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「……ひよこ」
丸い黒目を瞬きもせず、そいつが食い入るように見つめていたのは、俺がつまんでいるひよこだった。
「知ってんのか? これ」
内心戸惑いまくっていたが、顔をそいつに向けたまま、俺は思わず話しかけていた。
「知ってる。ひよこたち」
そいつが頷く。視線はまだひよこに釘付けだ。
まあ、このとぼけたビジュアルからして、子供受けもよさそうだもんな。
「欲しいなら、やるよ」
どうせいらないし、どうしようか困っていた所だ。丁度いい。俺はそいつの目の前にひよこを持ってきてやった。
すると、ひよこただ一点を見つめていた黒目が揺らいだ。きょどきょどせわしなく目を泳がせながら、そいつが俯く。
「なんだ、遠慮してんのか。いいって、別にいらねえし」
ゲーセンでたまたま取れただけだから気にすんな、と説明したが、そいつは一向に手を伸ばさず、俯いたままだ。
いかにも欲しそうな顔してたくせに、どうしたんだ? ガキの考えることは分からない。
「……ないって」
「え?」
「知らない人に物もらったら、いけないって……先生が」
自分の顔に、引きつった笑顔が浮かんでいるのが分かった。
だったら知らない人の持ち物に反応するなよと言いたい。
「いらねえなら、無理して受け取れとは言わねえよ。じゃ、この話は無しってことで」
少し腹が立ったので、そいつに向けていた自分の顔を正面に戻し、ひよこをポケットにしまった。
「あっ」
そいつが顔を上げる。目は相変わらず泳いでいた。俺への不信感とひよこへの物欲が、己の中でせめぎ合っているのが、よく分かる。
見ていて、正直面白い。
「わかったわかった」
これは、俺への不信感をどうにか払拭するしかないようだ。
「藤原悠成。高校2年」
払拭ったって、うまい方法は考えつかないから、普通の自己紹介になってしまったわけだが。
「これでどうだ? 正体不明の怪しい人よりはマシだろ」
「へん、です」
「は」
そいつの眉間にしわが寄っていた。俺に向けられる視線が、心なしか痛い。
「何でだよ! 俺ちゃんと名前教えただろうが」
この程度の自己紹介じゃ、信用は掴めないと言うことなのだろうか。厳しすぎるだろ。
「もう9時なのに、学校行ってない……ですよね」
だが、指摘されたのは、予想外の箇所だった。
自分の全身を見回してみる。
白のワイシャツ、左胸に校章が刺繍された紺のブレザー、緑地に金のストライプの入ったネクタイ、グレーのスラックス。
どこからどう見ても制服だ。この時間に制服姿の高校生が外をほっつき歩いているのは、確かに問題だ。
ただ、その点に関しては、俺にも言いたいことがある。
俺は、そいつの格好を見た。
赤いダッフルコート、白いマフラーに手袋、ベージュのスカートにこれまた白いタイツ、背中には薄ピンクの小さなリュック。
ランドセルと校帽は、どこにもない。
「それはお前もじゃねえの? お嬢ちゃん」
そいつの肩が、ぴくりと動いた。眉間のしわが消える。
「俺もお前も、学校に行ってないのは同じ。仲間だ、仲間」
「……仲間」
そいつが、小さく呟く。
「そう、仲間。さぼり仲間」
こいつにも理由はあるんだろう。ひょっとしたら、俺よりも深刻な問題かもしれない。
でも、どんな理由があろうと、俺もお前も「さぼり」であることには変わりない。
と、そいつの顔がぱあっと輝く。
「……ほんとに? お兄さん、仲間になってくれるの?」
待て、なんでそんなに嬉しそうなんだ。
俺は、本格的にこいつが分からない。
「今のどこに喜べる要素があったんだ!」
「だってお兄さん、わたしのこと仲間って言ってくれた」
「さぼり仲間だぞ? 喜んでいいのか?」
「仲間は仲間でしょ? ありがとう、お兄さん!」
未だかつてないほど困惑している俺をよそに、そいつは一人で楽しそうだ。
「……まあいいや」
俺は思考を放棄した。何にせよ信頼してくれたなら、よかった。
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