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不気味な大量の傘に連れられて、今、夜空を飛翔している。 夜風が身体に沁みるように心地良かった。 きっとこのまま、傘の大群は、こちらを闇の世界に連れて行ってくれるのだろう… そう思った。 このままこの世ともお別れかと思うと、妙に真下に見えるイルミネーション煌めく夜の街が愛おしく思えた。 だが、しばらく高度を上げ続けていた大量の傘の群れは、その後いきなり降下し始めたのだ。 このまま海の底にでも運ばれ、藻屑と消えるのか… しかし、降下し続ける大量の傘の群れは、雑木林のようなところに落下していこうとしていた。 すると、傘の大群はいきなりそれまでの固い拘束を解き放ち、こちらの身体を空中に放り投げた。 あっ!と息を飲んでいる暇もなく、いつの間にか引力の法則が働き、気がついたら雑木林の中の土の地面に無様に落下していた。 これは何だ? ここは一体何処だ? 頭の中が疑問符だらけになりながらも、ふと空を見上げたが、そこにはすでに、あの不気味な大量の傘の群れは何処にも見当たらず、まるで嘘のように消えてしまっていた。 ひたすら、訳がわからなかった。 何より一番訳がわからなかったのは、今、自分の目の前に、かっての相棒が一人立っていて、こちらを驚いた表情で穴が開くほど見つめていることだった。 恋人であり妻だった相棒。 その相棒が、今目の前にいるのだ。 「どうして?」 相棒は目を丸くしてそう言った。 「久しぶり」 何故だか、何事もなかったかのように、そう口にした。 「ああ、久しぶり…」 「手紙ありがとう。元気そうで安心したよ」 「うん。まあ相変わらずよ」 「それが一番だよ」 「この後、ワンステージあるのよ。ステージと言ってもお店のBGM係だけど」 「そう。弾き語りだよね。俺も歌うよ」 「え?!」 「だってステージがあるんだろ。俺も歌うよ」 自分が何を言っているのか、さっぱりわからなかったが、相棒の顔を見ていたら、それしか言う言葉がなかった。 「別にいいけど。ただそのパジャマ姿だけ何とかなんない?」 「ああ、衣裳ね」 「まあいいわ。何とかなるわ。あんた昔からいつも衣裳忘れてくるんだから」 「そうだったっけ?」 「そうよ。全く、変わらないわね」 「じゃあ衣裳はよろしく」 「わかったわ」 相棒は、雑木林の中の灯の点いた瀟洒でレトロな建物の方に歩き始めた。 黙って着いて行った。 レトロな建物の中は、人が賑わう広々としたフロアのバーのようだった。 中身は随分と洗練されたスペースになっていたが、相棒は正面にあるグランドピアノの方に真っ直ぐ歩いて行った。 「ご免、マスター、ちょっと服貸してくれない?」 相棒がそう言うと、カウンターの向こうにいたバーテンダースタイルのクールな顔立ちの男がニヒルに無言で頷いたが、しかし次の瞬間、男は俺を見るなり、手にしていたグラスを落とし、驚いた顔をしてこちらを凝視し、いきなりそそくさと直立不動になり、頭を下げた。 「今日は二人でやるから。この人いつも衣裳忘れてくるのよ、ったくもう」 相棒が笑いながらそう言うと、マスターと呼ばれた男は一目散に店の奥まで行ってトレンチコートを取って来て、自分が今被っているパナマ中折れ帽と一緒に、うやうやしくこちらに渡してきた。 昔よく見た顔だなと思った。 確か観客席の一番前で、いつもこちらの演奏を熱っぽく聴き入っていた男の顔だった。 「あら、「カサブランカ」のハンフリー・ボガートみたいで悪くないわね」 相棒はパジャマの上に衣裳を着たこちらにそう言うと、すぐにピアノの前に座った。 「ジャッキー&ロイと私らの昔の曲で行くから」 「OK」 いつものやり取り。 何年ぶりかだが、昔と何も変わりはしない。 相棒がピアノでイントロを奏でる。 昔ジャッキー&ロイが歌ったハイテンポで鋭角的な「I wonder what's the matter with me」のイントロが聴衆をいきなり刺激した。 それまで酒を嗜みながら歓談していた人々が、ぶっ飛んだような顔をして一斉にこちらに注目した。 相棒とのユニゾン 久しぶりだ。 だが何も変わっちゃいない。 ハーモニーは昔のまんまの完璧さで決まり、ピアノとドラムス代わりのリズムマシン・ドンカマをバックに、疾走感のあるジャズナンバーをそのまま一気に二人で歌い終えた。 客席は最初唖然としていたが、カウンターの向こうにいるマスターが何故か泣きながら盛大な拍手を鳴らすと、客席からも怒涛のごとくの万雷の拍手が鳴り響いた。 お次もジャッキー&ロイの曲。 スキャットの掛け合いで始まりスキャットで終わる軽快極まるナンバー「Bill's bit」 何故かカウンター向こうにいるマスターが泣きながら踊っている。 間奏の相棒のピアノソロは、完全にアドリブだが、最高潮に盛り上がる演奏となり観衆をさらに沸かせた。 どうしてこんなことがいきなり出来ているのか 自分でも信じられなかったが、しかし何故か身体が、声が、勝手に発動し、知らず知らずのうちに昔のまんまのパフォーマンスをやり切っていた。 相棒も、それがさも、当たり前のことのような顔をしてウィンクしてくる。 そうだ これは俺と相棒にとっての、当たり前のことなのだ。 ピアノのイントロが流れれば、いつでもどこでも、完璧にこなすことが出来る、俺と彼女の"当たり前"なのだ。 そして、二人にとっての唯一のヒット曲を歌う。 ピアノのイントロからすぐにユニゾンし、JAZZ的なアレンジ色を彼女なりに強くしたクールなAORナンバー。 一緒に歌ってくれている観客が、曲のムードを壊さないように小声で口ずさんでくれているのが嬉しい。 それでいて、レコーディングでは、あの世話になった今は亡きアーティストにバックコーラスをやってもらったパートを観客が歌ってくれた。 いつの間にかさっきまで泣きながら踊っていたマスターが、ピアノの横で渋いベースを弾いている。 音に厚みが増し、曲は最高潮に達していった。 3曲歌い終わると、客席のどよめきと拍手が凄ざまじかった。 やがてアンコールの大合唱が始まり、ほとんど瀟洒で静かなバーが、熱狂に満ち溢れたライブ会場のように様変わりしていた。 ベースをぶら下げたマスターが泣きながら近寄ってきて、"お待ちしてました"と言いながら、こちらの手を握り、固い握手を交わしてきた。 こんなことがどうして出来たのか まるでわからなかったが、 相棒は、さも当たり前のことのような顔して、"アンコールOKね?"とすかさず言ってきた。 勿論OKだよ。 命尽きるまで、ただ歌うのみ それが俺と相棒の人生だったんだから。 バーの天井は、屋内から夜空の星が見えるように、半分だけガラス張りに設計されていたが、そのガラス窓から、天空に浮かぶあの大量の傘の群れが見えた。 スカイアンブレラ… そんな都市伝説を聞いたことがある。 都市の高層ビル街の空を飛び交う、空飛ぶ傘=スカイアンブレラ。 ある時、人は、それを目撃することが出来る。 ピアノのイントロが響き渡る。 "人生の相棒"からのウィンクを合図に、また俺たちのステージが始まった。 終
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