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告白と推理
中学二年生の一学期。その日は期末テスト明けの最初の授業……。つまり、テスト結果が返却される日だった。
この日さえ乗り切れば、後は夏休みまでの登校日をこなせばいいだけなのだが、クラス中は結果がハッキリとするまでは異様な緊張感で満ちている。
「英語、どうだった?」
加藤キキョウが近藤ボタンに窺うように訊ねてきた。友人同士の点数の報告は互いの実力を明確にさせるバロメーターになる。クラス内でもみな、口々に何点だったのかが語られている状況だ。
「六十九点」
キキョウの問いかけに別段隠すような素振りもなく、素直に返したボタンはそのまま同じ質問をキキョウに投げかける。
「アタシは七十三点。勝ちィ」
「社会は私の勝ちだったからこれで一勝一敗。引き分け」
こんな具合にざわつく休憩時間だったが、次なる授業、数学での点数結果には不安がよぎっていたボタンは、キキョウに負けるだろうなと考えていた。
そもそもキキョウは数学が得意だ。中学になってから一度だってキキョウに数学の点数で勝てた事がない。
キキョウに勝てるとしたら、国語だろうか。なら、勝負の分かれ目は理科のテスト結果にかかっているだろう――。
――放課後。すべての授業が終わり、テストが全て返却されてきた。
結果から言うと、ボタンは五教科テストに置いてキキョウに敗北したのであった。
「英語、六十九点……。社会六十五点、数学六十四点。国語は七十点で、理科七十二……」
なんというか、パッとしない点数だ。キキョウが言うには今回の理科のテストは簡単だったとのことらしく、キキョウは見事八十五点を獲得していたのである。国語は四十点だったそうだが。
「得意分野、か……」
ボタンはぼんやりと放課後の教室に残り、物思いにふけっていた。キキョウは苦手と得意がある。他のクラスメートの会話を盗み聞きしても、誰もがアレは得意でコレは苦手、なんてものがあるらしい。
しかし、ボタンはそれがない。得意も苦手もないのだ。だからかもしれないが、そんなクラスメートたちの個性に強く惹かれる事があった。
来年は受験生になって、高校をどこに行くのか決めなくちゃならない。自分に何が向いているのかがハッキリしないボタンは、今後の将来に向けてどういった選択肢を選ぶべきなのかが不透明で不安にもなる。
「なあ」
「!?」
呆けた顔で考え事をしていたボタンは不意に後ろから響いた声に、ぎょっとして反応した。
声の方を確認すると、後ろの席に座っていた佐藤ナツメだった。てっきり、教室内には自分しか残っていないと思い込んでいたボタンは、真後ろの席に座っていたクラスメートにドギマギして口を開け閉めしてしまう。
佐藤ナツメは同じクラスの後ろの席の男子ではあったが、会話らしい会話はこれまで一度もしたことがない。
無愛想というか、反応の薄いタイプで声をかけても「あー」とか「おー」とかしか返事をしないのが佐藤ナツメという人物だ。少しばかり奇妙な雰囲気を持った男子だという印象が強く、クラス内でも浮いている存在だ。彼はいつも独りだし、友人と談笑しているような姿を見た事もないように思う。
そんな人物が、声をかけてきたというだけでも、ボタンは驚愕する。
金魚みたいにパクパクを繰り返して、言葉を紡ぎだせずにいると、ナツメは人差指をぬっと伸ばしてきて、ボタンの口のなかに突っ込んできた。
「んぶ!?」
思わず、ナツメの指から逃げるように仰け反って、ボタンは自分の席から慌てて立ち上がった。
「な、なにすんの!」
「口が寂しそうに見えたから」
「だからって、指突っ込むヤツがいる!? あんた、ピラニアの口が寂しそうだったら指入れるのか!?」
「やるわけないじゃん」
当たり前だろ、と言わんばかりの顔であっさりと回答したナツメに、ボタンが逆に真っ赤になる。なぜだか無性に恥ずかしかった。
「て、てゆーか、何かよう? 私もう帰るんだけど」
「でも、ずーっと教室でボケボケしてたろ」
「う……。ちょっと考え事してたの。もう帰る」
「待てよ」
立ち去ろうとしたボタンの手を、ナツメがちょっと強引につかみ、引き留めた。
「なんなのよ、もう」
振り払おうとしたボタンは、ナツメの次の言葉で、停止させられることになった。
「――好きだ」
……間……。
ボタンにしてみると、体感時間で三十分は止まっていたように感じた瞬間だった。それはしかし、刹那の事で、放課後の教室で二人、手をつないだまま、ほんの数秒が経過したに過ぎない。
「……は?」
「結婚してくれ」
「はぁぁぁ!?」
色々と順序を間違えているナツメの言葉に、ボタンは更に顔を真っ赤にして、汗を噴き上げることになった。
とりあえず、捕まえられている手をばっと払って、慌てて身を引いた。ナツメの射程圏内に入ると、やばいと脳内で警告音が鳴り響いているようだった。
「何をいきなり言ってるんだ、あんたはっ」
「お前しかいない。世界でお前しかいないんだ。俺と付き合ってくれ」
「な、ななな、なにをいきなり恋愛ドラマクライマックスみたいな台詞吐いてんだ! これ、短編ショートラノベだぞ!」
「メタな発言をするなよ」
「だいっ、大体なんでっ、いきなりっ、す、好きとか……! なんの罰ゲームだ! からかってるんでしょ!?」
「からかってない。俺、産まれて一度も人をからかった事、ない」
そのナツメの言葉は、解き放たれた矢のように真っすぐに、ボタンに向けられていた。嘘偽りない、ふざけてもいない。ただただ、純粋な告白だと全てで訴えかけているようでもあった。
どう回答するべきなのか、混乱の真っただ中にあるボタンはまともな選択肢すら浮かんでこなかった。
別に今、好きな人がいるわけでもないし、恋愛自体に興味がないわけでもないが、これまでまともに話したこともないクラスの男子から、電撃告白をされても、脳みそが追い付いてこないのだ。
「なあ、俺の彼女になってくれ。そんで妻になってくれ。一緒のお墓に入ってくれよ」
「見通しが遠いわ!」
「お前がいいんだ」
「ごめん、むりっ!」
がたん、と鞄を引っ掴んで、ボタンはその場から脱兎のごとく撤退した。もう、ナツメの顔も見ていられないほどだった。
恥ずかしすぎる。いきなりすぎる。意味不明すぎる。
(なんなんだ、アイツ! なんなんだ、あいつぅ~~っ!?)
