ハンディ・ギャップ

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寧々ちゃんの言いかけた言葉も分からずじまいだけど、それからの練習は厳しい指導の連続だった。裏方も脇役も、全員が意見しながら高め合う。無論、寧々ちゃんは人一倍自分にも他人にも厳しかった。 だから、志保ちゃんは終始、練習を見守るだけ。周りがよく見えた人だなと痛感させられた期間でもあった。充実した数ヶ月だった。 毎回、違う結末を迎えていたけど、これが部員全員と方向が合致すると、自然と場面転換やアドリブの違和感もなくなってくる。 この瞬間に初めて部の「仲間」を意識することになった。 本番、これも練習の時にもなかった結末を迎えようとしている。だけど、声が出る、演技ができる、また、「仲間」に入れてもらえる。 私は「ロミオ」としてではなく、「マキ」になって、最後は「ありがとう」と仮死状態のジュリエットに告げて、毒を食らった。 でも、本当は志保ちゃんに「ごめんね」とも言わなければいけない。 場面緘黙症――自分の意志とは反対に、ある特定の場面で言葉を発することができなくなる症状。 そんな病気を抱えているのに、病院まで付き合ってくれた、なんてよく考えればおかしい話でしょう。 病名が分かっているなら、とっくに心療内科に行っているはずだし、そもそも毎日通ったところで、ほんの数週間通ったくらいで突然治るものでもない。 近年では不安症や恐怖症の一種としても捉えられているらしく、長期に渡るスモールステップが必要となる。だからこそ、私の「場面緘黙症」は症状の条件と異なる部分がある。 つまり、私は、場面緘黙症なんかじゃない――。
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