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驚いた──というのが正直な感想だった。
尚斗はもとより、月冴自身もであるが互いのことをロクに知りもしないのだ。ただのクラスメイトという関係性を半ば強制的に打破して既成事実をでっち上げ、挙句の果てに恋人関係を結んだ。お世辞にも〝美しいシナリオ〟とは言い難い。尚斗にとっては手順も経過もどうでもいいことではあったけれど、月冴がそうかと言われれば、答えは否だ。
まして彼は尚斗と違い《普通の感覚》の持ち主であり、たとえ気になっていたからといって、簡単に男とどうにかなるようなタイプにも見えない。
ここが男子校で女性との接触がほぼない環境だから呆気なく絆された?
いや──そんな打算的な理由で簡単に貞操を手放せるだろうか? もともと男に興味があった? それも違う。
ならば本当に──彼は自分に……一目惚れでもしたというのだろうか?
「尚斗は俺と違って慣れてるのかもしれないけど……俺はそんなことないし……心の準備だって……必要だから。求められたくないとか……じゃなくて、もう少し……ゆっくり進んでいきたいっていうか……尚斗のことも、ちゃんと知りたい……し……」
途中から必死になり過ぎたとでも思ったのか、段々と尻窄みになっていく言葉。しっかりと見つめていたはずの瑠璃色した瞳は見る影もなく、いつの間にか自分達の足元へと視線を落としていた。熟れた果実のように赤く染まる頬と耳殻。Tシャツの裾をきゅと掴む小さな拳。辿々しくも告げられた彼の本心。
「……俺を知る? 知ってどうするんだ?」
「尚斗はさ、好きな人のこと知りたいって思わない? どんなものが好きとか嫌いとかどういう趣味とかそういう些細なことでも知っていけばお互いのこと、もっとよりよくわかりあえる気がするんだよね……恋人だからこういうことするっていうのもわからなくはないけど……それだけじゃないって思うんだ」
「──……そういうもんか。俺にはよくわかんねぇけど」
こればかりはどうしようもない。他人と情を交わす以外の付き合い方をしたことなどないのだから。そういえば、最初の頃月冴に「こういうことはお互いをよく知ってからでも遅くないのではないか」そんな風に言われたことを薄らぼんやりと思い出す。先の通り、尚斗にとっては手順も過程もどうでもいいことでも、月冴にとってはなにもかもが初めてで新鮮なのだ。だからこそ一歩ずつゆっくり歩み寄り、育みたいと、そういうことなのだろう。
「俺のこと、なにかしら気に入る要素があったから〝付き合おう〟って言ってくれたんだろ? ならさ、もっと知ってよ、俺のこと。でさ、俺にも教えて? 尚斗のこと。俺は……お前のこともっと知りたい」
澄んだ瑠璃色の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。期待に満ちた眼差しに──射抜かれる。
〝嫌だ〟と……たった一言伝えれば良かった。けれど不思議なことに、その言葉はついぞ尚斗の口から告げられることなく、気がつけば、瞳に魅入られるように小さく頷き返していた。そんな尚斗の態度に安堵の息を漏らしながら、瑠璃色の瞳が、弧を描いて笑った。
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