第1話 辞令

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第1話 辞令

俺は、渡された辞令書を手に憤慨していた。 なぜこんな事になったんだ。俺は外交官になりたくて、猛勉強の末に外務省キャリア官僚として採用されたんじゃなかったのか。 それが突然の出向とは、どういうことだ。 そもそも、出向だなんて都合のいい言葉を使いたくはない。 そう、これは俺にとっては、左遷だ、左遷、とうてい納得のいく話しではない。 しかし、そこは雇われ人の辛いところ、じゃあ辞めますだなんて言おうものなら、確実にキャリア官僚としての道は閉ざされてしまう。 ここはぐっと我慢して、とにかく数年を耐え抜けば、また元に戻れるチャンスがあるかもしれない。 とにかくむかつくが、今の俺には、そう信じるしか道はなかった。 そんな俺が、本日付で出向することになった職場の門をくぐる。 苛立つ思いを惜しげも無くあらわにして、誰もいない受付のテーブルに、辞令書を叩きつけた。 「すいません! 今日からこちらでお世話になる、杉山康平ですけど!」 台に置かれた、呼び鈴を連打する。 わざわざ俺がこんなところに来てやったんだ、ありがたく、さっさと対応しろよ。 そのままじっと待って、5秒ほど経過したけれども、奥の事務所からはなんの反応もない。 なんて失礼な職場だ。 俺が二度目、三度目の呼び鈴を、連打し始めたところだった。 「そんなに鳴らさなくても、聞こえてますけど」 出てきたのは、俺と同じ歳くらいの女性職員だった。 「受付嬢なのに、時間に受付に座ってないってのも、どうなんですかね」 俺よりずいぶん背が低い。 巨乳だけど、美人でもなければ可愛くもない。 黒髪ストレートの、いたって普通の女だ。 「あなたが杉山くん?」 彼女は台に置かれた辞令書を持ちあげ、眠たそうな目で書類に目を通す。 「今日から外務省の出向官が来るって、聞いてないんですか? 社内連絡、悪いっすよね」 「聞いてますよ」 女は、細くキレのある目で俺を見上げた。 「私が、新人教育係の三島香奈です」 俺は、このチビで生意気そうな女を見下ろす。 お前が新人教育係? 「そうですか、よかったですね」 「いや、最悪です」 「ところで、センター長はどこですか、先に挨拶を済ませておきたいんですけど」 「どうぞ」 ようやく扉が開いて、俺は中に入ることが出来た。 生意気な女が俺を先導する。 狭い事務所に、黄ばんだ壁と、すりガラスのパーティションは、一世代どころか、時代にあえて逆行しているかのような、古くさいオフィス形態を、よりいっそう胡散臭くかもし出している。 社内には、俺とこの女以外の人間が、三人しかいない。むさ苦しいおっさん連中ばかりだ。 残りのデスクは、使用されている気配はあるが、無人島で放置された半壊小屋のような状態で、資料なのか本なのか、紙資源の無駄遣いが山積みにされている。 まずはこのあたりから、環境改善していかないといけないな。 俺が派遣されてきたからには、とにかく実績を残して、少しでも上にアピールしていく材料を集めなければならない。 俺は、史上最速でここを脱出する。 その意気込みだけで、今の俺は生きているのに、それなのになぜか、女は部屋の隅の中古デスクを指差した。 「とりあえず、ここに座って」 そう言うと、女はその隣の壁際のデスクに座り、壁に背をもたれて足を組む。 「センター長は今は留守なの。学会があって、明後日にならないと帰ってこないわ」 何かの書類に目を通しながら、そのまま座って動かない。 出向官である俺がまだ立っているというのに、こんな基本的なビジネスマナーも徹底されていないとは。 「人と話す時は、ちゃんと目を見て話せって、習わなかったんですかね」 俺がそう言うと、女の目が、ようやくこっちを見た。 「センター長が不在なら、とにかく現時点でのここの責任者を出して下さい。僕には、僕の仕事がありますから」 「あなたの仕事はなんですか?」 「それを先に、聞いておきたいんですけどね」 女は相変わらす足を組んだまま、ありえないほど不遜な態度で俺を見上げている。 ここに派遣された人間が、ホント俺みたいな寛容な男でよかったよな、そうじゃなかったら、怒鳴られても文句言えない立場だぞ、コイツ。 「とにかく座ってって、言ったよね」 「先に挨拶しておきたいって、言いましたけど」 「杉山、私が座れって言ってんだから、とりあえず座れよ、このボケ新人」 目の前にいる、この態度の悪い女から発せられた言葉が、どうやら俺の耳の鼓膜を振動させているらしい。 「なにか言いましたか?」 「あたしが、あんたの教育係なんだよ!」 書類ごと、机に叩きつけた手の平が、バン! と、大きな音を立てた。 「いつまでボケーっとそこに突っ立ってんだ、さっさと座れ!」 この女が? 俺の教育係? この女が? 「どこをどう教育される必要があるんですか? 俺、国家公務員採用総合職試験をパスした、エリート官僚なんですけど?」 女は大声で笑った。 「あーぁ、ホント嫌になるから、もうこれ以上しゃべらないでくれる?」 「とにかく、ここの責任者の方を……」 「日本語、分かる? エリート官僚さん?」 こんな頭の悪そうな女に、バカにされる覚えはない。 「僕は外交官を目指していまして、英語はもちろん、フランス語とスペイン語も習得しましたし、今は中国語を勉強中なんですけどね」 「す・わ・れ!」 女がようやく、組んだ足を元に戻した。 「それとも、英語で言われないと分からないのかしら? 杉山、Sit!」 仕方ない、そこまで言うのなら座ってやろう。 俺は、指示された薄汚い椅子に座ってやった。 「それで、何をすればいいんですか?」 「そうね、私の指示を素直に聞くことから始めればいいんじゃない?」 「はぁ? なんで俺が、あんたの指示を聞かなくちゃならないんですか」  周囲にいた、むさ苦しいおっさんたちから、くすくすという笑い声が漏れ聞こえた。 ほら、やっぱりお前の方が間違ってる。 「笑われてますよ」 「あんたがね!」 俺が呆れてため息をついたら、この女も同時にため息をついた。 しかも、にらみつけてくる。 これは、実にムカツク展開だ。
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