月光の岬、光の矢 6

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月光の岬、光の矢 6

「しかし外見だけ整えても、中身が……」  丈の開院は待ち遠しい。  そこで一緒に働くのが夢だ。  丈と一日中、一緒にいられる。  それは俺の長年の夢だから。  以前、医療系ライターを志して、丈の出張に同行したが、どうしても越えられない壁を感じてしまった。  俺は医師でもないし、看護師でもない。  そんな俺が、どこまで丈の診療所の手伝いを出来るのかは、正直分からない。  その事が気がかりだった。  丈は張り切って俺の制服を選ぼうとしているようだが……  本当にいいのか。  俺でいいのか。  そんなことを自問自答していると…… 「洋さんなら絶対に最強のサポーターになれるさ!」 「……薙くん」 「やってみないと分からないだろ! もっと自信もって」  薙くんが屈託のない笑顔を浮かべてくれると、本当にそうなれる気がした。 「ありがとう!」 「それ、運ぶの手伝えなくてごめん」 「とんでもないよ。これを一旦部屋に置いてくるよ」 「了解。オレも部屋に戻るよ…早起きして眠くなってきた」  カタログの山をなんとか離れに運び、丈の机の上にドサっと置いた。  10冊近くあったぞ。  まさかこれ全部『ナースウェア・看護師白衣カタログ』じゃないよな?  もしそうだったら、丈、お前は宗吾さんを越えるヘンタイだ。  封筒の差出人だけでは判断がつかないので、医学書や学会、セミナーの資料だということにしておこう。  ふと、さっき破れたカタログに目が止まった。  ちょっと予習しておくか。  広いベッドに横たわり、パラパラとページを捲ると、男性用の看護師ウェアの種類は、想像以上に豊富だと分かった。 「へぇ、かっこいいな」  フランスの歴史あるスポーツブランドのメディカルウエアまである。 『スポーツブランドで培った無駄のない美しいシルエットで、着る人に品格を与え……』  白衣の丈の横に立つ自分を想像して、夢が膨らんだ。  母が亡くなってから丈と出逢うまで、ずっと夢も希望もない人生だった。  義父との地獄のような日々から抜け出す術を探す気力もなく、全てを諦めていた。  そんな俺が、今は最愛の人との未来を思い描き、衣装選びをしているなんて。  丈、カタログを頼んでくれて、ありがとうな。  お前は俺に夢を見させてくれる男だ。 ****  ふぅ、危ない所だった。  息子の前で惚気る所だった。  火照った頬を冷まそうと、手でパタパタと扇ぎながら、足早に本堂に戻った。  結界が緩むことないよう、気を引き締めねば。  だが同時に、息子と流と末の弟と、砕けた朗らかな時間を過ごせていることが、嬉しかった。    丈は間もなく診療所を開院するようだ。  ここから二人が共に働きに出る姿を見送り、1日中働いて疲れ果てた二人を迎えることが出来るのだ。  そう思うと、また気が引き締まる。  季節はもう間もなく7月を迎えようとしている。  丈と洋くんの結婚記念日もやってくる。  今の僕には、明るい未来しか見えない。 「おーい、翠、これを見てくれよ」  流が嬉しそうに僕を呼ぶ。  やんちゃ時代と変わらぬテンションに、僕の頬も緩む。    流はいつまでもそのままでいろ。  そう心の中で念じよう。  それほどまでに、僕は流の豪快さ、快活な性格を気に入っている。 「どうしたの?」 「庭の紫陽花で、花手水を作ってみたんだ」    花手水(はなちょうず)とは、参拝前に手や身を清める手水舎にある、手水鉢の中に、花を浮かべた物だ。  月影寺の普段は質素な手水舎が、一気に幻想的になっていた。  青や薄紫の紫陽花が涼しげで、とても美しい。 「タイトルは『翠風』だ」 「え?」 「翠の凜とした雰囲気を写し取ったのさ」 「恥ずかしいよ」 「んなんことない。翠の美しさは天下一品だ」 「流って……重度のブラコンだよね」 「ずるいぞ。こんな時に兄の顔をするのか」 「え……いや」 「愛しい恋人に向けて作ったんだ」 「ありがとう」  そうか、僕たちは、もう素直になっていいのか。  それだけの場所を築き上げたのだから。
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