天つ風 39

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天つ風 39

 ん……?  うとうとしていると、懐かしい温もりを近くに感じた。  部屋中に優しい空気が漂っている。  まるで小さい頃に戻ったみたいだ。  気持ちいいな。  でもまだ眠い……もう少しだけこうしていたい。  俺はその温もりに、身体を寄せてみた。  赤ん坊の記憶なんてないのに、感覚が覚えているようだ。  とても大切な人たちの想いを受け留めて、この世に生まれたことを。  母の腕の中より、父さんの方が落ち着いたことも覚えている。 …… 「パパ、パパ、パパぁ」 「どうした? なーぎ」 「おちっこ」 「うんうん、一緒にいこうね」 「うん!」 ……  俺を「なーぎ」と呼ぶ父さんは、いつも優しかった。  けっして甘やかされたわけではない。  沢山の愛を注いでもらったんだ。  それが今なら分かるよ。  父さんは子供の相手に慣れていて、オレの気持ちに寄り添ってくれたから、居心地が良かった。  だが……そんなオレと父さんの信頼関係が面白くなかったのか、母さんはオレから父さんを取り上げてしまった。  オレに休む暇がないほどの習い事をさせて、父さんとの大切な触れ合いの時間を奪った。  父さんは寂しそうに見送るのみで、送迎も全部母さんで息が詰まりそうだった。  今思えば……あの頃から父さんの精神状態は不安定になってしまったのかも。  笑顔が消え、優しい空気も枯れ、オレが習い事から戻ってくると、ソファで転た寝をしていることが多くなった。  母さんはそんな父さんを見て、溜め息をついた。 「翠さんの心は……もうここにはいないのかも」  当時は言っている意味が分からなかったが、これも今なら分かる。  ここ……月影寺に帰りたくなっていたのだろう。  冷たい仕打ち、無機質な高層マンション。  オレとの触れ合いも奪われ、しんどかったのだろうな。  それでも、母さんに怒られると、父さんの懐に逃げ込んだ。 …… 「ナギ! 今日のピアノのレッスンの出来は何? 全然上達してないじゃない」 「彩乃さん、そんなに責めてはいけないよ。薙だって頑張っているのだから」 「翠さんは口出ししないで。あっちに行っていて」 「彩乃さん……」 ……  父さんはどうしてあんなに母さんに遠慮していたのか、今なら分かるよ。  父さんの心が帰りたがっているのを、ひた隠しにしていたが、母さんには分かっていたのだろう。  父さんの心が離れていくにつれ、母さんのオレへのあたりはますます強くなっていった。 …… 「ナギ! この点数はなんなの? どうしたらこんな低い点が取れるのよ」 「……ごめんなさい!」  謝るまで許してもらえないので、渋々謝った。  そんなことの繰り返し。  母さんの気が収まった所で、オレはそっとリビングを抜け出して、父さんの部屋に行った。 「パパぁ……ぐすっ」 「薙、おいで」 「パパ、もうイヤ……パパともっといたい」 「薙、僕は薙がいるから生きていけるんだよ」 「ほんと? ぼく、パパのやくにたってるの?」 「当たり前だよ。薙は大切な僕の子だ」 「パパ~ ぎゅっして」 「なーぎ」 「パーパ」 ……  ギュッと抱きついて、ほっとした。  ここにいれば大丈夫。    そう思って、信じていたからこそのショック。  もう自分を守って助けてくれる人がいない絶望。  でも、今は……再び戻ってこれた。    もちろん母さんが悪いわけじゃない。    すれ違いが寂しさを引き寄せ、酷い別れを招いてしまった。  今のオレは、そう理解している。  母さん……  オレを産んでくれ、 父さんの元に返してくれてありがとう。  今は純粋に……母さんの新しい幸せを願っている。  夢の中からそっと呼びかけてみる。  あの頃のように…… 「パ……パ」  すると、すぐに返事があった。  優しくオレを呼ぶ声……  あの頃のように…… 「なーぎ」    
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