大晦日の月影寺

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大晦日の月影寺

 クシュン……グズッ。  朝起きてから、ずっと調子が悪かった。  やはりクリスマスに茶室で無理をしすぎたようだ。  体調が優れないことは、流には言っていない。話せば、あの日僕を抱いたことを後悔しそうだ。あの夜は……僕も求めていた、流の躰を強請ったのは、僕の方だ。  寝込むわけにはいかない。何故なら、今日は大晦日だから。これからまだお炊きあげに除夜の鐘など、新年を迎えるにあたり寺の住職としてやるべきことが山ほどある。  それは分かっているが、どうにも具合が悪く、少しの合間に自室に戻って畳の上に横になっていた。  少し休めばきっと良くなる……そう願って。 「これから本堂で、本年の無事に感謝をこめた読経を行ない、本堂前では古いお守りを燃やすお炊きあげをする。そして、そのまま除夜の鐘をつく」  僕のこれからの予定をわざと口にしてみると、ますます心配になってくる。 最後まで躰が持つか心配だ。おまけに今日は午前中に雪がちらつくほどの寒空だ。風邪が悪化しないといいが。  ほんの束の間、うつらうつらしていたのだろうか……廊下に人の気配を感じ、ハッと眼を覚ました。 「翠兄さん、そこにいますか。入ってもいいですか」 「……うん」  流? よりによって、こんな時に来るなんて。住職として兄としての立場では、やはり弱みは見せたくない。これは兄としての自尊心なのか。とにかく調子が悪いのを悟られないようにしないと……。 「翠兄さん?」 「…入っていいよ」  心して部屋に入って来る流に目をやった。 「えっ、流……その姿って」  驚いたことに、流はいつもの作務衣ではなく、袈裟を着ていた。しかも少しむっとした顔をしていた。  そのまま襖をぴしゃりと閉めて、ズカズカと僕の前にやって来たかと思うと、額に手をあてられた。 「あっ――」  避ける間がなかった。取り繕う暇も……なかった。 「あっ、やっぱり熱があるな、どうにも変だと思っていたんだ。読経の声が朝から少し掠れていただろう」 「……こんなの、たいしたことない」 「いや、熱も結構あるようだ」  あの宮崎旅行から帰って来てから、僕たちの関係は変わった。二人でいる時の流は、まるで僕より年上のようだ。周りに誰もいない時は、いつからか始まった敬語はやめて、昔のように流らしく豪快に話かけてくる。 「でも……なんで、その姿を?」 「翠の代わりに働こうと思ってな。翠は読経と除夜の鐘の最初だけでいいから。あとは俺に任せろ」 「そんなの、駄目だ。住職としての責任が」 「はぁ……翠はもっと俺に頼っていいんだ。もうこれからは……。いつも一人で頑張り過ぎだ」 「だが……あっ」  そのまま流の腕に抱かれると、張り詰めていた心が緩んでしまった。 「翠が真面目で忍耐強く、大切な仕事を自分の力でやり遂げようと、いつも努力していることを、俺はちゃんと知っている。だがな、何でもかんでも背負い込み過ぎるな。精神的にも肉体的にも消耗しやすくなるから」 「流……」 「誰かを頼ることは、恥ずかしいことじゃない」 「うっ……」 「分かったか、翠は俺の大切な人なんだ。翠の幸せを考えることが俺の幸せだ! だからお願いだからもっと頼ってくれ。それによって俺は生きていると実感できる」 「ありがとう……流が僕の傍にいてくれて、本当に心強い」  ずっと欲しかった言葉を、流は迷いなく僕に与えてくれる。  あの宮崎の夜……一線を越えてしまった後悔は欠片もない。  失うことによって、得るものがあったから。  何かを得るためには何かを失うことも必要だったというわけだ。  もう恐れてはいない。  今の流に出逢うには、あの一夜を、あの一線を超える必要があったのだから。 「翠。じゃあ、ご褒美をくれ」  流の指が僕の顎に触れ、そのまま上を向かされる。 「駄目だ。風邪がうつってしまう!」 「はっそんな柔な躰じゃない」 「あっ……」  寺の中では駄目だ。  そう思うのに、結局は許してしまう。  僕は流が好きだから。  僕が流を愛しているから。  流が近くにいてくれれば、それだけでいい。 「……流、頼んだぞ」 「了解だ。さぁ立てるか。行こう! 俺が全力でサポートする!」 「ありがとう。僕の流……愛している」  背伸びをして……僕の方から、流の唇をスッと奪った。 「すっ、翠は、時々大胆になるな」  流の顔が、瞬時に赤く染まる。普段しないことをすれば動揺するのは尤もだ。こんな所はまだまだ弟らしく、可愛い……。    だが次の瞬間、腰を支えられ力強く抱かれ、耳元に熱い息をかけられた。   「俺の翠……愛している」   心強い言葉を交わせば、満ちてくる。  躰に生きる力が宿ってくる。  間もなく年を越す。  来年もそのまた次の年も、僕の傍に必ずいてくれ。
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