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翠雨の後 3
朝起きると、足が布団からはみ出ていた。
まだ朝晩は冷える春の朝。
爪先がひんやりしていたので、身体をギュッと丸め、もう一度布団に包まって目を瞑る。
まだまだ春休みだ。
もう一眠り……
っと思ったら、窓に小石がコツン、コツンとあたる音がした。
誰だよ? 古典的な誘いだな。
昭和のドラマや漫画じゃあるまいし。
眠い目を擦りながら窓を開けると、庭石に濃紺の作務衣に長髪を無造作に後ろで束ねた流さんが立ち、満面の笑みで箒を片手に手をブンブン振っていた。
「流さん? おはよー なに? 朝から?」
「おはよ! 今日から4月だぜ! 早く降りてこいよ! はりや なぎ!」
その瞬間、突風が吹いて、桜花びらが俺の部屋にもやってきた。
「うわっ!」
えっ? 今、なんて言った?
よく聞こえなかったけど……
眠い目を擦りながら食堂に行くと、もう父さんが澄ました顔で座っていた。
おれを見て、花が咲くように綺麗に微笑んでくれる。
「薙、おはよう、どうしたの? 今日は随分早起きだね」
「うーん、それがさぁ、まだ寝ていようと思ったのに起されたんだよ。流さんに」
「えっ、そうなの?」
そこに黒いデニムの前掛けをした流さんがやってきた。
お盆には湯飲みがのっている。
「そういう翠だって、早く薙に会いたかったくせに」
「……まぁ、それはそうだが……」
「あっ! そういえば、流さん、さっき何て言ったの?」
「ん? あぁ、翠、ほら早くあの書類を見せてやれよ」
「あ、うん」
二人して改まって何だろう?
「薙、これを開けてみて」
白い封筒に入った書類の中には、役所の書類が入っていた。
戸籍謄本……?
「実はね『子の氏の変更許可』の審判を申し立てていて、ようやく家庭裁判所の許可が下りて入籍届を出せたんだ。薙……今日からは張矢の姓を名乗っておくれ」
「父さん……あの話、本当に実現してくれたの?」
「もちろんだよ。薙は僕の息子だ。僕たちと同じ姓を名乗って欲しかった」
そ、そうか……
おれ、もう『森 薙』ではないのか。
ようやく『張矢 薙』と名乗れるのか!
じわじわと嬉しさが込み上げてくる。
「父さん、ありがとう」
何故だか……無性に父さんに抱きつきたい気分になってしまった。
もう高校生なのにヘンだよな。
すると父さんの方から立ち上がり、戸惑いながらも手を広げてくれた。
「薙……おいで」
「父さん!」
甘えることに慣れていないおれを導いてくれる父さん。
そのぎこちなさも控えめなところも大好きだ。
「ありがとう! 父さん! ありがとう、流さん」
父さんと流さんの息子だよ、おれ!
「ふふっ、薙に甘えてもらえて、嬉しいよ」
「べ、別に甘えてないし……呼ばれたから来ただけだ」
「はいはい」
すんと息を吸うと、父さんの匂いで満ちていく。
昔は大っ嫌いだった袈裟に焚かれたお香の匂いに、心が穏やかになる春の朝だった。
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