天つ風 27

1/1
前へ
/1578ページ
次へ

天つ風 27

 今日は薙くんが通う高校の体育祭だ。  翠さんと流さんは朝から観覧に行ってしまった。  寺が忙しいのなら手伝おうと思ったが、今日は閑古鳥が鳴いているようだ。  縁側で小森くんが大きな欠伸をして、伸びをしている。 「小森くん、何か手伝うことある?」 「洋さん、今日はとくにないですよー 朝から誰も見えません」 「そうか」 「あの、あの、洋さんは体育祭を見に行かれないのですか」 「えっ」 「行きたそうな顔をしていますよ」  参ったな、図星だ。  小森くんは察しが良い所があるからな。    翠さんに誘われた時、お邪魔だと思い速攻断ってしまったが、実は俺も高校の体育祭に興味があった。 「そ、そうかな?」 「そうですよ。心に素直になると、風通しが良くなりますよ。さぁさぁ行ってらっしゃい。まだ午後の部に間に合いますよ」 「小森くんはいいの?」 「エヘン! 僕は今日はお寺を任されていますので、どうぞ! おやつもいっぱいなので問題ないです」 「じゃあ、行ってみるか」 「洋さん『天つ風』ですよ」 「ん?」 「今日はいい風が吹いているので天上の人と繋がりやすい日です! 南無~」  天つ風とは、大空を吹く風のことだ。  小森くんの言葉に背中を押され、俺は月影寺を出た。  こんな風に俺が一度決めた考えを改め、思いつきで行動するのは珍しい。  昔は一挙一動を、あの人に監視されていたから、勝手に動かないのが癖になってしまったのか。  結局、高校の体育祭には一度も行かせてもらえなかった。 「そんなむさくるしいものには出なくていい。病欠にしておくから、お父さんとデートしよう」と、無理矢理欠席させられた。  だからなのか、見てみたいという気持ちに押し動かされるのは。  虫食いのように穴だらけになってしまったが、あのロッカールームでの事件が起きるまでは、なんとか普通の高校生活を送っていた。  だから……体育祭に出たかった。  由比ヶ浜高校の校門に立つと、足が竦んでしまった。  しっかりしろ、と自分を鼓舞するのに……  俺なんかが来るべき所ではないのでは?  俺みたいな、人に言えない過去を持った奴は……  後ろ向きになっていると、流さんがヌッと現れた。 「洋! やっぱり来てくれたのか」 「あ、あの……」 「待っていたぞ! 行こう」  あぁ、流さんはすごい。  俺の悩みを吹き飛ばしてくれる。  ひとりでは超えられなかった垣根を一緒に越えてくれる。 「翠も喜ぶぞ。可愛い末っ子が応援に来てくれたんだからな」  流さんが躊躇うことなく、俺と肩を組んでくれる。 「あの……俺、流さんの卒業した高校を見たくて……それから薙くんの活躍も」 「あぁ、どっちも見る価値ありだぞ! さぁ今から騎馬戦だ」 「騎馬戦ですか」  それは、かつて俺も出るはずだった競技だった。  あの頃はいつも安志が傍にいてくれたので、安心して騎手になれた。  予行練習では、俺は逃げ惑う立場ではなかった。安志とその仲間たちの騎馬は力強く、すごい勢いでグラウンドを駆け回っていた。  あの日の風は、今でも覚えている。  天つ風のように爽快だった。 …… 「洋、あれを狙え」 「分かった!」 「洋、怯むな! 行けー!」 「よし! 取れた、取れた!」 「やったな、本番でも頑張ろうぜ」 ……  なのに、本番は、父によって学校を無理矢理休まされ、父の支配下にいた。  フルコースのランチ、美術鑑賞、買い物。  何もかも苦痛だった。  あ、翠さんだ。  俺の暗い記憶を消してくれるような真っ白なリネンシャツを、翠さんは着ていた。楚々とした印象は袈裟を着ていなくても変わらない。 「洋くん、よく来たね」 「翠さん……俺……薙くんの活躍を見たくて……やっぱり来てしまいました」 「来てくれて嬉しいよ。今から騎馬戦で、薙は騎手だよ」  翠さんと流さんに囲まれていると、心が凪いでいく。  こんなに安心出来る場所が、丈以外にもあったなんて。  って、こんなことを言ったら丈が妬くかな?  夜な夜な褒美を積めば、大丈夫か。  ピストル音と共に騎馬戦が始まる。  体操着に黄色いハチマキ姿の薙くんの乗った騎馬が駆け出す。  しなやかな身体は騎馬の上で、自由自在だ。  向かってくる敵を姿勢を変えて潜り抜け、どんどん相手陣地に攻めていく。 「取った!」 「あ、次も!」 「薙、頑張れ!」  一瞬、高校時代に戻ってしまった。  俺はグランウドを騎馬に乗って走り抜けているような感覚だ。  次に瞬きをすると、白馬に跨がり、鎧をつけたヨウ将軍が見えた。  目の錯覚か――  巧みに敵に攻め入る勇士は圧巻だ。  気合いの入った顔つき、逞しい腕が振りかざす剣は鋭い。  ヨウ将軍は、俺の前世の中で一番雄々しい姿だ。  カッコいい。 「皆、前進あるのみ! 道を薙ぎ払えー!」  ヨウ将軍の腹の底から湧き出る勇ましい掛け声に、痺れた。  君の姿を見せてくれてありがとう。  君の勇ましさ、最高だ。  君は時代を駆け抜けた人だ。 「洋くん? 大丈夫かい?」 「あ……翠さん」 「今、何を見ていた」  目を擦ると由比ヶ浜高校のグランドに戻っていた。  もう戦場ではなかった。 「……過去を見ていたようです」 「そうか、どうだった?」 「過去の俺は、怯まず先へ先へと駆け抜けていきました」 「そうか……では彼が作った道がここなんだね」 「はい」  翠さんの言葉はいい。  薙ぎ払って出来た道には、凪の時が広がっていく。    
/1578ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4246人が本棚に入れています
本棚に追加