翠雨の後 41

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翠雨の後 41

 高校からの帰り道『月下庵茶屋』に立ち寄った。 「あら、すいちゃん! りゅうちゃんも一緒なのね。あら? もう一人すいちゃんがいるわ」 「あっ、この子は僕の息子の薙ですよ」 「まぁ‼ あなた、すいちゃんにそっくりよ」 「よく言われます」 「薙、月下庵茶屋の大女将さんだよ」 「こんにちは」  薙は照れ臭そうにペコッと挨拶をした。 「父さん、若い頃からここの常連なの?」 「うーん、どうかな? 常連なのは流だよ。僕は付き添いだった」 「ははっ、確かに昔は腹を空かせた俺を連れてよく通ったもんな。今は翠の方が多く通っているよな」  確かにその通りだ。  小坊主小森くんを15歳で寺で預かってから、来訪回数が増えた気がする。    まだ15歳で仏門に入った小森くん。  最初は慣れない世界に戸惑って、昼過ぎにはくたびれてしまっていた。  一度あんこをあげたら、みるみる元気になったから、それから、ついね。 「さてと、今日は何を買おう?」  ショーケースを眺めると、桜色の和菓子が目に入った。 「すいちゃん、今日は桜餅がおすすめよ」 「いいですね。これを15個下さい」  小森くんに似合いそうだと微笑むと、流に小突かれた。 「おい、いくらなんでも買いすぎだ」 「でも……一人で留守番をしてくれたから。あの子は一人で7、8個はいけるだろう」 「甘やかしているな。アイツ、いつか虫歯になるぞ」 「そうかな? でも可愛い色だし、なぁ、いいだろう?」  流が隣で呆れ顔をしている。  薙はお腹を擦って、ひもじそうな顔をしている。 「父さん、オレは甘い物より腹に溜るものがいいよ」 「そうだね。さぁ急いで帰ろう。流、今日の昼食は何にしようか。薙は何を食べたい?」 「ジャンクフード!」 「ん? 流、そういうのも作れる?」 「俺に任せとけ! ハンバーガーでも何でも作ってやるよ」 「ほんと! やった! いつも和食の頻度が多いからさ~ オレ、ハンバーガー大好きなんだ」  薙ってば、でも、確かにそうだね。  育ち盛り、食べ盛りだ。  これからはもっと薙に寄り添いたいよ。  子供の成長は早い。    高校の三年間もきっとあっという間に過ぎてしまうだろう。  だからこそ、親子の時間を大切にしたい。 「さぁ、帰るよ」 「父さん、荷物、持つよ」 「ありがとう」 ****  よし! 月影寺に帰るぞ!  俺たちのホーム、月影寺に。  洋も涼くんもお腹を空かせているだろう。  俺がパパッとハンバーガーを作ってやるからな。  こんなこともあろうかとバーガー用のパンも用意していたんだ。  ところが月影寺が近づくにつれて、一抹の不安を覚えた。 「翠、なんか寺の方が焦げ臭くないか」 「そう?」 「まさか……洋が!」 「まさか、洋くんには火は起こせないはずだよ」 「だが心配だな」  近づけば近づくほど、やはり焦げ臭い。  なんだ? この匂いは……  心配になって、俺は山門の階段を一段抜かしで駆け上がった。  竹藪を掻き分け、焦げ臭い匂いのする方へ向かった。 「洋! 無事か!」  そこは、いつの間にかBBQ会場になっていた。  黒いエプロンをつけた洋が立っていた。 「あ……お帰りなさい! あの勝手にすみません。薙くんがお腹空かせて帰って来るだろうと思って、涼と小森くんと一緒に準備して待っていました」   竹藪にはポスターがかかっていた。 『Congratulations on starting high school!』  なんと……なんと!  入学祝いを企画してくれたのか。  いつも引っ込み思案で輪の外にいってしまう洋自ら、飛びこんで来てくれたのか。  その気持ちが嬉しかった。  これは涼くんの影響だな。  涼くんの放つ太陽のような明るい気は、洋を明るく染めてくれる。  涼くんの心の焦げ付きは、洋が静めてくれる。  二人の関係は、最高だ。 「上手そうだな~ オレ、腹ぺこなんだ」 「薙、手を洗ってからだよ」 「はーい」  薙と入れ違いに翠に飛びつくのは、小森風太。 「住職さま~ 僕、がんばりましたよ! いい子にあんこじゃないものを捏ねました」 「小森くん、ありがとう。君は手先が器用だから、戦力になったようだね。ほらご褒美だよ」 「わぁー 桜餅ですか。綺麗な色ですね」  桜餅に目を輝かす小森を見ていたら、急に創作意欲が湧いた。  アイツを桜餅に見立てた衣装を作ったら、翠が喜びそうだな。  いや、喜ぶのは菅野か。  ハヤク、クッチャエ……  いずれにせよ、俺はきっと今晩、桜餅色の小坊主の衣装を作っているだろう。  翠の喜ぶ顔が見たいからな。  ただ、それだけだ。  けっして小森風太を溺愛しているわけではないぞ!  見れば、洋の頬も薔薇色に染まっていた。 「あの……流兄さん、賑やかなのっていいですね。入学式お疲れ様です。俺もお祝いしたかったので、真っ直ぐ戻って来て下さってありがとうございます」 「俺たち家族で過ごすのは、どんなご馳走よりも幸せだからな」 「はい、俺もそう思います! 心の底から楽しい気分です!」  洋が白い歯を見せて明るく笑ってくれたので、俺と翠は顔を見合わせて喜びあった。  洋は……こんなに心を開けるようになったんだな。  良かったな。  もっとこっちへ来い。  俺たちの中へ、もっともっと入って来い!
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