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慈しみ深き愛 21
オレ、なんだか馬鹿みたいだ。
流さんが仕立てた着物と聞いて、女物なのに、柄にもなく着てみたいと思うなんて。
昔から少しでも中性っぽい服を着て歩こうものなら、街で女の子と間違えられて、変な奴に声掛けられてうんざりしていた。女顔だって周囲から揶揄われるのが嫌で、文化祭やクラブの合宿の余興で女装めいたことなんて絶対にしなかったのに、我ながら健気だな。
きっと父さんを想って仕立てた着物だって分かっているのに、それでも着てみたいなんて、どんだけ、まだ。
あーあ、もうとっくに吹っ切ったんじゃないのか。流さんへの想い。
「薙、着せてやるから来いよ」
「……うん」
流さんは父さんの弟で、去年、辛い事件に巻き込まれ苦しみ傷ついた父さんを救ってくれた人だ。
オレもその事件を目の当たりにし、オレを庇い犠牲になった父さんへのわだかまりがなくなったことも手伝って、淡く芽生えていた恋のカケラを潔く捨てた。
「ふぅん……薙はまだ細っこいな」
長襦袢を着せてもらうために上半身裸になったオレの躰を見ても、まるで子供扱いだ。確かにまだ少年の身体は、肉も薄っぺらい。父さんに似た顔だからって、何もいい事ないよな。
永遠に叶わない、敵わないよ。
だってもう流さんが欲しかった父さんは、流さんだけのものになったんだもんな。
オレさ、ここにいる間はいい息子を貫くよ。もう父さんを絶対に悲しませたくないし、流さんにもずっと笑っていて欲しいから。でもそれは高校を卒業するまででいいか。ここにいる限りオレの想いは燻ったままだ。だから一度外の世界を見てみたい。
いつの間にかオレの中で決まった決意は、まだ誰にも言えない秘密だ。
あーあ、流さんを好きの「好き」はやっぱり本物だったんだな。
流さんと息が届く距離にいる。ドキドキ胸を高鳴らせながら、手際よくオレに着物を着付けていく様子を見続けて、つくづく思った。
「さてと完成だ! 薙、ちょうど髪が伸びていたから、いい感じだな」
鏡台の前に立たされると、鏡の中で流さんと目が合った。
どう? オレじゃ……駄目?
「似合うな……すごく」
あぁ……やっぱりダメだ。その目に映るのは、オレを通り越した遠い昔のオレの年頃だった父さんだ。こんなのは、分かりきった虚しさだ。
でも父さんも流さんも、何も悪くない。勝手に叔父に恋したオレのせいだ。
ずっと昔から大きな心でオレを包んでくれたので、当たり前のように寂しさを埋める対象として好きになってしまっただけさ。
恋に恋しているだけかもしれない。でもやっぱり人知れず諦めるって辛い事だと、笑顔の奥でジンと思った。
外の世界に行けば、きっといつか流さんを超える人と出逢える。そう信じるようになっていた。
あと四年の時が過ぎるまでは、あなた達のいい息子、いい甥っ子でいるから、オレが羽ばたく時は引き留めずに……行かせて欲しい。
「美人だろ? 見惚れちゃう? ねぇ、流さん」
せっかく流さんの手で綺麗に着付けてもらえたのだから、出来るだけ明るく振舞おうとした。
「……薙、お前、無理しているな」
「な……なんで? そんなことないよ」
「お前少し前まで……あんなに尖がっていたのに、急にいい子過ぎるぞ。それに、こんなことするノリでもなかっただろう? もしかして兄さんのためか」
「ちっ、違うよっ!」
着物姿のまま部屋から出ようとしたら流さんに腕を掴まれ探るように聞かれた。掴まれた部分が妙に熱く、パニックを起こしそうだった。
「……これもオレだよ。無理なんてしてない!」
「確かに兄さんはお前が心を開いてくれたのを喜んでるよ。だがな……俺には甘えろ。不平不満があればちゃんと言え。そんなに俺の前では、いい子ぶらなくていいんだ」
頼もしい胸板に押し付けられるように肩を抱かれて、不覚にも涙がこみ上げてきた。はっ、流さんにはお見通しなのか。オレが無理してるの……。
やっぱりすごいな。昔からオレの些細な感情を丁寧に拾ってくれて大らかな空気で包んでくれる。頼り甲斐があって温かく、大好きな叔父だったから、欲しくなってしまったんだな。
「分かったから、もう離せって! キツっ」
「あぁ、つい……悪かったな。でも薙、今言ったことは忘れるなよ」
きっと、こんな女物を着たせいだ。こんな弱い気持ちになってしまうのは。流さんの何気ない言葉が、いちいちこんなに響くなんて。
「……分かったよ」
なんとかそう言い残し、父さんの元にパタパタと歩きにくい着物姿のまま向かった。
「え……本当に薙なの?」
父さんはオレの顔を見るなり目を丸くした。それからまるで遠い日を思い出すような、少し寂し気な表情になった。
「お前は本当に似ているね、僕に……それからあの子にも」
「……もしかして父さんも、こんな格好をしたことあるのか」
「いや、着物はないけど、巫女の衣装ならあるよ」
「ふぅん」
「もしかして薙が女の子だったら、こんな感じだったのかな」
「もう、父さんまで変な想像しないでくれよ」
「ははっ! ごめん、でも今日だけは姫でもいいんじゃ」
「良くないって!」
そういう父さんの作務衣姿は全然似合ってないんですけど……と言ってやりたくなったが、なんだかそれも傷つけそうなので、やめておいた。
ところで父さんがさっき言った「あの子」って誰だろう。聞いていいのかどうか迷っていると、丈さんと洋さんが元気に帰宅した声が母屋の玄関から響いてきた。
その声に反応するように、父さんの表情も花が咲いたように明るくなった。
「洋くんたちが戻って来たみたいだね。薙はここで待っているといい。お前の姿を見たら、きっと驚くよ」
***
部屋を出て行く薙の華奢な後ろ姿を見たら、急に不安がこみ上げてきた。
アイツ……もしかして俺達を置いて、ここから羽ばたいて遠くに行ってしまうのでは。
翠と違って強気な性格の薙が、あの事件以来、妙に従順過ぎて心配だった。
今日だって自ら女性の着物を着るなんて、あり得ねぇ。
翠にこんな相談をしたら不安がるだけだし、自分のせいで薙が感情をセーブしていると知ったら悲しむだろう。ただでさえ翠は事件の後遺症で、危うい状態なのだ。
それにしても……さっき目が霞むと言っていたのが、気になってしょうがない。またあの月影寺に戻って来た頃のようになってしまわないか、怖くてたまらない。
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