佐藤ナツメ……。これまで全くと言っていいほど関心がなかった男子。
相手の事を知らなさすぎる。ナツメの人となりがちょっと奇妙であることはなんとなく察していた。黙っていればそれなりに顔立ちは悪くないのだが、良く分からない人から告白されて『はい、付き合います』なんて言えるはずもない。
(なんで私なんかに告白した!? 誰かと間違っているんじゃないか!?)
廊下を走りながら、ボタンは思考を混濁させていく。
(特に目立ったところのない女だぞ! 顔も成績も、プロポーションも、並みの並々だ!)
人から好意を持たれる原因なんて、何一つ持ち合わせていないはずだ。
それが自分自身への評価だ。客観的に見ても、間違っていない。近藤ボタンという人間は、そういう評価にすっぽりはまり込む人間なのだ。
「はぁっはぁっ……」
必死の形相で昇降口までやってきたボタンは荒く息を継ぎながら、ごくりとひとつ、生唾を呑んだ。
(はじめて……告白された……)
ドキドキと鼓動が高鳴るのは走ったせいだろうか。
(佐藤……ナツメ……か……)
どんな男の子なのだろう。
ボタンは、後ろの席の佐藤ナツメに対して好奇心が沸き起こってくるのを抑えられずにいた。
そして、同時に明日からどんな顔をして、教室に行けばいいんだろうと頭を抱えることになるのだった。
帰宅してから、親から期末テストの結果がどうだったのかと問い詰められるまで、もうテストの事すら頭の中から吹っ飛んでしまっていたのであった。
――翌日。
ボタンは身を固まらせながら、自分の席についた。
後ろの席にはナツメがぼんやりとした表情で座っていた。何か声を掛けられるかと思ったが、意外にもナツメは一言も言葉を発する事がなく、ボタンはひとまずほっと胸をなでおろした。
一応、あの場では『無理』と断るような返事で幕を閉じたわけだから、ナツメの告白に対し、ボタンは振った、という状況になるはずだ。
つまり、ナツメは失恋をしたという事になるだろう。
落ち込んでいたり、ショックを隠せずに狼狽えたりなどするのかと思ったが、拍子抜けにもナツメは普段通りの表情で、ぼんやりとしている。
(な、なんだ……あの告白、やっぱり何かの間違いだったのかな)
それならそれでもいいように思うし、残念なようにも思うから、自分の心境が複雑でボタンは眉を寄せてしまう。
「何難しい顔してんの?」
内面が顔に出ていたと、キキョウの言葉にハッとしたボタンは、表情を切り替えて、「別に」とそっけない相槌を打つ。
「当ててあげようか。テストの点数で親に怒られたんでしょ」
「…………。そう、そうだよ」
全然当たっていなかったが、それらしい言い訳になったので、キキョウの答えに乗っかって見せた。
「ドンマイドンマイ」
からからと笑いながら、キキョウは自分の席に移動していく。ボタンはそれを追いかけて、そっとキキョウに耳打ちをした。
「……ねえ、ちょっと話したいことあるんだけど」
「なに?」
ナツメの事を訊ねてみようと思ったボタンであったが、どのようにしてキキョウにナツメの話題を振るべきなのか少しだけ考えた。まさか、昨日、告白されたなんて言えるはずもない。
「私の後ろの席の男子、何て名前だっけ」
「は? えーと、佐藤くんじゃない?」
「ああ、うん。そっか、佐藤か」
「佐藤くんがどうかした?」
自然に女子特有の密談モードになって、周囲に聞き取られぬようにするボタンとキキョウ。そっとナツメの様子を気にしながら、話題をゆっくりと進めていく。
「……いや。あいつ、いつも独りだよねと思って」
「あー、うん。友達はいなさそう……」
「虐められているとか?」
「そういうのはないと思うよ。なんていうか、人付き合いが下手糞そうとは思うけど」
ふむ、とボタンは腕組した。もしナツメが虐められていて、女子に告白しろという罰ゲームのようなものをやらされたのだとしたら、と考えてみたがその線ではないようだ。
「ちょっと変わってるよね、あいつ」
「まぁ……そうかも。なんなのいきなり。佐藤くんとなんかあったの?」
「……い、いや。別に。後ろの席だからちょっと気になっただけ。……あいつ、どこの小学校だったのかな? 昔からの知り合いとか一年の時の友達とかもいないのかな?」
「あぁ……そう言えば……一年生の時、アタシ佐藤くんと同じクラスだったんだけど……」
