4246人が本棚に入れています
本棚に追加
月光の岬、光の矢 3
「薙くん?」
薙くんの部屋はもともとは2階だったが、骨折して階段の上り下りが大変なため、昨夜1階に移した。
ところが、その部屋を覗くが、姿が見えなかった。
骨折したばかりで松葉杖もまだ慣れていないのに、一体どこへ?
慌てて母屋中を探したが、見つからない。
翠さんに頼まれたのに、どうしたらいいのか。
姿が見えないのが不安だ。
もしかしたら……
庭かもしれない――
月影寺の庭は広く、奥庭はほとんど手を入れていないので、自然界のままだ。
こんな野性味のある庭を、遠い昔の俺は愛していた。
秋の落ち葉が積もるベッドで、お前に押し倒され抱かれたこともある。
月影寺は心を浄化する場所だ。
今……
心が穏やかになった今だからなのか。
前世の記憶が、記憶の壁を軽々と乗り越えてやってくる。
過去の俺には、苦しみの中に、良いこともあったのだ。
今の俺の心をもって、深い湖の底に静かに沈めてやりたい。
「くそっ……」
庭の奥まで進むと、舌打ちするうな、悔しそうな声が微かに聞こえた。
薙くんの声だ。
俺の耳はどこまでも澄んでいた。
見渡す視界に薙くんの姿はないが、気配はする。
辺りを見渡すと、竹藪の手前で松葉杖を発見した。
「薙くん、そこか」
「えっ、洋さん?」
「どうした?」
「あ、来るな!」
竹藪をかき分け覗くと、薙くんが泥だらけで苔むした大地の上にひっくり返っていた。
おそらく松葉杖が木の根っこに引っかかって、転倒してしまったようだ。
悔しそうな表情で俯いている。
でも放ってなんておけないよ。
「今、そっちに行く!」
「来るなよ」
「いや、行く! 君の傍にいたいんだ」
そう思って竹藪をガサガサとかき分けて勢いよく進むと、途中で服が枝にひっかかってビリッと音を立て……
「あっ、わぁ!」
その先はドテンっと転んでしまった。
「痛っ」
「え? ちょっと洋さん大丈夫?」
「あぁ、なんとか……参ったな。俺まで転ぶとは」
「くくっ、はははっ」
さっきまでの悔しそうな表情を跳ね飛ばすように、薙くんが明るく笑った。
「あのさぁ……洋さんまで転んでどうすんの?」
「ううっ」
「でもサンキュ! なんか俺……松葉杖のせいで転んだりして情けねーとか、はずいとか思って鬱々としてたんだけどさ、洋さん見ていたら、小さな悩みになったよ。松葉杖がなくても、人は転ぶんだなって」
「ははは……」
苦笑するしかなかった。
だが、薙くんの心の風向きを変えられたのなら良かった。
「洋さん、怪我してない?」
「少しすりむいた程度でなんとか……って、それ俺の台詞だ。薙くんこそ大丈夫か、怪我は?」
「良かった。俺は無事さ。洋さんより綺麗な受け身取れたしな~」
「……薙くんって、ちょっと流さん似だな」
「やっぱり?」
「あぁ」
「さぁ、帰ろう。洋さん手伝ってくれる?」
「もちろん」
松葉杖を拾ってやり、肩を貸してあげた。
二人とも泥だらけなので怖いものはない。
そうか……
人はこうやって支え合って生きていくのか。
一人で起き上がることも大切だが、時にはこうやって手を貸して……
こういうのっていいな。
新鮮だ。
母屋に戻ると、流さんに笑われ叱られた。
「お前達、泥遊びしたのか。おいおい子供じゃあるまいし、早く脱げ逃げ! 泥は落ちにくいんだー!」
最初のコメントを投稿しよう!