追憶の由比ヶ浜 4

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追憶の由比ヶ浜 4

「あなたたちを見ていると、楽しい気分になるわ。春子ちゃんのピン留めは何十年経っても健在だし、昔に戻ったみたいね。あぁ嫌だわ、涙が……。ここに海里先生と柊一さんがいればもっと良かったのに……二人ともいないなんて寂しいわ」 「あぁ泣かないで……白江さん」 「ううっ……春子ちゃんっ」    私がかつて抱きしめてあげた春子ちゃんに、今は抱きしめられるのが不思議だった。  彼女の髪には、今も金色のピンがついている。 「これ、あの時のよね……よく今まで無くさなかったわね」 「私が兄に助けられ冬郷家にやってきてすぐでしたよね。白江さんに、天から舞い降りてきた金色の……葉っぱのカタチのピン留めをつけてもらった時から、私は自由になりました。実は何度か落としたりしたのですが、不思議と拾ってもらったり届けてもらえたり……どうやら離れられない縁があるみたいです」  離れられない縁……。  確かに、海里先生と柊一さんも縁深い者同士だったから、追いかけるように逝ってしまったのね。  海里先生の身体が病魔に冒されているのが判明し、私が貸してあげていた由比ヶ浜の診療所を閉めて、この白薔薇の屋敷に二人が寄り添うように戻って来た。  最期の最期まで……二人は穏やかな時間を過ごしたのよね。  私も向かいの自宅から、彼らの最期の1年をそっと見守った。  旅立ちの朝は、庭が輝いていたわ。  とうとう天使がお迎えに来たのだと悟ったものよ。  でも、海里先生が亡くなって数年で、柊一さんまで逝ってしまうなんて、早すぎるわ。 「白江さん……兄たちを偲んで下さって嬉しいです。でも今日は……白江さんのお孫さんが見つかった話をしませんか。新しい縁に、どうかその熱い思いを向けて下さい」 雪也さんの言葉に、背中を押された。 「春子ちゃん、聞いてくれる? 夕の息子が見つかったのよ」 「え……あのゆうちゃんのですか」 「えぇ」 「良かったですね。白江さん……会えて良かったですね。お名前はなんというのですか」 「洋……ようちゃんよ。とても綺麗でひたむきな青年なの。春子ちゃんにも会わせたいわ」  春子ちゃんも、頬を紅潮させていた。    夕が亡くなったことは、事前に雪也さんが話してくれていたようで、悲しい説明を再びしないで済んだわ。 「会いたいです! 私もぜひ」 「今度、泊まりに来て貰うのよ。その時に紹介するわね」 「わぁ! 楽しみです。じゃあ兄たちも一緒に。兄たちもゆうちゃんとよく遊びましたしね」 「そうね。ふふ。老人ばかりのお茶会になるけど、大丈夫かしら」 「私達は皆、心はイキイキしていますから大丈夫でしょう!」  春子ちゃんと話していると元気をもらえるわ。    そうね外見よりも、心の若さを大切にしないとね。  柔軟な心は若い証拠よね!  私も、残りの人生を謳歌したいわ。  今の私の周りに煌めく……恵まれた幸せを、みんなで大いに楽しみ、喜び合いましょう。  若い人達の輝きを見守りながら、前向きに過ごしたいわ。    **** 「じゃあ翠さん、開けますね」 「……あぁ、気をつけて」  ゴクリと喉がなる。    この診療所が閉ざされてから、どのくらいの年月が経っているのか正確には分からない。白江さんの話よると、あまりに愛おしい人たちが住人だったので荷物を整理出来ず、部屋の中は……当時のままだそうだ。  それがかえって翠さんにとって、良かったと思いたい。  翠さんが離婚されて月影寺に戻って来た時、実はストレスからくる視力障害で視力を失っていたと先日丈から聞いて驚いた。  こんなに思慮深く優しい翠さんが、そこまで自分を追い詰めた原因となる出来事とは何だったのか。  焦らない……ゆっくりでいい。  翠さんが長い年月に渡り隠し通す物を、今回は無理矢理掘り起こさない。  既に時間が経過し過ぎているし、翠さん自身の固い意志で己を律して封じ込めたのだ。  でも……俺、寄り添いたいです。  翠さん、あなたに。  あなたは俺にとって大切な兄です。  だから全てが壊れる前に、ヒビが入っているのなら修復の手伝いを……一度壊したいのなら壊して……とことん付き合います。    とにかく、中へ入ってみよう。  まだここに留まってくれている、優しい思い出に触れてみよう。  
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