1. 気まぐれ

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「……ひよこ」  丸い黒目を瞬きもせず、そいつが食い入るように見つめていたのは、俺がつまんでいるひよこだった。 「知ってんのか? これ」  内心戸惑いまくっていたが、顔をそいつに向けたまま、俺は思わず話しかけていた。 「知ってる。ひよこたち」  そいつが頷く。視線はまだひよこに釘付けだ。  まあ、このとぼけたビジュアルからして、子供受けもよさそうだもんな。 「欲しいなら、やるよ」  どうせいらないし、どうしようか困っていた所だ。丁度いい。俺はそいつの目の前にひよこを持ってきてやった。  すると、ひよこただ一点を見つめていた黒目が揺らいだ。きょどきょどせわしなく目を泳がせながら、そいつが俯く。 「なんだ、遠慮してんのか。いいって、別にいらねえし」  ゲーセンでたまたま取れただけだから気にすんな、と説明したが、そいつは一向に手を伸ばさず、俯いたままだ。  いかにも欲しそうな顔してたくせに、どうしたんだ? ガキの考えることは分からない。 「……ないって」 「え?」 「知らない人に物もらったら、いけないって……先生が」  自分の顔に、引きつった笑顔が浮かんでいるのが分かった。  だったら知らない人の持ち物に反応するなよと言いたい。 「いらねえなら、無理して受け取れとは言わねえよ。じゃ、この話は無しってことで」  少し腹が立ったので、そいつに向けていた自分の顔を正面に戻し、ひよこをポケットにしまった。 「あっ」  そいつが顔を上げる。目は相変わらず泳いでいた。俺への不信感とひよこへの物欲が、己の中でせめぎ合っているのが、よく分かる。  見ていて、正直面白い。 「わかったわかった」  これは、俺への不信感をどうにか払拭するしかないようだ。 「藤原悠成(ふじわらゆうせい)。高校2年」  払拭ったって、うまい方法は考えつかないから、普通の自己紹介になってしまったわけだが。 「これでどうだ? 正体不明の怪しい人よりはマシだろ」 「へん、です」 「は」  そいつの眉間にしわが寄っていた。俺に向けられる視線が、心なしか痛い。 「何でだよ! 俺ちゃんと名前教えただろうが」  この程度の自己紹介じゃ、信用は掴めないと言うことなのだろうか。厳しすぎるだろ。 「もう9時なのに、学校行ってない……ですよね」  だが、指摘されたのは、予想外の箇所だった。  自分の全身を見回してみる。  白のワイシャツ、左胸に校章が刺繍された紺のブレザー、緑地に金のストライプの入ったネクタイ、グレーのスラックス。  どこからどう見ても制服だ。この時間に制服姿の高校生が外をほっつき歩いているのは、確かに問題だ。  ただ、その点に関しては、俺にも言いたいことがある。  俺は、そいつの格好を見た。  赤いダッフルコート、白いマフラーに手袋、ベージュのスカートにこれまた白いタイツ、背中には薄ピンクの小さなリュック。  ランドセルと校帽は、どこにもない。 「それはお前もじゃねえの? お嬢ちゃん」  そいつの肩が、ぴくりと動いた。眉間のしわが消える。 「俺もお前も、学校に行ってないのは同じ。仲間だ、仲間」 「……仲間」  そいつが、小さく呟く。 「そう、仲間。さぼり仲間」  こいつにも理由はあるんだろう。ひょっとしたら、俺よりも深刻な問題かもしれない。  でも、どんな理由があろうと、俺もお前も「さぼり」であることには変わりない。  と、そいつの顔がぱあっと輝く。 「……ほんとに? お兄さん、仲間になってくれるの?」  待て、なんでそんなに嬉しそうなんだ。  俺は、本格的にこいつが分からない。 「今のどこに喜べる要素があったんだ!」 「だってお兄さん、わたしのこと仲間って言ってくれた」 「さぼり仲間だぞ? 喜んでいいのか?」 「仲間は仲間でしょ? ありがとう、お兄さん!」  未だかつてないほど困惑している俺をよそに、そいつは一人で楽しそうだ。 「……まあいいや」  俺は思考を放棄した。何にせよ信頼してくれたなら、よかった。
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