いじめの始まり

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いじめの始まり

 (五)  恭輔の中学には所謂「町の子」と「田舎の子」がいた。町と言ってもそんなに大きな町ではない。漁師町が大きくなったような程度である。しかし町村合併以前はそこは「○○町」と呼ばれ、恭輔の育った田舎は「○○村」であった。そしてそんな「町の子」が恭輔の入学以来ちょっかいをかけるようになってきたのだ。 その子の名は半村と言った。髪を長く伸ばして真ん中で分けていた。所謂「イケメン」であった。一方の恭輔は頭はクリクリ坊主であり、とても「ピアノの名手」には見えなかった。また、町の子で、吹奏楽部に遅れて入って来た田邨という男もいた。彼は小学校からトランペットをやり、恭輔のことを「下手くそ」といつも言っていた。一年生の間、恭輔は誰の前でもピアノを披露することはなかったので、こいつがベートーベンやショパンを弾ける男だとは誰もが思わなかった。  同じクラスになった半村の家へ恭輔は何度か遊びに行った。彼の家は漁師町の真ん中にあった。玄関から一歩入れば応接間があった。テレビでしか見たことのないような洒落た部屋であり、ソファーが備え付けられていて、照明はシャンデリアであった。こんな家は恭輔の田舎の家にはない。恭輔の家は玄関から入れば未だに「かまど」があって、一段高くなった土間で家族が食事をするようになっていた。玄関脇の小さな部屋にピアノが置いてあることがどう考えても家の構造上不釣り合いであった。  「綺麗な家やのう」  「いや、この町では普通やで」  彼はこともなげに答えた。悔し紛れに恭輔は尋ねた。  「ピアノはないんか?」  「ないよ。君んちにはあるんか?」  「あるよ」  「そんならまた見せてもらうよ」  「ああ」  実は恭輔は「家を見られたらどうしようか」と内心では戦々恐々としていたのだ。彼の家に比べたら、恭輔の家なんかは家とは言えない、まさに「小屋」であったからである。そして、この半村と恭輔がやがて喧嘩を始める。そしてクラスのみんなと担任教師が半村の味方をし、恭輔は孤立無援になるのだった。そして、それは早くも一学期の5月から始まった。  恭輔には密かに思いを寄せている女の子がいた。小学校の同級生で田村由紀子という子であった。そして何の折か忘れたが、そのことを半村に話してしまったのである。半村はそれを聞くと水を得た魚のように元気になり、騒ぎ始めた。  「あのなあ、恭輔君の好きな子はなあ---」  「おい、やめてくれよ」  「ええやんか。あのなあ、恭輔君の好きな子はなあ---」  これが一回や二回ならまだ我慢できた。しかし何度にもわたってそういうことが行われたのだからたまったものではない。恭輔は「切れ」かかっていたが、何とかこらえた。そして六月になってもそれは続いた。  「あのなあ、恭輔君の好きな子はなあ---」  「お前、ええ加減にせえよ!」  半狂乱になった恭輔は半村の長い髪の毛を掴んで彼のおでこを何度も机にたたきつけた。教室にいた同級生の半分は避難し、半分は面白がってまくし立てた。  「おい、喧嘩や、喧嘩や、もっとやれ」  しかし女子生徒は違った。この二人の喧嘩を見ていて恭輔のことを乱暴者と思って担任教師に報告したのである。そりゃ、半村は手を出してないんだから恭輔を「乱暴者」と思っても不思議ではない。しかし恭輔という男は元来暴力なんかに訴える男ではなかった。野球もサッカーもせずに幼少期は女の子とお人形さん遊びやおままごとをしていたような男である。彼が半村のおでこを机にいくら叩きつけても痛くはなかったのであろう。半村は無言でされるままになっていた。  そして担任教師の呼び出しがかかった。普通は喧嘩両成敗なのに、恭輔だけが呼ばれた。全く以て不条理である。恭輔は生徒指導室に呼び出された。  「お前は何で半村に暴力を振るった?」担任の栗山は腕組みをしながら目下の者を睨みつけるように言った。当時の恭輔の考えでは教師とは「偉い大人」であった。だから栗山に逆らう術は知らなかったし、また逆らう気概もなかった。恭輔は半泣きになって言われることを聞いていた。  「何で暴力を振るったんや?言うてみい」  「半村君が僕の好きな子をみんなにばらそうとしたから」  「そんなことが暴力を振るう理由になると思っているのか?」  「---」  「ええか。暴力振るったら負けや。半村に謝ってこい」  「嫌です」  「何でや。反省の色がないなあ」  「何で僕だけ反省せなあかんの?」  「それはお前が暴力を振るったからって言ってるやないか?」  「先に怒らせたのは半村君です」  「それなら半村を連れてくるから待っとけ」  それから暫く経ってから半村が指導室に入ってきた。何か鼻で息を大きくしながら「僕は怒っています。