少年が、焦燥した様子で詩音のほうへと歩み寄ってくる。
「なぜ、またここに……」
「ねえ、ここってもしかして」
少年の言葉を遮っておきながら、詩音はそれを口にするのをためらった。いくら大胆不敵な彼女でも、認めるのには勇気がいる。だが、これが現実なら。
「――幽霊に開かれた図書館なの?」
少年の、苛立ちと諦念の入り混じったような渋面が、その答えだった。
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