花を咲かせる風 39

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花を咲かせる風 39

 カラン、コロン――  竹林の奥から、鈴の音がする。  可愛い足音と一緒に、どんどん俺の方に近づいて来る。  薙くんが作ってくれた明るい道を、真っ直ぐに駆けてくる。  利発そうな坊やが満面の笑みで息を切らせて…… 「ま……まこくん!」  咄嗟にそう呼んでいた。  今、俺が立っている場所が、どこだか分からなくなる。  時空がぐにゃりと揺れるような衝撃を受けた。 「洋、抱きしめてやるといい」  しかし……今の俺は一人ではない。  丈がしっかり俺を支えてくれている。 「まこくん、おいで!」  両手を思い切り広げて、しゃがんだ。    夕凪なら、きっとそうすると思ったから。   「おかあちゃま! おかあちゃまだ!」  俺は少年を深く強く抱きしめてやった。  着物姿のまま高く抱き上げてやると、まこくんが本当に嬉しそうに笑ってくれた。 「おかあちゃま、おかあちゃま、もう具合はよいのですね」  これは幻だと思うのに、湿った竹林の空気の中に日溜まりのような匂いが立ち込める。   「ぼくね……おかあちゃまに……ずっと、だっこしてもらいたかったんです」 「まこくん……ごめんね。俺が不甲斐なくて……そうだ……鈴を見つけたんだ。あの日……祇園白川に落としてしまったものを……」  自然に口と身体が動く。  まこくんのおこぼ(子供用の下駄)に、夕凪のがま口に入っていた鈴をはめてやった。   「あ……これ……見つかったの? ありがとう! ぼくは……ずっとずっとおかあちゃまが大好きでした」  大好きでした……? 「あっ、まこくん」  腕の中のまこくんが、煙のようにふっと消えてしまった。 「あ……君は……君は……どこへ」 「これで……おかあちゃまとずっといっしょです」    いつの間にか、目の前に一人の紳士が立っていた。  俺を見て、目を見開き絶句している。 「あの……」 「き、君は……」  紳士は喪服を着ていた。  紳士は胸元に遺影を持っていた。  写真の中で穏やかに微笑む老人は……まさか……面影が…… 「まっ、まこくんですか。その人は……」 「私の父を知っているのですか……父をその名で呼ぶなんて……」 「……‼」 「君は……まさか……夕凪さん? 父を迎えに来てくれたのですか」 「あっ……」  なんてことだ。  俺が京都に来てから何度も何度も夕凪とまこくんと邂逅したのは……まこくんの臨終の時だったからなのか。  おかしい……記憶がバラバラだ。先程、電車の中で見た光景では……まこくんは、もっと早く亡くなっていると思ったのに……違ったのか。  つい最近まで、存命だったのか。 「あ……あなたは誰ですか」  緊張のあまり……喉が詰まって上手く声が出ない。  でもどうしても聞かないと…… 「私は信の息子です」 「息子! あ……あなたの……お名前は?」 **** 「夕凪……具合はどうだ?」 「あっ、信二郎か……まこくんは?」 「もう眠ったよ」 「そうか……最近胸が苦しくて抱っこしてあげれなくて……辛い」  信二郎の表情が曇る。 「そのことだが……医師の診察の結果が出た」 「……どうだった?」 「夕凪……君の心臓は想像より悪いんだ。まこを育てる体力がないほどに……」 「え?」 「……相談の上、まこは律矢さんが引き取ってくれることになった」 「そんな……」  双眸から涙が溢れる。 「俺の……まこくんなのに……そんなの嫌だ! 嫌だ! うっ……」 「あぁ馬鹿……興奮するな。私も……私も……まこが夕凪と私の子供だと錯覚して……この七年間、浮かれ気味に過ごしてしまった。君の体調の変化にすぐに気付いてやれず、すまない」 「俺のことなんて、どうでもいい」 「馬鹿、そんなこと……二度と言うな」  いつも冷静沈着の信二郎の目からも涙が溢れる。 「いつか……また巡り会えるよ。次の世か……そのまた次の世か分からないが、まこと夕凪はとても近い場所で出会うだろう。まこは私の血を真っ直ぐに受け継いでいるからな……もしかしたら今度は夕凪がまこの子供になっているかもな」  信二郎なりの励ましだったのだろう。  その言葉に、微かな希望を抱く。 「それでもいい……まこくんの近くに生まれ変われるのならば」 「夕凪……私もそれでもいい。次の世でも夕凪の傍にいられるのならば……」 「信二郎……」    
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