キキョウがふと思い出したように、こそこそと囁いた。
「みんなどこかしらの小学校から来ました、って最初の自己紹介の時、言うよね」
「うん」
「佐藤くんだけ、聞いたことがない学校だったんだよね。もしかして、遠くから引っ越してきたのかも」
「へえ……?」
「それに、なんか少し変な噂が広まった時期があったんだよね」
その『噂』を口にした時のキキョウはこれまでになく、声を落とした。
「噂って?」
「……佐藤くんは先生に特別扱いされてる、って噂」
「特別扱い??」
そうだろうか? 少し過去の事を思い返しながらボタンはナツメと教師間の事を整理してみたが、思い当たる節はなかった。最も、これまで佐藤ナツメという人物に無関心だったからというのもあるだろう。
だが、教師たちがナツメに対して露骨な特別扱いをしていれば、流石に気が付く。そういうのはないと断言できるのだが、ナツメに取り巻く『噂』は、ボタンにとってピンとこない話だった。
「アタシもそんなに詳しく知らないんだけどね」
「……」
それで佐藤ナツメに関する話題は中止になった。担任の教師が教室にやって来たからだ。ホームルームが始まり、点呼を取ると、そのまま一時間目の準備が始まる。
ボタンはなんとなく、ナツメの様子を気にしながら、『噂』の真偽を見定めるべく、教師とナツメの間の様子に気を配った。
しかしながら、これと言って教師がナツメを特別扱いしている様子は感じられない。
結局なんの収穫もなく、お昼休みに入って、ボタンは弁当を持って中庭に移動した。キキョウも一緒で、他愛ない会話をしながらお昼を済ませる。
「ねえ、朝の話の続きなんだけど」
「え? また佐藤くんのこと? なに、もしかして、佐藤くんにホレたの?」
「ばっっっ!? ちっげえし!!」
あまりにもボタンのリアクションが大きすぎたせいだろうか。冗談のつもりで言ったキキョウはヒクついた表情で、ボタンに瞳を白黒させていた。
「いや……ちょっと気になってはいるけど。そういうんじゃないよ。なんか、アイツ、奇妙じゃない?」
「まぁ、なんていうか凡人離れしているところはあるよね、雰囲気的に」
「うーん、例の噂なんだけどさ。別に今日の様子を見ても、先生が佐藤……くんを、特別扱いしているって印象はなかったんだけど……」
「所詮、噂だよ。なんの根拠もない話だったりするものじゃない」
謎多き人物であるクラスメートのナツメ。そんな人物がなぜ、自分に告白したのか。
結局ボタンが気にしているのはそれだった。
なんの取柄もない自分の事を好きだと言ってくれた人。そんな人は生まれて初めてだったのだ。一体、何が彼を惹きつけたのだろう。それが分かれば、自分の分析だって進んで、将来何を目指せばいいのかも分かるような気がした。
「ん?」
ふと、中庭の掲示板付近でざわざわと人だかりができているのに気が付いた。あそこには校内の多目的な情報が張られるのだが、何か面白イベントでも張り出されているのだろうか。
「ああ、テストの学年順位表が張り出されるんだよ」
なるほど、とボタンは頷いた。自分には無縁のものだ。学年ごとに上位十名の名前が張り出されるのだが、そこに自分の名前が載ることなどありえないし、別に誰が学年のトップだとかも興味がなかった。
だが、その時、ボタンは『もしや』と閃いたものがあった。
今まで気にも留めていなかったが、佐藤ナツメという男子は、実は成績上位者なのではないだろうか。
それで先生に気に入られているから、特別扱いだという噂がたったのでは……、と。
「ちょっと見てくる」
「え、じゃあアタシも……」
ボタンが掲示板の方に向かいだしたので、キキョウもついて行く。数名の生徒が掲示板を覗き込んでいるところを後ろから隙間を縫って掲示板の内容に目を通す。学年の成績順位表と科目ごとの平均点などが記載されている。
二年の学年トップは二組の女子だった。名前を見てもピンとこない。よく知らない生徒だった。
そのままずらりと並ぶ十位までの名前に目を通してみても自分の名前はもちろん、佐藤ナツメの名前も見付けることは出来なかった。
「はー、すごいね、デキル方々は」
キキョウが感心したような声をわざとらしく出す。ボタンは自分の予想が外れた事でなんだか、意気消沈した。ますます、ナツメという人物像が不透明になっていくようで、ちょっぴりもどかしくも思った。
