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「日比谷くん!」
三度目の来訪は朝十時ごろだった。しんと静まり返ったがらんどうのフロアの真ん中で、斯人が渋面を作って詩音を見返す。
「どうしてそんな顔してるの?」
「……開館中に来なかっただけ助かりますけど」
「助かった顔には見えないよ。っていうか、今日は休館?」
「書寂館の開館時間は午後六時から午前五時までです。今は閉館中ですよ」
「えっ、まさか昨日のは、閉館直前じゃなくて、開館直後だったの!?」
斯人いわく、彼岸と此岸は昼夜が逆転しており、こちらが夜の間、あちらは活動時間の昼だという。夜に幽霊が出る、という一般論は、実はここから来ているらしい。
「ってことは、日比谷くんは夜通し接客して、昼は……寝ないんだよね。何してるの?」
「もちろん仕事をしようとしたところで、あなたが来たわけです。そちらこそ、何をしているんですか? 手の中に何を隠しているんです?」
斯人が、おわん型にして合わせた詩音の両手を視線で示す。詩音は無邪気な笑みを浮かべた。
「えへへー。日比谷くんにお土産。外の世界を見せてあげようと思って」
「外の世界を……?」
「ここにいたら、季節さえ感じられないでしょ? だから、まずは季節感のあるものをと思って、こちら!」
詩音が両の手を開くと、中からひとひらの白が舞った。花弁のように見えるそれは、しかし自ら羽ばたいて空中を泳ぎだす。
「モンシロチョウでーす!」
「館内にそんなものを持ち込まないでください!」
「えーっ、せっかく捕まえてきたのに……。日比谷くん、外に出なかったらチョウにも会えないから」
「会えなくて結構ですよ! 早く捕まえて逃がしてください、この虫愛づる姫君! 本に卵を産み付けられたらどうするんです!」
「あっ、それはダメ」
過ちに気づいても後の祭り、チョウはひらひらとトリッキーな動きで逃げていく。
「日比谷くん、虫取り網とかない?」
「外に出なかったらチョウにも会えない僕がそんなものを用意しているとでも?」
「だよねー……」
素手で捕まえようにも、気配を感じるとかわされてしまう。詩音が外で見つけたときは、チョウも相当油断していたのだろう。
「仕方ありませんね……来なさい、ハク!」
斯人が声を張り上げた。斯人以外いないはずの書寂館で、誰を呼んだのか。その答えは、力強い羽ばたきとともに現れた。大階段でつながる二階から舞い降りてきたのは、翼長二メートルはあろうかという猛禽。詩音の記憶の片隅が閃いた。
「この子……!」
「ハク、あのチョウを捕まえて外へ逃がしてください」
ハクと呼ばれた猛禽は、斯人の頭上を二周ほど旋回した後、鋭く滑空してチョウを捕らえた。そして、あれよあれよという間に、滑るように二階へと戻っていく。
「上に行っちゃったけど……」
「バルコニーから逃がしてくれるのでしょう。彼もそこから入ってきたはずです」
「というか……あの鳥は……」
「僕の式です。仕書の手助けをしてくれる霊的な存在といったところです」
「し、式って……。普通のフクロウに見えるけど……」
「フクロウではありません、ワシミミズクです。式でなければ、あのように的確に僕の言うことを聞くわけがないでしょう」
「それもそっか……うーん、いよいよファンタジーだね」
「事実は小説より奇なり、です。それはともかく、変なもの持ってこないでくださいよ」
「ご、ごめんね?」
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