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(たまき)、マスターからメッセージから届いているよ」 隣の空き地に迷い込ませてしまったボール。行方を追っていたら(みつ)に声を掛けられた。 「ありがとう、ボールを見つけてから行くよ」 夏が近づくこの季節は空高い太陽が地表を隅々まで照らし、空き地の雑草もその恩恵を受け青々と育っていた。ノアザミの葉は容赦なく生い茂り、葉のとげは狙いすましたかのように僕のむき出しの肌をちくりとさす。 ガサガサと草をかき分けるような音がする。音の方向を見上げると長いさらさらの黒髪をポニーテールにしている少年がすぐそばにいた。黒いシャツ、黒のパンツ、全身黒づくめで年齢は17才くらいか。初めて見る少年。 少年は更に僕に近づくと、見知らぬ相手の急な接近に怯え、後ろに下がろうとする僕の手を素早くつかんで持ち上げた。 「おまえが、環?」 僕の名前を知っている? 先ほど密が呼ぶのを聞いていたのか。 少年はふーんと言いながら、少年から距離を取ろうとする僕のことをじろじろ見て、ニヤリと笑った。 「俺は、海」 海は僕を強い目でにらみつけ、海という字の思念を僕の頭の中に直接送りつけてきた。文字のイメージしか残らず音は聞き取れなかった。 いきなり知らない人に思念をぶつけるなんて失礼だ。思念のやり取りは親しくなってから行うものなのに。 不快であると伝えようと、にらみつけても向こうの目力の方が勝っていて、怖くて続けられない。 一瞬たりとも離れない強い視線に、身体全体が透過されそうで、急に背中がゾワゾワしてきた。足がすくみ動けない。彼はじりじりと距離を詰めてくる。 「俺とおまえは、すごく仲がいいんだ」 海という少年が自信たっぷりに言う、その言葉は少しだけ心地よく聞こえた。 「……触れ合っちゃう位にはね」 * 彼は強い光が宿る瞳を細めてにっと笑う。そのように言い切られると、なんだかそのような気がしてくる。海という少年と長年一緒にいた友人だった気分だ。そう、彼とは触っても平気なくらい仲良し。 海が近づいてきた。手を伸ばし僕の肩を抱く。海の髪からは日なたのような匂いがした。 彼の白い指がついでのように何気なく僕の口元をたどる。 「知ってるか? 口と口を合わせると、気持ちいいんだ」 そんなことは初めて聞いた。僕は急激に仲良しになった海から気持ちいいと聞かされ、そのような気がしてきた。 「そうなんだ?」 「うん、ほら」 海の唇が僕の唇を塞いでくる。しっとりとした唇にねっとりと塞がれ、息が出来ない。く、苦しい。 「ふ、ふぁっ」 苦しくて海の胸を強引に突き飛ばすと、不満そうな顔をする。半分閉じた目がまた近づいてくる。 「こんな時は、目を閉じるんだよ」 「息苦しいから、ヤダ」 「苦しくないようにするし。顔を斜めに傾ければいいんだよ。そうすれば鼻から呼吸できる」 海が楽しそうに言うので、やってみてもいいような気がしてきた。 「……なら、いいけど」 海の息が肌に触れる。湿った熱を含む息。鼻から吸い込む空気は少しひんやりして新鮮な気がした。 呼吸ができる安心感と落ちついてきたせいか、さっきは気が付かなかった匂いがする。海からだ。 日なたの匂いの他に鼻腔をくすぐる甘い匂い。もっと身体の奥底からの原始的欲求を引き起こすような、甘ったるくて切ない匂い。この匂いにもっと酔いしれていたい。 触れてくる唇も、ぷにっとした弾力がありなんだか楽しい。唇の触れ合いに慣れてきたら、ぬるっとしたものが強引に唇を割って侵入してきた。 それは僕の口腔内を縦横無尽に動き回り、歯列をなぞり口壁を突いたりしていたけれど、僕の舌を見つけるとすぐに絡め取った。 弄ばれる僕の舌。 視界を閉ざしているからか、全身の神経が舌先に集中し、擦れる感覚が全身に伝播していく。 ゆるんだ口の隙間からくちゅくちゅと絡み合う液性の音が漏れる。あふれた唾液は喉を伝ってシャツを濡らしていく。僕は気化熱でもたらされる冷たさでその事を知るのだ。 「おわり」 海は唐突にそう言うと僕から素早く離れ立ち上がった。自分の口元を手の甲で拭う。唇の狼藉はほんの数分だったのに、僕にはとても長く感じた。 ぎゅっと固く目を瞑っていた代償で僕の視界はぼけていた。なんだか夢を見ていたようだった。体が火照って熱い。 「じゃあな」 そう言い残すと海は僕の頭をなで、背高く生い茂る草むらの中に手を振りながら消えていった。 海の消えて行った場所を、僕は柵に寄りかかってしばらくぼんやりと見続けていた。風が草むらを揺らしていくさわめきで、我にかえった。 ボールは足下に落ちていた。 酸素不足でぼやっとする頭を振って、僕はボールを抱え部屋に戻った。
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