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Ⅲ-6
「そ、それで、その牙で、どうするんです?」
「なぁに、簡単なことさ、この牙でおまえのそのうっとうしい毛を、すっかり切り落としてやるだけさ」
「ほんとうにそれで毛は刈れるんですか?」
「もちろんさ。そのあとはその毛を持って、街の裁縫屋にでも行けばいいんだ。ことは急ぐんだろ? それじゃ、さっそく仕事にかからないとな。おれがおまえの毛を刈ってやるから、もっとこっちに来い。おれが檻のすき間からおまえの毛を刈りやすいように、檻に体をおしつけろ」
ヒツジは逆らいがたい恐怖に、今すぐにでも逃げ出したい気持ちでしたが、物憂げにため息をついて死にたがっているネコのことを考えて、思いきってオオカミの檻に体を押しつけました。そのとたん、オオカミは嵐のようなすばやさで、ヒツジの横腹にガブリと噛みつきました。
一瞬、噛みつかれた横腹に、カッと燃え上がるような熱さを感じ、次いでその熱さは鋭い痛みとなって全身に広がりました。ヒツジは悲鳴をあげ、めちゃくちゃに暴れました。しかし、オオカミは放すまいとして、ヒツジにますます強く牙を立てました。
ヒツジが死に物狂いで暴れたので、鼻先を何度も強く檻に打ちつけられたオオカミの牙は、一瞬ゆるみました。そこでヒツジはありったけの力をふりしぼって大暴れし、なんとかオオカミから逃れることができました。
ヒツジはほうほうのていで動物園を抜け出しました。背後からは、悔しげなオオカミの遠吠えが、いつまでもヒツジを追ってくるようで、ヒツジは足を止めることができませんでした。
やみくもに走り続け、どこをどう走ったのか、ヒツジはいつの間にか街を抜け、農場へと続く山に逃げ込んでいました。山に逃げてからも、ヒツジの足が止まることはありませんでした。
オオカミに噛みつかれた痛みと長旅の疲れで、ヒツジの頭はもうろうとしていましたが、ただひたすら農場に向かって、けわしい山道をのぼり続けました。
ヒツジの歩みは、今はもうのろのろとしたものに変わっていました。ヒツジは自分が歩いているのか、立ち止まっているのかさえ、ときどきわからなくなりそうでした。
ふと空を見上げると、高い木々のてっぺんの、それよりももっと高いところに、たくさんの星がきらめいているのが見えました。その中に、あのポラリスもありました。ヒツジはほとんど無意識のうちに、ただ黙って、そのポラリスをめざして歩みつづけました。
そのとき、空の片隅に、きらりと光りながら落ちていく流れ星を見つけました。
ヒツジは、その流れ星を見たとき、おじいさんと一緒に、はじめて流れ星を見たときのことを思い出しました。ヒツジはそのとき、あの星はいったいどこへいくのだろうかと心配になりました。突然夜空を走ったかと思うと、あとかたもなく消えてしまって、どんなにさがしても、同じ星をもう一度見つけることはできないのです。
おじいさんがいなくなってしばらく経ったある夜、小屋のすき間から、ふたたび流れ星が見えたことがありました。その瞬間、ヒツジは唐突に、流れ星のことがわかりました。姿を消して二度と見ることのできない流れ星も、おじいさんのように死んだのだとわかったのです。
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