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月光の岬、光の矢 14
土曜日の午後、俺は丈の車で、おばあ様のお屋敷へ向かうことになった。
朝起きてから、ずっと上機嫌だ。
もうすぐ、大好きなおばあ様に会える。
おばあ様は、俺の母を産んでくれた人だから、それだけで愛おしさが募る。
こんな心境になれるとは、鬱々と過ごしていた時期には夢にも思っていなかった。
鏡をじっと見つめ、頬を撫でてみる。
あの時の傷は、もう綺麗に消えていた。
傷痕が残らなくて良かった。もしも残ってしまったら、おばあ様は俺を見る度に、自分を責めてしまうだろう。
思い返せば、おばあ様とは険悪な出逢いだった。
おばあ様は母に会いたかったのに、俺が持って来た言葉は残酷過ぎた。
愛娘が知らぬ間に、この世を去っていたなんて……
相当キツかっただろう。
あの日、俺の頬は傷ついたが、おばあ様も心臓をナイフで抉られた心地だったに違いない。
だから許せる。
だから受け入れられる。
午前診療を終えた丈が、戻ってきたようだ。
「丈、お帰り!」
「すぐに支度をするから、待っていてくれ」
「あぁ」
暫くすると、また洗面所に丈が現れた。
丈はあっという間に、三つ揃いのスーツでビシッと決めていた。
「どうだ?」
「カッコいいな。白衣もいいが、スーツ姿もいい」
「ありがとう。洋はゆとりのあるシルエットの服が似合う。夜明けのパープルや、月明かりの白、夜空の紺色が良く似合う。何しろ月のような男だからな。今日の服もいい」
「ふっ、こんな時間から口説くのか」
「まぁな、24時間では足りぬ程、愛しているから」
「キザなことを」
「このまま脱がしたくなる」
「馬鹿! さぁ、出掛けるぞ」
端から見たら呆れられそうだが、これが俺と丈の日常だ。
俺たちには紡げなかった愛の言葉が、山ほどあるからな。
持って行く物が多く、何故かスーツケースになってしまった。
「思ったより大荷物だな」
「あのさ、丈が制服を頼みすぎたせいだぞ。全部で30着って、一体何事だよ?」
「ははっ、流石におばあ様にすべてを刺繍していただくわけにはいかないから、何着か選んでいただこう。洋のファッションショーが楽しみだ」
「また、おばあ様が喜びそうなことを。そうだ、まさか、あれは入ってないよな」
ナース服の行方を聞くと、丈が苦笑した。
丈の砕けた笑顔、俺の軽口。
以前、おばあ様の家を訪れた時よりも、俺たちは変化した。
それを見て頂きたい。
ところが、トランクにスーツケースを積み込んでいると、急に緊張してきた。
月影寺から出るのには、少しの勇気が必要なのだ。
翠さんが張り巡らせてくれた結界に、いつも守られていることを実感する。
すると、作務衣姿の流さんが階段を飛ぶ勢いで下りてきた。
「おーい、お前達、今から出掛けるのかー」
「はい、白金のおばあ様に会いに行ってきます」
「そうか、そうか、ゆっくりして来いよ。なんなら泊まってくるといい」
「いや、そんなわけには。長居は迷惑になりますので」
「おいおい、堅苦しいな。もう少しリラックスしろ」
流さんが俺の髪を掻き乱すと、丈が慌てて制した。
「兄さん、やめてください! 洋の美しい髪が乱れます」
「ははん、妬いているのか」
「そんなことはありません」
「んー 丈もちょっとキメすぎだ」
流さんの手は、丈の髪もグシャグシャにした。
「あ! 何をするんですか」
「ナチュラルにしてやったのさ、お前達、もう少し肩の力を抜いて、寛いでこい」
流さんの勢いが、俺の緊張を解してくれる。
「そうですね、おばあ様に……甘えてきます」
「へぇ、洋からそんな台詞聞けるとは。よしよし、素直な弟くん、可愛いぜ」
バンバンと背中を叩かれ、むぎゅっとハグされる。
「りゅ、流さん」
「照れるなって、大好きだぜ、よーう!」
こんなストレートな愛情表現があるなんて。
慣れてないので擽ったい。
「りゅーう、そんな乱暴にしたら、洋くんが折れてしまうよ」
「あ、翠」
しとやかな翠さんは、俺に緑の風呂敷包みを渡してくれた。
「洋くん、おばあ様に差し入れだよ。月下庵茶屋のお饅頭」
「ありがとうございます」
「楽しんでくるんだよ」
「はい!」
流さんの威勢の良さと翠さんのきめ細やかさに、元気をもらった。
そこに、小森くんがやってきた。
「洋くん、大丈夫ですよ。必ず上手くいきますよ」
また嬉しい言葉を贈ってくれる。
「これは僕からのおまじないです」
手渡されたのは、携帯用あんこだった。
「これで精をつけて下さいねぇ。とっておきのエネルギーチャージですよぅ」
「ふっ、ありがとう」
俺は人に恵まれている。
丈と出会って切り開いた道は、眩しい程に明るい。
「さぁ、行くぞ」
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