月光の岬、光の矢 13

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月光の岬、光の矢 13

 流水……  どこだ?  どうして戻らない?  お前に会いたいよ。  どうしたら会えるんだ?  心の中で、何度も何度も呼びかけた。  耐えきれず、人気がない時は声に出して呼んでしまった。  だが耳に届くのは、竹林のざわめきのみ。  僕がこよなく愛した弟の、張りのある朗らかな声は聞こえない。 『湖翠は月影寺の跡取りだ。次期住職になるために立派であれ。堂々とせなばならん! けっして涙を見せるな。背筋を正せ!』  幼い頃から祖父に叩き込まれた精神が、僕を律しにやってくる。  流水の存在は、祖父からの精神的支配で雁字搦めになっていた心の拠り所だった。  今……流水がいない世界で、行き場のない感情だけが、胸の奥に残っている。  堪えきれなくなった涙は、寺の手水舎の水に落とした。  住職である僕が、こんな場所で泣き崩れるわけにはいかない。  だが…… 「くっ……」  どうしても堰き止められない涙がぽつり、ぽつりと、小さな波紋を作っていく。 …… 「翠、大丈夫か。ここに俺が龍神を呼んでやるから安心しろ」 「是非そうしてくれ。ここは寂しすぎるよ。ずっと前から、ここで手を清める度に、胸の奥がざわついていた。その理由がようやく分かったよ」  流がそっと僕の肩を抱き寄せ、背中を擦ってくれた。    遠い昔、湖翠さんがして欲しかったことを、流がしてくれる。 「流は本当にいい男だ」 「やっと気づいてくれたのか」 「ずっと前から知っている」 「翠の言葉は、俺が生きる糧だ」  チュッと、左目の下のほくろに口づけされた。 「あっ……こんな場所でするなんて」 「この涙もケアしないとな」 「流……」  僕たちはもう大丈夫だ。  悲しい過去を繰り返し思い出しても、ちゃんと生きていける。    人生という荒波も、流がいるから、乗り越えていける。 **** 「洋、帰ったぞ」 「丈、お帰り」  帰宅した丈が、重たそうな鞄をデスクに置くなり、キョロキョロと辺りを見渡した。 「何か捜し物か」 「……今日、荷物が届かなかったか」 「あぁ、大量のダンボールが届いたよ。ベッドサイドにあるだろう」 「そうか、もう開けてしまったのか」 「あー 悪い、流さんと小森くんがせがむから一箱だけな」 「いや、それは構わないが……」  余裕の笑みを浮かべていた丈だが、ふと顔色が変わった。 「まさか、沢山の箱の中から、よりによって、このメーカーのを開けてしまったのか」  丈が気まずそうに、俺を見る。  もしかしたらあのナース服は注文間違いかと思ったが、どうやら確信犯らしい。  ふっ、しょうがない奴だ。  だが堅物の丈がどんな顔をして、男の俺にナース服を見繕ったのか。  想像すると、案外楽しいものだ。 「男の浪漫なのか、あれは」 「……すまない。つい……洋に似合いそうで」 「くっ、しょうがない丈先生だな。公には無理だが、そうだな……無事に開院出来たら、そのお祝いで着てやるよ」 「洋はいつも寛大な」 「丈限定だからな。それよりあの約束忘れていないよな」 「もちろんだ。週末におばあさまの所へ行こう。洋の制服を持って」 「もう連絡済みだ」  背伸びして丈の耳元で伝えると、微笑んでくれた。 「洋からの連絡、さぞかし喜ばれただろう」 「それがさ、おばあ様も俺に会いたくて、最初は同時にかけていたらしい。すごい確率だよな。俺がナース服入りの箱を1発で当てたのも、すごいが」 「コホン……洋の願いが叶って良かったな」 「言っとくが、ナース服は俺の願いじゃないぞ」 「そうだったか」 「コイツ!」  過去の俺たちよ。  見ているか。  今の俺たちはこんなに朗らかに、こんなにくだらないことで笑い合える。  これがお前達が望んだ未来なんだな。
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