第10話 爽やかな朝

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第10話 爽やかな朝

爽やかな朝、俺はいつものようにスッキリと目覚め、一日で最も快適な時間を迎える。 朝食は、ゼリー状の健康食品。 それをCMのように、朝の通勤時間中にかっこよく胃に流し込んで、駅のゴミ箱に放り込む。 今日も、見事なシュートが決まった。 電車の時間も、少し遅らせただけで、全く社内の様子が変わる。 俺は、当然のように満員電車は避けるタイプだ。 幸いなことに、今の職場は、出勤時間が比較的自由に決められる。 空いている席は見逃さない。 電車の車内は、座るものだ。 駅を出て、颯爽とセンターに向かう。 この俺のかっこよさ、いつ通りすがりのOLに、呼び止められてもおかしくない勢いだ。 いつでも待ってる。 勤めているのは、国際ユニオン宇宙防衛局日本支部、アースガード研究センター本部室。 俺は、世界を股にかける男から、宇宙を股にかける男になった。 まさに、世紀の男! 「おはようございます!」 ここに来て三ヶ月足らず、すっかり仕事にも職場にも慣れた。 仕事は、相変わらす観測データの解析と、一般のお客様窓口の応対だけれども、それだって、地上の人類を守る大切な仕事。 責任とやりがいを感じて、毎日頑張っている。 窓口だって、時には変なのも来るけど、基本、国家的な宇宙プロジェクトを運営している権威あるセンターなのだ。 そんなところに寄せられる子供からのかわいらしい質問には、思わず笑みがこぼれる。 俺は、子供の語る将来の夢や希望を聞くことが、こんなにも楽しくて、華があるものだったとは知らなかった。 少年少女たちよ、ぜひとも君たちの語る明るい未来に向かって、果敢に挑戦を続けていってほしい。 ここから先の将来は、全て君たちのものだ。 「あ、僕、コーヒー淹れるんで、皆さんのも、ついでに淹れちゃいますね」 お茶くみを嫌がる男は多いが、俺は嫌いじゃない。 カップを並べて、それぞれの好みの砂糖とミルクの量を調節していく。 それが、無駄なこととか、意味のないことだなんて、思わない。 誰かのために、何かをすること。 例えそれが、一杯のコーヒーだったとしても、人の為を思ってすることは、自然に体が覚えてしまう。 そんなことは、当たり前のことだ。 気が利くとか、気を利かせるとかじゃない、自然現象、そう、俺にとってこれは、息をするのと大差はない。 「じゃ、置いておきますねー」 俺の教育係だった、唯一の女性職員、香奈先輩の机に、最後のカップを置いて自分の席についた。 「おい、杉山」 「なんですか?」 「テメー、今日はやたら機嫌がいいじゃねぇか、気持ちワリーな」 「何を言ってるんですか、通常運転ですよ」 香奈先輩の、そんな愛情溢れる冷やかしも、俺は華麗なステップでかわしていく。 いくら先輩上司とはいえ、女性に対して、男はどうあるべきかくらいは、心得ているつもりだ。 そう、俺は完璧な人間なのだ。 電話のベルが鳴った。 その音に、全身がビクッっとなる。 心臓がドキドキして、その会話がどんなに遠くても、聞こえないと分かっていても、つい聞き耳を立ててしまう。 「はい、アースガード日本支部です」 栗原さんが取った電話は、事務用品の会社のようだった。 納入品が間に合わないから、分割して届けるという連絡だ。俺は、ほっと胸をなで下ろす。 昨日、外部からかかってきた電話は5回。 その前は、少し多くて13回。基本的に、のどかな職場だ。 数日前には、科学雑誌の取材があって、俺がインタビューに答えるように言われたけど、新人として、そんな出過ぎたマネなんて出来ない。 そこは何でも知ってる栗原さんか、香奈先輩の方が、適任だと思いますよと言って、場を譲った。 俺は、そういった思慮深さも心得ている。今ここでヘタに目立ちたくない。 よくよく考えてみれば、宇宙業務を担当するアメリカ軍が置かれている、コロラド州との時差は16時間。 まず電話がかかってくることの方がおかしいのだ。 この21世紀にふさわしく、メールで時空を越えたやりとりをするのが、一番スマートで、スタイリッシュなやり方だ。 ホットラインで苦情なんて、絶対にないと信じている。 また電話のベルがなった。そのたびに、全身が飛び跳ねるくらいビクついているのが、自分でも分かる。 気にしすぎだ。 いけない、もうやめたい。 今回の電話は、香奈先輩がとった。 「はい、アースガード日本支部です」 香奈先輩の声は、女性らしいハイトーンボイスで、それは柔らかさというより、鈴の音のような元気さが魅力的だ。 「は? ノーラッド? 北アメリカ航空宇宙防衛司令部?」 その彼女の声のトーンが、三段階下に下がった。 「Yes, OK, We have a……」 その後の会話が、俺にはどうしても耳に入らない。 血の気が引くって、こんな風になるんだな、初めて経験した。 自分の胸の鼓動だけが、やたらと大きい。 香奈先輩が、俺と同じくらい真っ青な顔をして、電話を切った。 「今。アメリカから連絡があって、地球に落下する可能性がある小惑星が発見されたそうよ。その詳細なデータを、すぐに送ってこいって」 俺以外のそこにいたおっさん達が、一斉に彼女を振り返る。 「落下推定位置は、太平洋、日本近海から北大西洋にわたる北半球」 「大きさは?」 「直径、約300メートル」 「チェリャビンスクの、4倍以上じゃないか!」 「いつ!? 落下推定日時は?」 栗原さんが立ち上がった。顔には、緊張の色が隠せない。 「落下推定日時は、今から約3年後の夏……」 センターの中が、凍りついたように動かなくなった。 室内換気扇の音だけが、やたらと響いている。 「とにかく、岡山の鴨志田センター長に連絡を……」 香奈先輩の声に、俺以外の人間が、一斉に動き出した。 スローモーションのように、彼女の視線が、俺の目を捕らえる。 彼女は、何も言わなかった。
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