なんだか、今日は四六時中ナツメの事を考えてしまっている。これじゃまるで、恋しているみたいじゃないか……。
ぶんぶんと首を派手に振りたくって、ボタンは己の内側に沸いた言葉に否定をしてみせた。
別にナツメの事など、好きではない。ちょっと興味があるだけだ。これは好奇心以上でもそれ以下でもない。そう言い聞かせるように、深く頷いた。
――そして、もやもやとしたものを抱え込みながら、その日も下校前のホームルームがやってきた。
担任教師の連絡事項と明日の時間割の話をされて、最後に学級日誌の担当が決められる。
学級日誌は、このクラスの中で、一日どんな状態だったのかをまとめる報告日記みたいなものだ。生徒目線でしか分からないような事を教師側に報告するために付けるのが目的ではあるが、これをきちんと書いている生徒は極少数だろう。
「じゃあ、今日は近藤と……佐藤で頼む」
「え゛」
担任教師の使命に、ボタンが思わず女子とは思えないほど濁った悲鳴じみた声を上げた。
日誌担当になった事が嫌なのではなく、佐藤ナツメとペアを組まされたことに対する反応だった。昨日、告白した男子と振った女子が、コンビで仕事をできるはずもない。
だが、ナツメがボタンに告白した事なんて知っている人間は誰もいないのだから、文句も言えない。結局、ボタンは担任に手渡された日誌に目を落として硬直するのである。
放課後がやってきて、部活に行く生徒や早々に帰宅する生徒で教室はあっという間にボタンとナツメだけとなった。
日誌を開いて前日の担当生徒の記載を見てみると、『特になし』とだけしか書いてない。これでは日誌なんぞ付ける意味がないと言えるだろう。さっさと書くだけ書いて帰宅したのだと分かる。
ボタンも早々にこの場から撤退するべく、『特になし』とだけ記入してやった。
そして、これを職員室に持っていけばミッションコンプリートである。
「なあ」
ナツメが声をかけてきた。今日一日、一度も口を開いていないナツメだったのに、こうして放課後二人きりになると、口を利いてくるのは、ボタンからすれば死刑宣告みたいなものである。
「もう日誌、書いたから。私、職員室にコレ持って行って帰るね」
「話そうぜ」
「じゃあ、またね」
「待てよ」
ぐ、とまた右手を掴まれて引き留められた。
「返事は、したじゃん。無理、だって」
「なんで?」
「だって……私……あんたのこと、良く知らないし」
「俺もあんたのこと、全部は知らない」
「……だったら……。なんで、私の事、好きだとか言うの? よく知りもしないで、人を好きになったりできるの?」
「……」
夕日が差し込む夏の手前の黄昏が、教室を明るいオレンジに染めていく。そしてその光は陰を作って、二人の間の表情を隠してしまう。
「私は……良く知らない人とは、付き合えない」
「英語、六十九点」
「……へ?」
シリアスな顔を作っていたのに、ナツメのその一言できょとんとした表情になるボタン。
「社会六十五点、数学六十四点」
「な、なにが……?」
「アンタの期末点数」
「なっ……!」
自分の点数を赤裸々に口に出していくナツメに、ボタンは飛び上がりそうになった。
「国語七十点、理科は……」
「ちょっと、ちょっと、待ったあ!」
「俺が知ってる、アンタの事」
「き、聞いてたのかっ」
「聞かなくても、分かったけど」
「ど、どういうこと!? つか、忘れなさい! 人に誇れるような点数じゃないんだし!!」
テストの点数、六十点台が情けなくて、ボタンはナツメの口を縫い付けたくなってしょうがなかった。できる事なら、こいつの記憶を消してやりたいとすらも思う。
「そんなことない」
だが――。その時のナツメの声は、またあの時のように、純粋で、透明で清らかな音色を響かせていた。
はたはた、と教室のカーテンが風に揺れていた。
「好きだ」
「だ、だからなんでっ! 私はわかんないって言ってるの!!」
すごく真剣な目で告げてくるナツメを見ていられず、ボタンは日誌を掴んで教室から飛び出した。
もうダメだ。このナツメという男子に関わっていたら自分がおかしくなりそうだ。もうすぐ一学期も終わる。そうしたら、長期の夏休みが始まって、この話も自然消滅するのだから、ここは逃げて受け流す!
