月光の岬、光の矢 8

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月光の岬、光の矢 8

 風呂上がりに髪の毛を乾かしていると、丈が呼びにきた。 「洋、ちょっといいか」  おいおい、ポーカーフェイスを装っているつもりだろうが、感情がダダ漏れだぞ。普段は冷静沈着で感情を露わにしない男なのに、明らかに浮き足立っている。  まぁ、そんなお前も嫌いじゃないが。 「どうした?」 「洋、今日、決めてしまおう」  書斎で仕事をしていたのかと思いきや、熱心に制服選びをしていたのか。 「俺の制服のことか」 「そうだ、早い方がいい」 「ふっ、そう焦るな。まだ開院まで時間はあるだろう」 「いや、そうでもない。洋の制服に刺繍をしてもらう時間が必要だから」 「え?」  丈が海里先生の白衣を譲り受けた時、俺の祖母が名前を刺繍してくれたことを、思い出した。 「俺はいいよ」 「いや、洋のも入れてもらおう。きっとおばあさまも喜ぶぞ」 「……そうかな?」 「おばあさまもそろそろ洋に会いたいだろうし、次の週末に制服を持って遊びに行くのはどうだ?」  東京の白金に住んでいる祖母は、血のつながりの濃い大切な存在だ。  なのに……  用がないのに会いに行くことがなかなか出来ず、最近は足が遠のいてしまっていた。おばあさまの方は不意打ちで月影寺に遊びにいらして下さるのに……  全く俺は相変わらず不器用だ。  手先だけでなく、人間関係に関しても不器用で不甲斐ない。  幼い頃から閉鎖的な世界にいたせいなのか。  もっと素直に甘えられたら良いのに…… 「洋? どうした? また余計なことを考えていたな」 「ふっ、丈には何でもお見通しだな」 「何年一緒にいると? 強がりな洋の傍に」  ふと遠い昔の記憶が蘇ってくる。  俺がヨウと呼ばれていた頃の切ない記憶の断片が。  王様に仕える武官だった俺は、重たい鎧にあらゆる感情を隠し、弱みを見せることもなく、ひたすら耐えていた。本当は少年のような硝子のような心を持ち合わせていたのに、誰にも見せられずに堪えていた。  そんなヨウが唯一心許せたのが、医官のジョウだった。  怪我をした時も、心が寂しい時も、ジョウはいつも無言で肩を貸してくれた。 「幾千万の時を超えて、俺たちは一緒にいるんだな」 「そうだ、私はいつでも洋に肩を貸す存在でありたい」 「丈は今も昔もいい男だ」 「この世では、少し人の影響を受けて妙な男になってしまったが」 「はは、自分で言うのか。あのさ、それって宗吾さんのことか」 「彼はいいな。小さな悩みが吹っ飛ぶ存在だ。大きくて広い心の持ち主に感化されるのは悪くない。洋が瑞樹くんと出逢ってくれたお陰で、縁が広がったな」 「出逢いって、すごいな。人生を左右するほどのものなんだな」 「その通りだ」  丈が俺の腰に手をまわして、抱き寄せた。  胸板がぶつかると、お互い同じボディソープ、シャンプーを使っているので、匂いが重なって、ぐっと濃厚になる。甘い雰囲気になっていく。 「一番の出逢いは、丈だ。お前と出会って俺は……幸せになれた」 「洋、ありがとう。私もだ。孤独から抜け出せたのは洋のお陰だ」  その晩、一度抱き合ってから、ベッドの中で一緒に制服のカタログを見た。  俺が選んだのは、丈を引き立たせるシンプルなもの。  おばあさまの刺繍が似合う、スタンダードだもの。  来週……久しぶりにおばあさまに会える。  とても楽しみだ。
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