月光の岬、光の矢 3

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月光の岬、光の矢 3

「薙くん?」  薙くんの部屋はもともとは2階だったが、骨折して階段の上り下りが大変なため、昨夜1階に移した。  ところが、その部屋を覗くが、姿が見えなかった。    骨折したばかりで松葉杖もまだ慣れていないのに、一体どこへ?  慌てて母屋中を探したが、見つからない。  翠さんに頼まれたのに、どうしたらいいのか。  姿が見えないのが不安だ。  もしかしたら……  庭かもしれない――  月影寺の庭は広く、奥庭はほとんど手を入れていないので、自然界のままだ。  こんな野性味のある庭を、遠い昔の俺は愛していた。  秋の落ち葉が積もるベッドで、お前に押し倒され抱かれたこともある。  月影寺は心を浄化する場所だ。  今……  心が穏やかになった今だからなのか。  前世の記憶が、記憶の壁を軽々と乗り越えてやってくる。  過去の俺には、苦しみの中に、良いこともあったのだ。  今の俺の心をもって、深い湖の底に静かに沈めてやりたい。  「くそっ……」  庭の奥まで進むと、舌打ちするうな、悔しそうな声が微かに聞こえた。  薙くんの声だ。  俺の耳はどこまでも澄んでいた。  見渡す視界に薙くんの姿はないが、気配はする。  辺りを見渡すと、竹藪の手前で松葉杖を発見した。 「薙くん、そこか」 「えっ、洋さん?」 「どうした?」 「あ、来るな!」  竹藪をかき分け覗くと、薙くんが泥だらけで苔むした大地の上にひっくり返っていた。  おそらく松葉杖が木の根っこに引っかかって、転倒してしまったようだ。  悔しそうな表情で俯いている。  でも放ってなんておけないよ。 「今、そっちに行く!」 「来るなよ」 「いや、行く! 君の傍にいたいんだ」  そう思って竹藪をガサガサとかき分けて勢いよく進むと、途中で服が枝にひっかかってビリッと音を立て…… 「あっ、わぁ!」  その先はドテンっと転んでしまった。 「痛っ」 「え? ちょっと洋さん大丈夫?」 「あぁ、なんとか……参ったな。俺まで転ぶとは」 「くくっ、はははっ」  さっきまでの悔しそうな表情を跳ね飛ばすように、薙くんが明るく笑った。 「あのさぁ……洋さんまで転んでどうすんの?」 「ううっ」 「でもサンキュ! なんか俺……松葉杖のせいで転んだりして情けねーとか、はずいとか思って鬱々としてたんだけどさ、洋さん見ていたら、小さな悩みになったよ。松葉杖がなくても、人は転ぶんだなって」 「ははは……」  苦笑するしかなかった。  だが、薙くんの心の風向きを変えられたのなら良かった。 「洋さん、怪我してない?」 「少しすりむいた程度でなんとか……って、それ俺の台詞だ。薙くんこそ大丈夫か、怪我は?」 「良かった。俺は無事さ。洋さんより綺麗な受け身取れたしな~」 「……薙くんって、ちょっと流さん似だな」 「やっぱり?」 「あぁ」 「さぁ、帰ろう。洋さん手伝ってくれる?」 「もちろん」  松葉杖を拾ってやり、肩を貸してあげた。  二人とも泥だらけなので怖いものはない。  そうか……  人はこうやって支え合って生きていくのか。  一人で起き上がることも大切だが、時にはこうやって手を貸して……  こういうのっていいな。  新鮮だ。  母屋に戻ると、流さんに笑われ叱られた。 「お前達、泥遊びしたのか。おいおい子供じゃあるまいし、早く脱げ逃げ! 泥は落ちにくいんだー!」  
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