真っ赤な顔をして、横顔に黄昏の光を受けながら、ボタンは廊下を走った。
階段を駆け下りて、一階の職員室のドアを開くと、担任の教師を見付けて、大股に歩み寄っていく。
「先生っ、日誌終わりました!」
「おう、助かった。ありがとう二人とも」
「はい、じゃあ私はこれで……え、ふたり?」
「おす」
振り向くと、居て当然という様子でナツメが手をあげていた。
「ほんげー!!」
「もっと可愛い声で悲鳴あげろよ」
「か、可愛いとか言うな変態野郎!」
ボタンはもう取り繕う余裕もなく、ナツメに暴言を吐いてのたうち回る自分の精神を落ち着かせようとしてしまう。
そんな様子を見て、担任の教師は面白そうに笑うのであった。
「はっはっは! なんだ、仲がいいんだな! 良かったなナツメ」
「仲良くありません!」
そこだけはハッキリとさせなくてはと、ボタンは教師にぴしゃりと言ってやった。
そして早々に退室するべく頭を下げて、職員室から出ていく。
すると、ナツメも後に続くようにボタンの後ろから歩いてくるので、ボタンは立ち止まって言ってやった。
「ついてこないで」
「昇降口、こっちだし」
「ああ、そうですか!」
そこまででオサラバだ、とボタンは奇々怪々なクラスメートと差を広げるべく大股で歩いていく。だが、ナツメはぴったりとボタンの歩幅に合わせるようにその後ろにくっつき続けた。
と、そんな時だ。ふいにボタンのスマホが震えた。何かメッセージが届いたらしい。
メッセージアプリを立ち上げると、キキョウからのものだった。
『もう帰った?』
キキョウは部活をしているものの、ボタンは部活に所属していない。ボタンは普段、真っすぐに家に帰るのだが、今日日誌当番な事を覚えていたのか、まだ学校にいるのかを確認する内容だった。
ボタンはその場で立ち止まってスマホを操作する。
『まだ学校だよ』
『ごめん、ちょっと来てくれない? 困ってる』
『分かった』
友人からのメッセージに眉を寄せながらも困っているとのことであれば助けに行くのはやぶさかではない。ボタンはキキョウがいるという部室棟の、オカルト部にやってきた。
「オカルト部って……」
なぜか一緒について来たナツメが呆れたような声を出した。
「なんであんたが付いてきてるのよ」
「アンタの事、知りたいし。知って欲しいから」
「……とりあえず、私はキキョウを助けに来たんだからジャマはしないでよ」
「おー」
オカルト部のドアをノックするとキキョウが直ぐに扉を開いた。
なぜか一緒に居る佐藤ナツメに怪訝な顔をしたのだが、それより今問題になっている事があるらしく、キキョウはボタンにすがりついてきた。
「ごめん、ボタン! アタシの宝物が無くなっちゃったの! 一緒に探してくれない!?」
「宝物って……? オカルト系の?」
「うん、『尻子玉』がなくなっちゃったの!」
「し、しりこ……なに?」
「尻子玉! 河童が人間のお尻から引き抜く玉のこと!」
「いや、見た事もないわそれ」
キキョウにとっては一大事なのだろうが、話を聞いてもボタンにはどこまで本気の問題なのか把握できなかった。
「そ、それでその玉は、どんなものなの? どこに置いてたの?」
確認すると、尻子玉は掌に乗るピンポンくらいのサイズで、ツヤツヤとしているらしい。数日前に川べりで見つけて大切にしていたそうなのだが、今日それが忽然と消えてしまったというのだ。
「この部室に置いてたんだけど、中庭の自販機に飲み物を買いに行って戻ってきたら、無くなってたのよ!」
「河童が取りに戻って来たんじゃない?」
「河童だったら、濡れた足跡が残っているはずだもの!」
……妙に迫真の表情で言ってのけたキキョウに、ボタンはじとりと汗を垂らすばかりだ。
ともかく、目を離したすきに、キキョウの所有物が紛失したのは事実らしい。その辺りに転がっていないか調べてみたそうだが、見当たらないらしい。キキョウにとっては宝物らしく部外者のボタンに連絡してでも見つけ出したい代物のようだ。
ボタンも少し部室内を調べてみたが、それらしい玉は見当たらない。
困ったな、とボタンが表情を曇らせた時だ。
「なあ、この部活、部員はアンタだけ?」
口を開いたのは入口で話を聞いていたナツメだった。
キキョウは首を横に振った。
「ううん、あと四人部員がいるわ」
「じゃあ、そいつらの誰かが持ち去ったんじゃないか?」
「えっ」
つまり、これは盗難事件だと言っているのだ。学校内で盗難事件となれば大ごとになる。場合によっては部活動を停止させられることにもなるから、キキョウは敢えてその線を頭から除外して考えていた。
「他の部員はどこにいるんだよ」
「え、ええと……オカルト部は各自それぞれで活動するの。だからみんなバラバラで……。でもきっとこの学校内にはいるから……」
「キキョウ、部員の名前、教えて。私話を聞いてくる」
「で、でも」
「大丈夫、尻子玉があったかどうかを確認してくるだけだから」
「う、うん、じゃあ……たぶんみんなのいる場所は学校の七不思議スポットだと思う……」
