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32.彼女の答え
「ようまめ、たいじしてやる。まてー」
幼い声が広場に響いた。
午後の勇者の広場は子供たちの遊び場だ。たくさんの子供が、いくつものグループに分かれてはしゃいだ声を上げている。
布でできたボールを蹴りあってる子たちや、石灰で石畳になにか書き込んでいるグループもいる。
ただ、いま一番のトレンドは勇者ごっこらしい。
久々の戦略会議を終えた俺は、広場の片隅に立ってその様子を眺めていた。
夕方の散歩の途中だった。
寝たきり状態で鈍った体を戻す第一歩は、歩くことだと言われている。まずは朝晩の散歩から始めて、やがてはジョギングもするつもりでいる。
「ゆうしゃのつるぎをうけてみろ。えいっ!」
木の枝を振り回しながら、ブロンドの髪の男の子が叫んだ。
聞いているたけでこそばゆくなってきて、自然と苦笑いが浮かぶ。
すると、
「勇者の剣をうけてみろ、えいっ」
まったく同じ台詞とともに、トンと肩を叩かれた。
振り向くと七瀬だった。
悪戯な笑みを浮かべて、すぐ後ろに立っている。
「ここにいたんだ」
微笑みながら隣に並んだ。
「子供たちの妖魔退治は楽しそうでいいね」
そう言いながら、広場の子供たちを見渡してる。
「あれは強いよ。可愛いは最強だから」
笑いながら、俺も広場に視線を戻す。
「ちっちゃい子って、どこでも変わらないよね」
「うん、俺もあんな感じだった」
「私も」
「七瀬も?」
「うん、ごっこ遊びが大好きで、あんなふうに走り回ってたの。私はセーラームーンだったなぁ」
「へえ」
ちょっと意外だった。どちらかというと家で本を読んでいるイメージだったから。
ただ、意外と気が強いところや正義感の強さを考えると頷けないこともない。小さな頃は明るく活発な女の子だったのだろう。
そのままふたりで、子供たちの妖魔退治ごっこを眺めていた。
すると、不意に、真面目な口調で七瀬が言った。
「さっきの話なんだけど、お城の人たちが恐れるのって、危険だからとかそういう事じゃないと思うんだ」
戦略会議で話の出た妖魔討伐隊のことだ。
「どういうこと?」
「あの人たちの統制の効かないところで、妖魔と戦おうっていう機運が高まって、人々が集まっていくのが怖いんじゃないかな」
「戦おうとするのはいいことじゃないの?怯えて縮こまってるよりよっぽどいい」
「妖魔のことだけを考えたらね」
話をしながら、どちらからともなく広場を離れ、屋敷に向かって歩き始める。
広場から屋敷までは、歩いて数分の距離にある。
歩きながら七瀬は続けた。
「問題は妖魔が退治できたその後のこと。みんなが力を合わせて戦えば、妖魔だって倒せるって分かってしまうことが怖いんだと思うの。一度そうなると、次は体制への不満にその力が向かわないとも限らないじゃない?」
「革命とかそういうこと?」
「うん、行き着くところはそうかも。初めはそこまで大げさじゃないにしても」
「城のヤツらはウザいところも多いけど、ここの人たちにそこまでの不満が溜まってるとは思えないけどな」
「ここの暮らしは豊かだもんね。いまは経済がうまく回っているみたいだし。ただ、ほかでは辛い思いをしている人たちもたくさんいるみたい。そういう国では、すでに体制への反乱の動きが出てきているんだって」
「そうなんだ」
七瀬のことだ、きっといろんな人に聞いてまわったんだと思う。
「まわりで戦いが起これば、ここだって影響を受けないはずないよ。外から買ってくる物の値段も上がるし、手に入りにくいものだって出てくる。戦いに備えて兵力も増強しなくちゃいけないし、暮らし向きは一気に厳しくなると思うの。そんな状況で人々の不満を抑えていけるだけの力が、お城の人たちにあればいいんだけど」
「難しいだろうね」
すかさず言った。
というか、アイツらには無理だと思う。
なるほど、そうなるのが怖くて、牙を抜いたままにしておこうと言うのなら分からなくもない。一瞬かしこくも思うけど、妖魔を甘く見すぎているあたりはやっぱりアホだ。いま現在の最大のリスクは妖魔なのだ。全力を傾けてでもヤツを退治する必要がある。そこを見誤ると滅ぼされかねない。
