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第六話:戯 れ ~月冴からの告白~
あれほど警戒したというのに思いのほか腹が空いていたのか、少量のかけ蕎麦はあっさりと尚斗の胃の中へ消えていった。そんな尚斗を見て、月冴が安堵の息を零す。食事を終え、月冴はペットボトル飲料を、尚斗は持参したコーヒーを飲みながらしばし他愛もない話をして過ごした。
月冴は、いままで尚斗が関わってきたどの男よりも表情が豊かな青年だった。授業の内容一つ語るでもリアクションを交えて面白おかしく話すものだから、普段から表情を変えることが少ない尚斗も反応せざるを得ない。
相槌を打ち、時には質問を返す。楽しそうに笑う彼を見て、自然と尚斗自身も表情が綻んでいくのを感じた。
「っと……そろそろ教室戻らないと、五時間目始まっちゃうね」
食事を終えた生徒のほとんどは既に学食を出ていて、相当に人が疎らになったことに気づいた月冴が声を上げる。午後の授業は数Ⅰだ。昼食を摂り腹が膨れ睡眠欲求が高まっているところに公式の羅列を見るのは些か堪える。
「なぁ、月冴。ちょっと寄り道しねぇ?」
「へっ?」
弁当箱を片付け、空になったペットボトルを分別されたゴミ箱に捨てた月冴が間の抜けた声を上げながら振り返った。
「寄り道って……」
「いいから、こっち」
荷物を持ち、月冴の手を取ると尚斗は迷わず学食の外へ出た。どこの部分からも死角になる位置に彼自身を追いやる。壁に腕をつき、自分の身体で月冴を覆うように退路を塞いでやると、陰った視界に映る可愛らしい顔立ちが一瞬でこわばった。
「な、なお……、」
「大丈夫……ちょっと触るだけ」
耳元で囁いてそのまま耳朶を軽く喰む。首筋に掌を這わせてきっちりとヘアセットされた項を掻き上げるように指を通して髪を梳いた。
〝大丈夫〟──尚斗の発するその言葉ほどアテにならないものはない。月冴と付き合うより以前の相手に対して散々違えてきてしまった証拠でもあるのだけれど、自分自身でもそんな風に思うのだから終わってる、本当に。
「なんかつけてる? すごく甘い匂いする」
地肌を這う指先の動きと耳元で響く声に翻弄されてひくりと跳ねる喉──経験がないからこそ些細なことでも敏感になってしまうといわんばかりに、伏せられた瞼がいっそう固く閉じられる。
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