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手紙は二ヶ月前に届いた。
昔の知り合いだ。
相棒と言ってもいい。
同棲していた時期もあるし、
結婚していた時期もある。
その後はそれぞれ別の人生を歩んだが、
それでも仕事ではいつも一緒だった。
しかしそのうち、
仕事でも会えなくなった。
今いる病室は個室だ。
もうこの個室に移ってから3ヶ月以上にはなる。
昔の知り合いがたまに見舞いに来るが、身内がいないので基本的にはいつも一人だ。
手紙が到着してから、一週間ぐらいして封を切った。
"ピアノの弾き語りで生きていきます"
と書かれていた。
昔のヒット曲もある。
たぶんもう、みんな忘れてしまったオールドソングだが、一人か二人くらいなら覚えている人もいるかもしれない。
メインボーカルは俺だったが、彼女だってメインを張れるし十分に歌える。
だいじょうぶ、
きっとなんとかなる。
俺にはもうすぐ終わりが来るが…
大した曲ではなかったが、彼女とのコーラスワークが気に入ってもらえた。
昔アメリカに、ジャッキー&ロイという夫婦のジャズボーカルデュオがいて、中古レコード屋でその古いレコードを見つけてからかなり気に入り、プロになる前に彼女と必死にコピーした。
彼女がピアノを弾きながら歌い(ここはジャッキー&ロイと真逆だ)俺はメインボーカルになったりサイドボーカルになったりしながら、彼女の声に合わせてハーモニーを極めることに尽力した。
最初はコピーばかりだったが、徐々に二人でオリジナル曲を作り出し、そのうちオリジナル曲がメインになった。
ある時、客もまばらなバーで二人で歌っていた時、音楽事務所の人間がやって来て、"うちの事務所に入らないか"と言われ、他に目新しいことをやる予定もなかったのですぐに所属することにした。
最初のうちは、すでにメジャーデビューしている同じ事務所のアーティストのアルバムなどにバックボーカルとしてレコーディングに参加する仕事がメインだったが、そのアーティストが気に入ってくれて、ライブツアーにも参加するようになった。
すると、他のアーティストからもお声が掛かるようになり、気がついたら色々なアーティストのレコーディングやらライブツアーにバックボーカルとして参加する仕事に追われるようになった。
しかし、レコーディングでよく顔を合わせる、同じバックボーカルの仕事をしているがすでにソロデビューしているシンガーソングライターに、"二人の素人時代のライブを見てる。二人は絶対ちゃんとデビューしなきゃダメだよ"と励まされて、その気になった。
最初にバックボーカルの仕事をした時に、気に入ってくれたアーティストにそのことを話すと、"是非出すべきだ"と言ってくれて、アーティストは事務所の社長やレコード会社のディレクター、または自分のアルバムのプロデューサーなどに掛け合ってくれるようになり、そのうち、俺と彼女のメジャーデビューが決まった。
そのアーティストもフューチャリングボーカリストとしてデビューアルバムに参加してくれた。
しかし、アルバムは大して売れなかった。
音楽ライターの評価は高く、ある音楽雑誌が、その年のベストアルバムの一つに選出してくれたりしたが、セールス的には芳しくなかった。
ただ幸い、所属事務所のアーティストには、そういうタイプのミュージシャンがわりといたので、事務所内では寧ろ良い作品を作ったということで評価が上がった。
しかし、その2年後、訳も分からぬうちに状況が変わった。
あるTVドラマのプロデューサーが、アルバムからシングルカットしたものの、さっぱり売れなかった曲をかなり気に入ってくれて、次にプロデュースする恋愛ドラマのテーマ曲に使いたいと言ってきた。
鳴かず飛ばずの曲に目を掛けてくれた感謝もあって、すぐに使用を許可したが、そのドラマが予想以上の高視聴率を記録する大ヒットドラマとなったことから、こちらの曲もそれにあやかってかなりのヒット曲となった。
ドラマ自体は20代前半の男女の恋愛ストーリーなのだが、どこか背伸びした二人の男女のツンデレなやり取りに、もうちょっと大人びたこちらのジャズっぽいAOR的な楽曲がうまくマッチしたようで、それからというもの、音楽番組やら再リリースされたシングルのキャンペーンやら何やらで、かなりの過密スケジュールの日々を送ることになった。
そんな時代もあった。
長くは続かなかったけど、確かにそんな時代を、彼女と二人で駆け抜けた。
今の、病室にこもって、ひとりぼっちでただ死ぬのを待っているだけの生活とはかけ離れた時代だ。
彼女からの手紙を読みながら、そんな時代の記憶がふと甦った。
もはや埋もれてしまった時代。
すでにとっくに忘れ去られた時代。
誰の記憶にも残っていないだろう時代。
そんな時代のことを思い出しながら、腕に突き刺さっている点滴の針を眺めた。
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