花を咲かせる風 46

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花を咲かせる風 46

  素晴らしい邂逅と出会いを経たというのに、僕の心は寂しさを訴えていた。  それは……  心の中でそっと愛しい人の名を呼んでみる。  一緒に分かち合いたい人の名を――     「ん? どなたか……お客様がお見えになったようだ」 「はい?」  突然……信一さんがスクッと立ち上がり中庭に面した硝子窓を開けると、一陣の風が吹き込んできた。  強風をまともに顔に浴びて、僕の髪が乱れた。  同時に心も乱れる。  胸が良い意味で、ざわざわと。  庭の向こうから誰かが……木漏れ日を置き石のようにヒョイヒョイと飛び越えてやって来る。 「えっ!」  僕は自分の目を疑った。  ここにいるはずもない人の姿を捉えたから。 「よぉ!」  朗らかに手をあげて、僕を呼ぶのは…… 「兄さん、迎えに来たぞ」 「りゅ……流、ど、どうしてここに?」 「あー 実は最初から最終日は京都まで迎えにくるつもりだったんだ。だから今日はもう京都に着いてウロウロしていたんだ。そこに丈から居場所の連絡が入ったというわけさ。いい弟を持ったよな」  丈は澄ました顔で、背筋を伸ばしていた。 「丈、いつの間に?」 「ここに流兄さんだけいないのは、変でしょう」 「そ……それは僕もそう思っていたが」  本当は……夕凪と邂逅する度に、心の中で流を探していた。   「流石、俺の丈だ。気が利くな」  洋くんが満足気に微笑むと、丈は面映ゆい顔をした。   「まぁ……その……流兄さんが心配しているかもと、居場所を知らせたんだ。まさかもう京都に来ているとは思わなかったが」  そうか……そうだった。  湖翠さんの元に流水さんが迎えに来ることは永遠に叶わなかったが、今生では違うのだ。  こんな風に、いつだって流が現れる。    僕を迎えに来てくれる。  それが嬉しくて溜まらないよ。 「月光寺のご住職殿……ご紹介します。僕の弟の流です。ここまで迎えに来てくれました」 「ほぅ流さんというのか。『行雲流水(こうううんりゅうすい)』のようなお方ですな」 「それは仏教用語で、修行しながら様々な国を巡る僧のことですね。そうですね、弟は僕の行く道に必ず現れるのです」 「それだけ縁が深いのですね」 「それはもう……言葉では言い表せない程に」  湖翠さんの孤独な魂は、ここでまた昇華される。 …… 「夕凪……夕凪……本当に……逝ってしまったのか」  あぁ大切な弟に先立たれてしまい、僕はまた一人になってしまった。  寂しい、寂しいよ。  可愛い弟だったんだ。君は……  流水と一緒に可愛がった弟が、まさかこんなに若くして逝ってしまうなんて。  信二郎さんと祇園から駆けつけた律矢さんが夕凪の亡骸に縋り、慟哭している。  僕は病室からそっと抜け出し、廊下を見渡した。  僕の流水はどこに行ってしまったのか。  もう……逝ってしまったのか。  いつも僕を支えて、望めば必ず傍に来てくれた流水の姿は、どんなに目を凝らしても見えなかった。  僕の目ははっきりと見えるようになったのに、流水の姿が見えないなんて……やはり残酷だ。 ……  湖翠、ごめんな。  今すぐ、そこに飛んでいきたいよ!  湖翠の涙を、優しく吸い取ってやりたい。  寂しさを分かち合い、抱きしめてやりたい。    あぁ、流れる水のように自由自在に湖翠のもとに辿り着けたら、どんなにいいだろう。    だが、もう生身の身体がないから叶わぬ夢だ。  いつも傍にいたかった。    この無念は必ず晴らす。  湖翠の一番近くに、絶対に生まれ変わってみせる。  もしもその夢が叶ったならば、どんな時でも駆けつけるからな。    もう離れないし離さない。  だから心の中で俺を呼べ――  呼んでくれ。 ……      
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