翠雨の後 10

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翠雨の後 10

 一人で黙々とバスケットをする男の子の顔には、見覚えがあった。 「流、あれって涼くんじゃないか。ほらっ、洋くんの従兄弟の」 「あぁ、洋くんに瓜二つの顔を見間違えるはずがない。しかし今日来るなんて聞いてなかったが……おーい!」  流が大声で呼びかけると、シュートを打つ手がぴたりと止まってしまった。 「すみません、勝手に! 通りがかったらボールまであったので、つい」  僕たちの顔はろくに見ずに慌ててボールを置いて、風に飛ばされた帽子を拾って再び目深に被り、そのまま走り出しそうになったので、慌てて引き止めた。 「待ってくれ、僕たちだ! 月影寺の翠と流だよ」 「えっ!」 「君は涼くんだろう? 久しぶりだね」 「あ! 翠さんと流さんだったのですね。いつもと服装が全然違うので分からなかったです。あの……翠さんのそれって、もしかして変装ですか」 「くすっ、流、だから言っただろう。これは変装レベルだって」 「んなことない。大人のジーンズはカッコいいと皆が言っている」 「皆って誰? あ、それより涼くんは洋くんに会いに来たの?」 「その……連絡もなしに来たので」  何だか少し様子が変だ。こんな時はどう対応すべきか。  すると流が着ていたトレーナーを脱いで、半袖になった。   「涼くん、まずは俺たちとバスケしないか」 「え?」 「……相手が欲しかったんじゃないのか」 「どうして、それを?」 「俺は察しがいいのさ! さぁやろうぜ! 翠も一緒に」 「うん、そうだね」    流の言う通りだ。  詳しくは分からないが、燻る想いは身体から早く発散させるのも手だ。  かつて流への秘めたる思いに翻弄され、滝行に夢中になったのを思い出した。 「じゃあ、僕も」  僕も真似して厚手のトレーナーを脱ごうとしたら、慌てた流に制された。 「ストップ! 翠は脱ぐなーっての!」 「どうして?」 「その……怪我したら困るだろ!」 「過保護だね」 「くすっ、流さんと翠さんって相変わらず仲良しですね」 「あ……いや、そんなつもりでは」 「隠さなくてもいいですよ。僕も……そんな風にオープンにしたいな」 「涼くん、何かあった?」  涼くんの華やかで美しい顔は、さっきから明らかに曇っていた。 「……何でもないです。何もないです。何もないから、ここに来たんです」  意味深な言葉だ。 「涼くん?」 「さぁ早く勝負しましょう!」 「……よーし!」  何も話したくないのなら、今は聞かない。  聞かないけれども、話したくなったら話しておくれ。  僕たちは数々の試練を乗り越えて、今ここにいる。  だから寄り添うことも、話を聞くことも、君が望むことを何でもしてあげたい。君は僕たちの弟の片割れのような存在だから、放って置けないよ。  涼くんはカモシカのようにコートを縦横無尽に走り周り、あっという間に僕たちの間を潜り抜け、シュートを決めまくった。  しかし……涼くんは隙がないように見えて、心は隙だらけに見えた。 「ハァハァ、僕の勝ちですね!」 「あー 涼くんのバスケの腕前はすごいな。プロレベルだ!」 「ありがとうございます。あの、じゃあ僕……やっぱり、これで帰ります」  一礼したかと思ったら、荷物をまとめて月影寺とは逆の方向にスタスタと歩き出してしまった。  これは捨ておけないよ。  僕の意を察した流が、素早く動く。 「待てよ! いいから月影寺に寄っていけ」 「帰ります」 「つべこべ言わすに来い!」 「……いいんですか」 「もちろんだ!」  流がクリーニングを取りに行ったので、僕と涼くんで先に帰ることになった。 「翠さん、どうして何も聞かないんですか。僕少し変なのに……」 「ん? 聞いた方がいいかな?」 「いいえ……今は」  涼くんは思い詰めた顔で、首を横に振った。 「涼くん、君は一人じゃないよ。今の君のことは洋くんが一番理解してくれると思うよ。だから頼ってみるといい」 「あ……はい」  寺の山門に着くと、洋くんが階段を駆け下りてきた。 「涼! 今、探しに行くところだった」 「洋兄さん……どうして僕が来ることを知って?」 「さっき安志から連絡があった。心配したよ」  洋くんが、涼くんを力強く抱きしめる。    過去を薙ぎ払った洋くんは、とても頼もしく見えた。  よし、この先は君に任せて大丈夫そうだね。  洋くん、さぁ君の出番だ――  人には役がある。    今がその時だ。
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