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きれいな満月の夜だった。海辺の公園は街灯が明るくて星はそれほど見えなかったけれど、顔を覗かせない星の光を集めたように煌々と輝く真円の月がとても綺麗な夜。
月の下で、私は彼から告白を受けた。不器用な彼らしい言葉だった。月が綺麗だ、なんて極端に気取った言い回しもない。そこが好きだ。飾らない、事実だけを口にするような彼の言葉。だからこそ、とてもすんなりと私の中に入って来た。それもまた、彼の人となりを知っていたからこそなのだろう、とは思うけれど。
あの日に彼と交際を始めて2年。彼から今日の晩に出かけようと誘われたのが2週間前のこと。年が明けてお互いに実家から戻ってきてすぐの話だった。
行き先は尋ねなかった。少し強張った彼の表情と心なしか震えて届く声に、何があるのか察したから。言葉にしなければ伝わらない。それは当然のことだけど、言葉が要らないこともある。それだけの時間を彼と過ごしてきた。
仕事を定時で切り上げて彼と同居するアパートに帰ると、彼はすでに出発の準備を整えて待っていた。家の近くのコインパーキングにはレンタカーを用意しているらしい。
「え? 車で行くの? えっと、泊まり? 準備とかーー」
「大丈夫。1時間くらいで着くから」
車とは縁遠い生活を送っている。驚いている私に彼は笑って答える。それから、すっと視線を反らして言葉を繋ぐ。
「その、月を見に行きたいんだ」
彼が照れくさそうに頬を掻いた。
「そうなの。お任せするから、よろしくね」
彼の様子を気にした風もなく答える。ぎこちなさが出ないように、いつもと変わらないように、そう心がける。彼を見ていて思うことがある。見透かされるのは少し照れる。
車を走らせている間、お互い言葉少なにぽつりぽつりと当たり障りの無い話をやりとりする。核心から遠ざかるように、昨日見たドラマの話やお硬い政治の話や職場の話を交換する。私達自身の話はしない。
「最近晴れが続いて助かるよね。雪とか降られたら、仕事行きたくないし」
話題を転がしてるうちに、そんなことを言ってしまったのは私の不注意だ。
「満月。綺麗に見えるかな」
天気のことを考えたら、思わず口をついて出てしまった。
「知ってたんだ、満月だって。大丈夫。ちゃんと見えるよ」
「ん、そっか。それはよかった」
彼の言葉にうなずいて、余計なことを言ったと口を閉ざす。彼に今日の誘いを受けた時、思わず月齢について少し調べてしまった。月頭にもあったから望めないかと思ったけれど、今月は二度目の満月があった。だから今日は彼から告白を受けた日と同じ、満月の夜。
車は山に入り、山道を幾らか登った所で途中にある駐車スペースで停まる。
街灯もない暗い夜の中で、彼は先に車を降りた。
「間に合ってよかった。少しの時間しか無いんだ」
車のドアを開けたまま、彼は空を見上げて言う。
彼に続いて車外に出ると周囲は夜闇に沈んでいる。しかし、空はとても明るい。
理由は明らかだった。
大きな満月が私達を照らしている。赤銅に輝く大きな満月。いつもよりもずっと大きく見える月に、手を伸ばせば届いてしまいそうな錯覚を覚えてしまう。毎夜見る月とは違う。
ひと目でわかる。この月は特別だ。
月に見惚れていた私のとなりで、彼も同じように月を見上げている。
「今日は来てくれてありがとう」
「私こそ、ありがとうだよ。素敵な満月ね」
お互いに視線は月に釘付けだった。
「君に伝えたいことがあるんだ」
夜闇を照らす仄かな月明かりの下、彼が夜空の大きな月から視線を私に移す。
「聞かせて、ください」
私も彼に向き直る。
彼が深く息を吸う。
「結婚してください」
仄かな月明かりの下で、はっきりと相手の顔は見えない。
それが今はありがたい。
心が緩んでしまって、今の顔を見られるのは恥ずかしい。
「絶対幸せにします。あのエクストリームスーパーブルーブラッドムーンに誓って」
彼が返事を促すように手を差し出すのを、夜に慣れ始めた目が捉える。
「はぃーーえ? 何て?」
「エクストリームスーパーブルーブラッドムーンに誓って、君を幸せにします」
「エクストリ? え?」
「エクストリームスーパーブルーブラッドムーン」
「エクストリームスーパーブルーブラッドムーン」
復唱して、夜空に鎮座する一際大きな赤銅の満月を見上げる。
月明かりだけが頼りで、顔がはっきりと見えないのが今はありがたい。
「あー、話全部飛んじゃったから、満月、でやり直しを要求します」
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