追憶の由比ヶ浜 14

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追憶の由比ヶ浜 14

「ただいまー、あぁ腹減った」  玄関に部活の荷物をドカッと置き靴を脱いでいると、父さんがやってきた。 「薙、おかえり」 「あ……うん」  父さんは浴衣姿で、風呂上がりの良い匂いがした。目元が腫れぼったいのは……一体どうしたのだろう? また何か嫌なことを思い出したのかと不安になる。 「薙、部活お疲れさま。お腹が空いているだろう? 今日は焼き肉だよ」 「ほんと? あぁもうペコペコだよ」 「くすっ、育ち盛りだもんな。さぁ手を洗っておいで」 「うん、父さん……あのさ、今日、何かあった?」  我慢出来ずに聞いてしまった。だって心配だ。子が親を心配するのは普通だろう? 「薙、ありがとう。お前の存在が嬉しいよ」  優しく穏やかな思慮深い瞳……いつもの父さんだ。  父さんの顔には泣いた痕はあったけれども、表情も声の調子も晴れ晴れとしていた。もう、心は泣いていないようだった。 「父さんは、何か進むべき道筋が見えたような顔つきだな」 「えっ、随分と大人びたことを言うんだな。薙は……」 「オレだって、来年には高校生だからね」 「そうだね、そういえば受験生だ。進路のことも今度話し合おう」 「う……うん、あとでな!」  ヤバイ! 勉強に話が触れたので、そそくさと洗面所にかけこんだ。  **** 「洋、今日は母屋で食事を取らないか」 「あぁ、いいね」   シャワーを浴びていると、丈に声をかけられた。  ふぅ……結局あのまま、ソファに移動して丈に抱かれた。  丈は労るように優しく俺に触れて、俺を癒やしていった。  丈の手は不思議だ。  丈の身体は不思議だ。  お前はすごいよ。いつの時代も俺を癒やしてくれる存在だ。俺は丈がいればいつでも何度でも浄化してもらえるので、安心して今日……翠さんに同調できたんだ。俺の惨い過去……義父にあの日されたことも、翠さんにちゃんと話せた。  髪を乾かしながら、窓の外に目をやった。  竹林の合間に、美しい月が見える。 a776c0e8-80bf-4a52-bfff-d59cb2c97bb9  そういえば、幼い頃から俺はいつも夜空を見上げていた。  夜空に浮かぶ月を見上げると、自然と瞳が濡れるのが不思議だった。  時に母が亡くなった後は特に頻繁だったな。  孤独に苛まれ、怯えていた。 『もう……叶わない』という、切なる想いに埋め尽くされていた。  遠い昔の俺の姿が、今の俺には見える。  月を受け止める湖で悲し気に宙を見上げて泣いたのは、洋月の君だ。   『ただ会いたくて、ただ抱いて欲しくて……丈の中将……君ともう一度……重なりたい』  萩の咲く秋の野原で、闇雲に剣を振り回して、必死に心を静めようとしていたヨウ将軍の瞳も潤んでいた。   『何故だ? どうして――ジョウ、医官のジョウ。お前がいなくて誰が俺の傷を癒やすのだ? 会いたい!』  2つの悲しい魂……思慕する心を持って、この世に生を受けたと、丈と出逢って初めて知った。 「洋、大丈夫か」 「あぁ、少し懐古していたが、もう大丈夫だ」 「そうか」  丈は物静かな男だが、俺の全てを理解し、俺の全てを明け渡せる男だ。 「待たせたな、行こう」 「あぁ!」  手を繋げば、今でもビリッと電流が走るようだ。  運命の人――だから。 「丈、なんだか上機嫌だな」 「そうか……洋、さっきのアレ、もう一度呼んでくれないか」  何を言うのかと思ったら……不器用な丈らしい。  俺はわざと聞き返す。 「なんだっけ?」 「コイツっ」  額を指で軽く弾かれると、笑みが零れた。  すると母屋に玄関に、作務衣姿の流さんの姿が見えた。 「おーいお前たち、遅いぞ! 早く来い!」 「あ、はい! すみません」  俺が走り出すと、流さんが楽しそうに丈を呼んだ。   「おーい、澄ました顔してないで、じょうちゃんもほらほら、走れよ」   じょうちゃん!?  どうやら流さんも上機嫌のようだ。  雄々しくも大らかな流さん、この人が傍に居れば翠さんは大丈夫だ。  俺を癒やすのが丈ならば、翠さんを癒やすのは流さんだ!
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