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楓町は私が住む柳町に近い。ちょうど集中力が切れたところだ。早めに帰ることにした。
慣れた帰路をのろのろと行く。
冬の日差しは弱弱しく、滑り降りるように一気に傾いていく。
魔獣の発生が多いため、私は近道をする。北大通りの商店街を外れ、裏路地に入る。この路地を抜け、農道に入れば私の住む柳町はすぐそこだ。
裏路地に入って数メートル進んだ時。
スマホが鳴動した。
『近くに魔獣の反応有り。危険。直ちに――』
ザー。
危険を知らせる音声に突如ノイズが入る。
こんなことは初めてだ。
スマホの緊急通報機能を使おうとしたが、何度ボタンをタップしても、通報ができない。
「どうすれば……」
思わず声が漏れた。
その時。
すぐそばの壁に、巨大な何ものかの影がゆらめいた。
私は息を飲む。
影は、水がつたい落ちるように、壁から落ち、地面に移動した。
逃げなければ。
私は駆けだす。全力を振り絞って。
影が地面を滑り、ついてくるのを背中で感じ、恐怖する。
やみくもに走る中、うずくまる人影が視界に入る。
他人を気に掛ける暇などないが、黙ってひとり逃げるのも気が引けた。
「ま、魔獣です! 逃げてください!」
人影は少しだけ動いたが、立ち上がれないようだ。
私は一瞬通り過ぎかけたが、すぐに引き返して、人影に近づいた。
その人は、目深にフードをかぶっていて顔がよく見えないが、女性のようだ。
何かを大事そうに抱えている。
「あの、あ」
『グオオオオオオオオオ』
背後で巨大なトカゲの姿の魔獣が吠えた。その体はスライムのようにドロドロしている。
魔獣は青緑色のネバネバした液体を吐いた。
「うああああ」
私はすんでのところで避けたが、飛沫がコートの端にかかってしまった。
シュウシュウと音を立ててコートは溶ける。
「うっ」
立ち昇る異臭に顔をしかめる。
「くっ、仕方ない」
不意に女性が口を開き、立ち上がる。彼女は抱えていた紫色の玉を私に手渡す。
「このこを連れて逃げて。ここは私が何とかするから」
「このこって、え? え?」
「いいから、ちゃんと迎えに行くから」
「迎えって……」
どこの誰とも知らないのに、そう言おうとした時。再び魔獣が吠える。
「ほら早く!」
女性の声に促され、私は玉を抱えて、ひた走った。
家に着いた頃には、すっかり日が暮れていた。
普段から走らないせいか、疲労感が体中を襲う。頭の芯がゆらぐような眩暈を感じながら、玄関の前で振り返った。そこには、闇に染まりつつある見慣れた街並みがある。その暗さに身が震え、嫌な予感がした。私は急いで家へ入った。
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