キキョウの情報からオカルト部の他四名は、学校の七不思議のスポットで調査をしているらしい。キキョウが自販機に飲み物を買いに行った間、部室に入った人物を確認すればいいと判断したボタンはすぐさま、オカルト部員を捜し始めた。
七不思議の一、プールの赤い手。そこにはプールで溺れ死んだ生徒が夜な夜な水面から手を振っている、というありきたりな七不思議だ。
この学校で溺れ死んだ生徒がいるという実績は全くないのだが、七不思議を面白くするためにでっち上げられた噂だろう。
プールへ行くと、男子生徒がなにやら数珠を振り回しているのが見つかった。おそらくオカルト部の人間だろう。
声をかけると、部員の一人で間違いなかった。彼は一年生のムラタと名乗った。
「うん。ぼくは確かにオカルト部の者です。え? 部室? ええ、行きました。その時はキキョウ先輩がお茶を片手にスマホ弄ってました」
「そっか、ありがと!」
話を聞けたボタンはそのまま駆け出して、次なる七不思議に向かう。次は階段の段差が増えるというヤツだ。これも定番と言える。
校内の階段を見て回っている女子生徒がいると話を聞けたボタンは、屋上に上がる階段の手前でうずくまるようにして段差の写真をスマホで撮っている挙動不審な女子生徒を見付け、声をかけた。
彼女はオカルト部二年のノナカと名乗った。
「な、なんでしょう。え? キキョウちゃんのお友達? 確かに私、一度部室に入ったよ。尻子玉もきちんと部室にあったのを見たわ。部室から出たらコモリ先輩がいたから、少しお話したの」
「コモリ先輩?」
「オカルト部の部長……。今はきっとトイレの花子さんを調べてる……」
「ありがと! トイレに行くね!」
三階の女子トイレにやってくると、個室の奥から何やら『うーんうーん』と唸る声がしていた。
花子さんかと思って少しばかり身構えたが、どうやらその声の主こそ、オカルト部の部長、コモリで間違いなかった。
「うーん、うーん。……え? 部室? それはもちろん入ったわよ。私部長だもの。尻子玉? ……ああ、あれただの泥団子よ。興味もないわ。きちんと部室にあったのを確認してるわ。ノナカと話したから覚えてると思う」
「あの、何を唸ってるんですか?」
「……便秘なのよ、ほっといて」
「すいません」
残る一人のオカルト部員を捜すため、トイレを後にしたボタンは、動く人体模型の調査をしているオカルト部員を見付け駆け寄った。
こちらを見て人体模型かと誤解したオカルト部員は驚いて眼鏡を取り落とした。名前をホサカと言った。一年の女子だった。
「わっ、なんですか……。尻子玉? ありましたよ。ムラタくんが部室から出てくるのを見て、私もその後に入ったんです。そのあと、ノナカ先輩とすれ違ったんです」
「はい、眼鏡。ごめんね、脅かして」
「いえ、それでは私は調査がありますから……」
ぺこりと頭を下げるホサカに手を振り、ボタンは部員全員の証言を入手して、キキョウの待つ部室に戻っていった。
部室に戻ると、そこにはまだナツメが居て、ぼんやりと夕暮れの空を眺めていた。キキョウはまだ部室に尻子玉が転がっていないかを調べている様子で部室の隅々まで見て回っている様子だった。
「聞いて来たよ」
「ど、どうだった?」
「みんな尻子玉はあったって言ってる」
「そっか、じゃあやっぱりどこかに転がってるのかも……」
キキョウはそう言って埃まみれになりながら、尻子玉の捜索を再開する。
ボタンも一緒になって探そうとしたが、ナツメがずいとにじり寄るようにボタンに近づいて来た。
「おい、部員の証言をきちんと聞かせろ」
「な、なんであんたに……」
「俺の事も、知って欲しい、から」
ナツメがなんだか妙にしおらしく言うので、ボタンは少しばかり拍子抜けな顔をした。
考えてみれば彼は奇妙な生徒ではあるがゆえ、クラスでは浮いてしまっている。友人らしい友人がいないナツメの、自分をきちんと知って欲しいという言葉はなぜか妙に心に響いたのだ。
「分かったわよ……。じゃあまず一人目の証言から……」
ボタンはオカルト部員四名の話を一言一句正確に伝えて見せた。
きちんと部室に尻子玉があったとみんな証言している以上、部員内には犯人はいないと断定してやった。
「アンタ、こんな杜撰な聞き込みでよくもまぁ……」
「う……。じゅ、十分な内容でしょ!」
「そうだな。十分だ。犯人が、分かった」
「……え?」
ナツメの発言に、ボタンも、そして耳を傾けていたキキョウもぴしりと固まった。
※※※※※
「は、犯人って……?」
「尻子玉を盗んだヤツだよ。このオカルト部員の中にいる」
「う、うそ……? だって、みんな尻子玉はあったって言ってるし……」
ボタンは驚いた顔でオカルト部員のそれぞれの証言を洗いなおしていくが、犯人がいるなんて思いもしなかった。
「きちんと考えろ。犯人がありのままの事を言うと思うか? 犯人は嘘を吐いているんだ」
「だ、誰が犯人なの!?」
「ちょっとは考えろよ。それぞれの証言を照らし合わせると、矛盾が生まれる奴が一人だけいるんだよ」
「む、矛盾……? でも、誰が嘘を吐いてるかなんて分かるの?」
ふう、と一つ呼吸をしてナツメは証言の整理を行い始める。
「まず、オカルト部員の証言で分かることが二つあるだろ?」