そうこうしているうちに、屋敷が見えてきた。
屋敷の前では、エリスが立って通りをきょろきょろ見渡している。
俺たちふたりを見つけると、ぱたぱた駆け寄ってきた。
「ケイト様、お食事の用意ができています」
俺の前まで来ると彼女は言った。
「ごめん、探しに言ったのに話し込んじゃった」
隣で七瀬が肩をすぼめてる。
「大丈夫です。いまは待ってもらってますから。じゃあ、お戻りになったって伝えますね」
それだけ言うと、ふたたびパタパタと屋敷に向かって走り出してる。
あいかわらず素直というか無垢というか、穢れというものが感じられない。野菜工場で育てられた野菜のような子だ。
その後ろ姿を見送りながら、「前から思ってたんだけど」と七瀬が言った。「エリスってちょっと似てるよね」
「桂木に?」
「うん」
ちょっとどころじゃない。見た目だけならかなり似ている。
ただ、中身が違いすぎて、最近ではあまりそう思うことがなくなってきている。
そういえば、と思った。
七瀬とこの話をするのは始めてだ。
「つき合ってたりするの?」
ふいに七瀬が聞いてきた。
一瞬、なんのことを聞かれているのかわからなかった。
「俺が?エリスと?」
とぼけた声で聞き返すと、
「そんなわけないでしょ」
バカなの?って感じの目で見られてちょっと焦った。
けっこう真面目に聞いているらしい。
「つき合ってなんかないよ」慌てて答えた。「桂木とはおな中で腐れ縁ってだけ。でも、なんで?」
そう思ったの?と聞いてみる。
「クラスが違うのに、たまに話してるのを見かけたから。仲いいんだなって思って」
七瀬は桂木のクラスの副担だったはずだ。
生徒の誰と誰がくっついたの別れたのを、先生たちは意外とよく知っている。教師としては、そういうことに気を配るのも必要なことなのかもしれない。
「一年の時は同じクラスだったし、顔を合わせば話すけどそれだけ。あいつももう少し素直さがあるといいんだけどね」
首を竦めた。
桂木とエリスは、外見こそ似ていても中身は正反対くらいに違ってる。七瀬が目にしたふたりが話している場面にしても、半分くらいは揉めてたと思う。
俺の答えを聞いた七瀬は、なんとなく嬉しそうな感じがした。
「ふぅぅん」と鼻を鳴らしながら、屋敷に向かって先に歩いていく。
俺と桂木の仲を気にしていたのかもしれない。
そう思うとちょっと嬉しくなった。
聞くならここしかかないと思った。俺が七瀬に確かめたかった、もっとも重大な質問だ。
「七瀬はどうなの?」
思い切って聞いた。
「私?」
と振り向く。
「そう、あっちの世界で、つき合ってる人とかいないのかなって思って」
一世一代の問いかけだった。
清水の舞台どころか、スカイツリーのてっぺんから飛び降りる心境だった。
そんな決死の問いかけに、
「いないよ」
彼女はあっさり答えた。
そればかりか、
「いたこともない」
そう付け加えるとくるりと背を向け、足早に屋敷に入っていってしまった。
通りのど真ん中に取り残された俺は、いくらなんでもそりゃ言い過ぎだろと思っていた。
いないという答えは嬉しかった。
ただ、七瀬ほどの女性に、これまでつきあった男がいないなんてあり得ない。
男嫌いとかコミュ障というならともかく、明るくて社交的、男性との受け答えにもそつがない彼女に、群がってくる男たちを拒絶し続ける理由を探す方が難しい。
それを『いたこともない』なんて答えるということ自体、真面目に答えてませんと宣言しているに等しい。
つまりは、その前の『いないよ』という答えすら信用できなくなってくる。
もしつきあってる男がいたとして、俺にそれを教えたら、この先戦うモチベーションが激減することは確かだ。
そう思って冗談ぽく誤魔化したとしても、それを責めることはできないのかもしれない。
そこまで考え、まただと思った。
うじうじ考えるのはやめようと思ったくせに、結局ここに戻ってきている。
七瀬が、俺と桂木の関係を気にしていたことも事実なのだ。
考え込むのはやめてとりあえずメシにしよう。
そう自分に言い聞かせ、俺は、彼女に続いて屋敷の中へと入っていった。
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