天つ風 33

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天つ風 33

 薙の診察の待つ間、僕は周囲の心配をよそに不思議と冷静になっていた。  大丈夫、大丈夫だ。  怪我がどんな状態でも、今の薙の傍には僕がいる、  僕が支えてやれる位置(ポジション)にいる。  だから薙は戸惑わなくていい。  全部、父さんに委ねるといい。    そんな中、流が素朴な疑問を投げかけて来た。 「なぁ……ところで丈って外科医だったよな? 整形外科は分野外じゃね?」 「あれ? そういえばそうだね」  そこに洋くんが首を突っ込む。 「その通りです。丈にも応急処置の知識はありますが、ここは総合病院なので……薙くんの治療をするのは整形外科医かと。丈はどうしても甥っ子の怪我を放っておけなかったようです」  洋くんが医療現場に詳しいのは、医療ライターを志したおかげだ。  志したことは無駄にならない。  開業した暁にも、大いに役立つだろう。 「そうなんだね。いずれにせよ丈が絡んでくれるのは僕としては有り難いよ。身内に医者がいて良かった、いや、丈が医者になってくれて良かった」 「今の言葉、丈が聞いたら喜びます」  洋くんはまたうっすらと頬を染めていた。  色白で透明感のある皮膚を持っているので、感情がすぐに外に出やすい。  月影寺にやってきた当初は青ざめた顔色で、貧血を起こして頻繁に倒れていたのに、今は心が潤っているのか、自分を褒められるのも、丈を褒められるのも、共に嬉しくてたまらないようだ。  そうこうしているうちに診察室の扉が開いて、丈の声がした。 「兄さん、中へどうぞ。診察結果をお伝えします」 **** 「薙、大丈夫か」 「丈さん……オレ、骨折しちゃった?」 「だいぶ腫れているな。すぐにレントゲンを撮ってみよう」  整形外科医の同僚と協力して、薙の診察をした。  私も骨折に対する知識はあるが専門分野ではないので、間違いがない道を選択した。先程兄さんの前で、私が診ますと口が滑ってしまったが、洋にはお見通しだったな。今頃修正してくれているだろう。 「張矢先生、甥っ子さん骨折してますよ。ここです」 「やっぱり」 「ギブスで固定しますね」 「頼みます」  結果は足の甲部分の骨折だった。変な体勢で転んだ衝撃が原因だ。  高校の体育祭では頻度の高い骨折事例だ。  薙に結果を告げると、悲壮な表情を浮かべた。 「足の甲を骨折した場合は、ギプスと添え木で元の正しい位置で骨を固定して、しっかりつながるまで足を使わないようにする必要があるんだ」 「えぇ、参ったな。骨折なんて格好悪い……」 「折れてしまったのだから、治すしかないだろう」 「……確かに」 「大丈夫だ。大人しくしていればちゃんと治る」 「大人しくってどれ位?」 「1~2ヶ月だ」 「マジ? 少しでも早く治す方法はないの?」  若い薙にとって、自由に動き回れないのはさずかし辛いだろう。 「ある」 「え? 教えてよ、何? 裏技?」 「周囲に甘えて極力骨折した足に負担をかけないことだ。それが一番の近道だ」 「……そ、そうか」 「さぁ松葉杖を貸そう。使い方に慣れるまでもどかしいと思うが、今の状況を素直に受け入れた方が早く治る」 「つまり、素直になれってことか」 「出来そうか」 「……頑張ってみる」  翠兄さんと流兄さんに薙の骨折を伝えると、二人は動じなかった。  待っている間に覚悟は決まったようだ。  そういえば翠兄さんは二度も腕の骨折経験があり、流兄さんは骨折した人の介助に慣れている。 「骨折の知識はありますよね」 「うん、腕のだけど基本は同じか」 「そうです。完治まで暫くかかりますが、根気よくつきあっていけば治りますよ」 「そうだね。心がけるよ」 「お任せします。何かあったら私に一報を」 「丈、ありがとう。丈が医者になってくれて良かった」 「……コホン、お役に立って何よりです」  医者になったのは最初は洋を守るためだったが、今では洋を取り巻く世界の均衡を保つためになっている。  だから本心だ。 「父さん、骨折しちゃたから、暫くよろしく!」  薙も開き直っている。  打たれ強い子だ。 「薙、父さんも過去に二度も腕を骨折している。だから薙の気持ちを察するよ。もどかしいと思うが、ここは僕に甘えて乗り切っておくれ」 「そうするよ、父さん」  翠兄さんの頬も、赤く染まった。  思いやり、優しさ……  暖かい感情が行き交う世界に、私たちはようやく辿り着いたようだ。  私たちは心で対話する。  洋、ここまで長い道のりだったな。  丈、これからはこの世界を守るのが、俺たちの使命だ。    
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