「ええと……。尻子玉があったかどうかと、……入った順番……?」
「そうだ。まず、入った順番を整理してみろ」
ボタンは自分が集めた証言をメモにまとめて、話の内容を整理し始めた。
まず、『ホサカ』の証言から、『ホサカ』の前には『ムラタ』がいて、『ホサカ』の後から『ノナカ』がやってきたと分かる。では、残る一人『コモリ』だが、それは『コモリ』自身が『ノナカ』と話をしたと証言している。
つまり、ムラタ→ホサカ→ノナカ、ノナカ→コモリとなるだろうか。
「じゃあ最後に部室に入ったのは『コモリ』さん……」
「そんな犯人は部長だって言うの!?」
「早計だな。冷静になって考えろ。コモリの発言は『ノナカ』と会話をしたとしか言ってないだろ。どっちが先に部室に入ったのかは不明瞭だ」
「う……ちゃんと聞いて来ればよかった……」
「だから、杜撰だと言ったんだ」
「だって……トイレで『うーん』だったんだもん、詳しく聞けないし……」
「だから他のヤツの証言も参考にするんだよ」
ナツメに促され、次は『ノナカ』の発言に注目をした。
「ノナカは部室から出ると、コモリと鉢合わせたと言っている。この証言はどうだ。矛盾していると思うか?」
「……ううん……。いや、思わない。だって、コモリ部長もノナカさんと話したって言ってる。二人の意見は一致するから、矛盾しない」
「そうだ。だとしたら、部室に入った順序はノナカ→コモリと仮定できる」
そうなると……。
「どうなるの?」
「あ、あのな……。この問題の一番の要はどこだよ」
「ええと……誰が最後に入ったのか?」
「違う。いつ、『尻子玉』が消え失せたのか、だ」
「えっ」
「現状の証言をまとめると、ムラタ→ホサカ→ノナカ→コモリと言う順序で部室に入ったってことになってるだろう。だが、最後に入ったはずのコモリは、尻子玉が『有った』と証言してる」
「じゃあ、嘘を吐いてるのはやっぱりコモリ部長じゃない!」
「慌てるな。本当に、コモリが入った後、誰も部室に入っていないのかを考えろ」
「…………」
「ムラタの証言をよく考えてみろよ」
「ムラタくんの……?」
ムラタの証言を確認した時、ボタンはハッとまつ毛を上げた。そうだ――。
ボタンは薄汚れたオカルト部を見回した。
そして、見付けた。
小さな机の上に置いてある、キキョウが買って来た未開封のお茶のペットボトルを――。
「ムラタくんの証言は――……」
お茶を片手にスマホを弄るキキョウ――。キキョウはお茶を買って来た後に尻子玉がなくなっていた事に気が付いたのだから――。
「そう、すでに事件発生後の話なんだよ」
「そうなると、明らかに矛盾する人物が一人浮かび上がる」
流石のボタンももう分かった。今回の事件の犯人が。
時系列はこうだ。
ムラタは一番最後に部室に入った。それはすでに、尻子玉が消え失せ、狼狽えたキキョウがボタンにメッセージを送っている最中の事であった。
また、『ノナカ』と『コモリ』は互いの証言が一致することから嘘を吐いているとは言い難い。だから、部室内の時系列は、ノナカ部室に入る、コモリと鉢合わせる。謎の空白。尻子玉消滅。事件発覚からキキョウ、ボタンに連絡。それを見ていたムラタ……。
完全に『ブレる』のは、嘘を吐いているのは――。
「犯人は――ホサカだ」
「そ、そんなホサカちゃんが……」
ショックを受けるキキョウにボタンがそっと肩を撫でてやった。
「ホサカをどうするのかはアンタ次第だ。俺はそういうのはどっちでもいい」
「……あんた、私のあんな曖昧な調書で、一瞬で犯人が分かったの?」
「……そういう、人間なんだよ。俺」
それだけ言うと、ナツメはオカルト部から立ち去った。
妙に寂し気な顔をみせたナツメに、ボタンは胸の奥を何かで突き刺されたような気持ちになった。
キキョウの問題は部の問題だ。それは部員内で解決するとキキョウは言った。キキョウはボタンに感謝を述べ、後はこちらでなんとかすると笑った。
ナツメにも感謝を伝えておいてくれと言われたが、ボタンは複雑な顔をするしかなかった。
やっと帰る事ができると、ボタンは昇降口に向かう途中で、担任の教師に鉢合わせをした。
「ちょっといいか」
担任教師がちょいちょいと手を振ってこっちにくるようにとこっそり合図したので、ボタンはなんだろうと首を傾げながら担任の元に歩み寄った。
「佐藤ナツメのことなんだがな」
「え、はい?」
「あいつ、浮いているだろう」
「……まぁ、そうですね」
担任は隠す様子もなく困った様な笑顔を零していた。
「俺達教師も、どうにかしてやりたいとは思うんだけど、あればかりはどうしようもなくてな。正直、俺達にも手に余る逸材なんだよ」
「手に余る、逸材?」
「……ここだけの話だ。お前にしか言わない。他言無用で頼む」
「は、はあ」
異質なほどに担任の顔が重く厳格なものに切り替わった。かなりの重大な内容を伝えようとする覚悟を持った目であった。
「あいつは、国から指定を受けた超天才児なんだ」
「は!?」
「IQは二百を超えていて、数百年に一人の天才だと幼少時から言われている。神童なんだよ。本来ならアメリカの大学すら首席で通る実力を持ってる」
