天つ風 44

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天つ風 44

「今宵は俺が看病するから、翠は自分の部屋に戻れ。明日は仕事がたて込んでいるだろう」 「僕はさっき仮眠させてもらったから、大丈夫だよ。それに明日多忙なのはは流も同じだ。だから流こそ自室でゆっくり休むといい」 「翠……」 「……流」  お互いに目が合って、笑みが零れた。 「これじゃ昔と変わらん」 「そうだね」  あの頃の僕たちは相手が大事過ぎて、相手の立場を考え過ぎて、あえて手放したり、突き放したり、そんなことばかりを繰り返していたね。 「流……今宵は離れがたい。ならばいっそ僕たちもここで眠ろう」 「それな! 俺も言おうと思っていた。待ってろ! 二階から布団を下ろしてくる」  流は喜び勇んで二階に駆け上がり、両手に布団を抱えて戻ってきた。  あっという間に2組の布団が、薙のベッドの横に敷かれた。 「よし! 準備完了だ」 「流、僕たち……過保護過ぎるかな?」 「そんなことない。当然のことだ」  流に手を引かれ横になると、あっという間に眠りに落ちた。 **** 「うっ……」  身体が熱っぽく喉がカラカラだ。  寝苦しい。  汗ばんだ身体が気持ち悪く寝返りを打ちたいのに、身体が鉛のように重く動かない。  足首の辺りがズキズキ痛むのは何故だ?  あっそうだ……オレ骨折したんだ。  ヤバいな。  こんな日は怖い夢を見そうだ。  朝起きたら、この世に一人ぼっちになっている夢を。    どんなに叫んでも、誰もいない悲しい夢。  ほら暗闇がオレを攫いにやってくる。  誰もいない暗黒の世界へ誘いに―― 「い……や……だ……こわ……い」  頭を必死に振って夢を追い払おうとすると、優しい声が聞こえた。 「薙、大丈夫だよ。皆、ここにいる。父さんがいる。流もいる」 「あ……父さん? そこにいるの?」 「そうだよ。冷たいお水を持って来たよ」 「すげぇ飲みたい。起こして」 「うん」  父さんに上半身を起こしてもらい、水をゴクゴクと飲み干した。 「ありがとう。メチャクチャ美味しい」 「かなり汗をかいたね。パジャマを着替えよう」 「……うん」    小さい頃、熱を出すと父さんが甲斐甲斐しく世話をしてくれた。  それを思い出す。    眠いし頭がぼんやりしているので、コクンと頷いて素直に従った。  真新しいパジャマはお日様の匂いがして快適だった。 「ありがとう」 「もう一度、眠れそうかな?」 「うん……父さん……あのさ……手……つないで」  高校生にもなって、手を繋いで欲しいなんて……  オレ、何を言って?  でも今は夢現だ。  ……甘えてみたい。 「うん、ほら、これで安心した? 父さん、ずっとここにいるから、お眠り」 「ありがとう」  父さんがオレの手を握ってくれると、心が一気に凪いでいった。    薙と凪は同じ発音だ。  なぎ……どっちも好きだ。  今度は明け方、目覚めた。  まずいな。  ずっとトイレに行ってなかったから、猛烈にトイレに行きたい。  股間を押さえてもぞもぞしていると、声をかけられた。  今度は流さんだった。 「薙、トイレか」 「うん」 「オレも行きたいから一緒に行こう」 「行く! 松葉杖どこ?」 「今は間に合わないだろう。ほれっ」 「わわ!」  また横抱きされてトイレまでワープした。 「だからぁ、はずいって」 「漏らしていいのか。俺も薙のおしめを替えたことがあるから、今更恥ずかしがるな」 「まじ?」 「マジだ」 「わ……わかった」  トイレでも身体を支えてもらい恥ずかしかったが、漏らすよりはマシだ。 「スッキリしたか」 「ん! 危なかった」 「よし、ほら、帰りは練習だ」  今度は松葉杖を渡されたので、廊下をゆっくりゆっくり進んだ。 「昨日より上手だぞ」 「しばらく世話になるから、頑張るよ」 「そうだな」    部屋に戻ると、父さんがオレのベッドに頭をのせて窮屈な姿勢で眠っていた。 「もしかして二人とも付き添ってくれたの?」 「あぁ、離れがたくてな」  離れがたい……  オレがそんな存在になれるなんて―― 「流さん、父さんを抱っこしてくれない? ちゃんと布団に寝かせてあげて」 「そうだな。ついに抱っこのお披露目か」 「ははっ、うん!」  父さんは軽々と流さんに横抱きにされ、静かに布団に寝かされた。  まるで宝物を扱うような一連の動作にグッときた。  オレの父さんをここまで大事にしてくれる人は、流さん以外いない。  そう受け止めると、とても神聖に思えた。  流さんに身を委ねる父さんの寛いだ寝顔は、いつまでも眺めていたい程安らかだった。 「もう夜が明けそうだ。薙はもう少し眠れ」 「うん、ありがとう……おやすみ」  障子の向こうが、少しずつ白んでいく。  今のオレはもうひとりぼっちじゃない。  二人の幸せの中にいる。  そう思うと嬉しくなった。  父さんの幸せがオレの幸せと直結していることを知る、明るい夜明けだった。
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