「ウソ!?」
なんだそれは、アニメかマンガかなろう系か? あんまりにもぶっ飛んだ設定に何かの冗談かと笑っていいのかとすら思ってしまう。
「嘘じゃない。実際あいつは飛び級でアメリカの大学に行って、博士号すら獲得する予定だったんだ。僅か十二歳でだ。だが、本人がそれを嫌った」
「なんで……」
「あいつの憧れは、そうじゃなかったからだ」
「憧れ……」
そんな天才の持つ憧れとは何なのだろう。ボタンは自分が将来何になりたいのかも分かっていない人間だ。こうなりたいと憧れを持つ人間を羨ましく妬ましいとすら感じるほどなのだ。
「あいつは、自分でも周りとは別格であると自覚している。そしてそのせいで回りから浮いてしまっている事も知っている」
「……」
「だから、あいつは『普通』を望んだんだ。俺達凡人からすれば、贅沢な悩みなんだろうが、あいつは結局まだ中学二年生の子供なんだよ。どんだけ天才だろうが、年相応に、同じ年代の仲間が欲しいと苦しんだんだそうだ」
彼が一瞬見せた寂し気な顔、そして、純粋すぎるとも言える告白の様子――。それらが本当に穢れの無い彼の望みだったのだとしたら――。
「で、でも、そんな天才がなんでこんな学校に……」
「それも本人の希望だ。日本の学校の中で、もっとも平均的な学力を維持しているこの学校に通いたいと出願して、政府が決めたレールを外れたんだよ」
「えぇぇえっ!?」
とんでもない話じゃないか。ナツメはその能力を高く買われ、国からすでに国宝級の扱いを受けているのに、彼自身がそれを望まず、『平凡』を求めた。そして、日本でもっとも平均値の学校を選び抜き、そこに通いたいと申告したのだろう。
その意見を国も親も尊重し、学校はそれを受け入れたという事か。
「だからまあ、ウチら教師も手を焼いていてな。あんな天才が学年にいるなんてどうしていいか分からんのだ。実際あいつがいることで、『平均点』がおかしくなっちまうのさ」
「平均点?」
「お前、あいつのテスト結果を知らんだろう」
「え、ええ」
「全科目、百点なんだ」
「…………」
「あいつにかかれば学校のテストなんて無意味なもんだろう。だが、アイツの点数をそのまま学年の点数発表で公開すれば、他の生徒が困惑する」
「……そ、それは」
「だから、あいつの点数は、公開していないんだ。それはあいつも承諾していてな。自分が我儘でこの学校に通っていることも分かっているようだ。中学生なんて義務教育なんだから、あいつが謝る必要もないってのにな」
「……」
「あいつの望みは、仲間が欲しいんだよ。普通の学生として、青春を求めてる。お前があいつと仲良くなってくれるんなら、それは本当にうれしい事だ」
教師が教えられる事を、ナツメはもうすでに持っていて、教師から教えられない事を、ナツメは求めているのだと担任は付け加えた。
「でも私は天才じゃないし、あいつの仲間になんてなれないですよ」
ボタンはただ、困惑してそう言うしかなかった。ナツメの孤独感は理解できるが、その孤独感を自分が埋め合わせることができるのかと言えば自信はない。なにせ自分はなんの取柄もない人間だからだ。
「仲間ってのは、みんな同じレベルのものの事を指すわけじゃない。社会に出れば人は平等じゃないってすぐに分かる」
「だけど、分かりません。なんであいつが私なんかを気にかけるのか」
ボタンはナツメを頼むよと言う担任に、そんなのは荷が重いと及び腰な様子を訴えた。だが、担任はニタリと笑むのだ。
「わかんねえのか? お前、自分のことだろうに」
「え、分かりませんよ」
「あいつが何を求めているのか、何に憧れているのか、説明したろう」
「え……。『普通』ですか?」
「おう。……お前、知らんのか。自分の成績を」
「は?」
「お前もお前で、かなり特殊な能力をもっとるんだぞ」
「ええ、わたしが!?」
特異な人間の相手には、特異な人間を。目には目を、と言わんばかりに、担任はボタンを指さしてみせた。
しかしボタンは『特別』なものは何もない。そう自覚していた。
「お前はな、この中学に入って受けたすべてのテストの点数が、学年平均点数と同じなんだよ」
「…………は?」
「つまり、お前は凡人中の凡人。凡人の神なんだ」
「はあああ!?」
「だから、アイツはお前に憧れているんだよ。アイツは『凡』を愛しているんだ」
「なんだそりゃあああああ!!」
ボタンの絶叫が校内に響き渡った。
日本一の平均中学校で、学年一の平均点をキープし続ける生徒。
選ばれし平凡。
それこそが、近藤ボタンなのである。
そのオンリーワンな魅力が、超天才児を虜にした。平板、まな板、平らな彼女が何より世界で尊かった。
もうすぐ夏休みがやってくる。ナツメはそれまでに、何としてもボタンを恋人にしてやろうと超天才的頭脳をフルに回転させていたし、超平凡少女のボタンは彼の慕情をどうやって受け流そうかと悩みまくるのだ。短い期間のバトルが広げられることになるのだが――。
暑い青春の夏は、二人を逃がす事はないのだった――。
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