被害者です」とでも言いたそうな表情をしていた。二人は暫くにらみ合ったままであったが、こんなことをしていてもらちがあかない。仕方なく恭輔は「御免」と言った。栗山は何も言わなかった。こうして事が済んだと思ったのであろう。しかし恭輔は納得がいかなかった。先に挑発をしてきたのは向こうの方だったからである。  そして、これが契機となってクラスでの恭輔に対するいじめが始まった。そして担任の栗山はそのいじめに加担した。---というよりは栗山が率先して恭輔をいじめるように仕掛けたと言っても過言ではない。  この当時、東京の富士見中学での「葬式ごっこ」事件が世を騒がせていた。担任教師が生徒との「連帯」のために「葬式ごっこ」に加わって世間の非難を浴びたのである。事実、当時の教師達にとって誰が誰をいじめているなんて関係がなかった。何よりも「クラスの連帯」が重視されたのだ。そのためにいじめでも何でも行った。あたかもそれが正しい教育であるかのような風潮が醸成されていたのだ。そして栗山も例外ではなかった。  こうして先生のお墨付きが出来上がったので、クラスでは恭輔に対していじめ放題という風潮が出来上がった。いじめられた恭輔は、腕力があるわけではなかったので泣くか半狂乱になって物に当たり散らして益々クラスで孤立することになった。 (六)  ある日のことである。恭輔が登校して下駄箱を開けるとゴミが詰まっていた。そのゴミが下駄箱を開けると溢れ出てきた。ゴミをどけると上履きがなかった。仕方なく恭輔は上履きを履かずに教室へ入った。すると黒板をいっぱいに使って落書きがしてあった。  「暴力男、加納恭輔、消えろ!死ね!」などと書かれていた。恭輔は黒板消しを使って一生懸命落書きを消した。そして机へ戻ると、そこにも落書きがあった。「加納恭輔キモい」と書かれていた。  その落書きを消そうとしていると栗山が入ってきた。  「何してるんや?」  「僕の机に落書きが---」  「そうか。自業自得やな」栗山はそう言って教卓に戻り、授業を始めた。恭輔は頭が真っ白になって、半泣きになりながら机をバンバンと叩き始めた。勿論栗山は黙っていない。  「加納、みんなに迷惑かけるんやったら教室から出て行け!」と一喝した。ここで恭輔は教室から出たらよかったものを、そのまま椅子に座り直して授業を受けた。  そして放課後、なぜか野球部の東田と陸上部の中尾に呼び出された。  「おい、お前、ちょっと体育館の裏まで来い」 東田も中尾も「町の子」である。しかも運動部に所属しているためか体格もいい。仕方なく恭輔は体育館の裏までのこのこと出かけたのだ。そこには東田と中尾と、なぜか半村までもが待っていた。東田が口を開いた。  「お前生意気やから今からしばくからな」そう言って恭輔の腹を蹴った。恭輔は腹を押さえてうずくまった。内蔵の痛さとともになぜか悲しみがこみ上げてきた。恭輔がうずくまると今度は中尾が頬を殴った。恭輔は頬を押さえた。おもむろに半村が言った。  「見てみ。暴力振るわれたらどんな気持ち?」  恭輔は腹を押さえたまま倒れ込んだ。そこへ三人が蹴りを入れる。  「やめてよー。わかったよー」  「何がわかったんじゃ?こんなもんですめへんぞ」そう言って今度は恭輔のズボンを脱がしにかかった。下半身がパンツ一枚になった恭輔は大声で叫んだ。  「助けてーー」  三人はなおも腹を蹴り続けた。恭輔は動かなくなった。  「おい、殺してしもたんとちゃうか?」  「よし、逃げ!」三人は逃げて行った。  翌日の昼休みに今度はトイレに呼び出された。呼び出したのは同じ三人であった。そして恭輔を無理矢理大便器の中へ押し込んだ。恭輔は戸を開けようとしたが、誰かが大変な力で押さえていて動かなかった。そして、しばらくの静寂の後に上からホースが降りてきた。  「いなかもん、臭いんじゃ。これで洗ろうたる」  放水が始まった。ホースが蛇のようにくねりくねり蛇行しながら勢いよく水を吐き出した。恭輔はびしょ濡れになった。  「やめてよー。やめてよー」  大便器の外で笑い声がした。三人ではない。十人くらいはいそうである。この状況を楽しんでいる所謂「傍観者」だ。  放水は十分間くらい続いた。半泣きになった恭輔が外へ出ると誰もいなかった。恭輔は給食を食べるために教室へ戻った。  この学校では給食は班で食べることになっており、四人が顔を突き合わせることになっていた。しかし恭輔の机だけが班の四人の机から離されていた。だから恭輔は一人で給食を食べなければならなかった。  その後、何度か恭輔は三人の「町の子」によってトイレや体育館の裏に呼び出され、いじめられた。また、給食時には班の者から机を離されて食べなければならなかった。給食は担任教師も一緒になって食べるが、完全に無視されていた。恭輔の自業自得ということになっていた。  こんな状態になっても恭輔は学校へでかけ、部活動もやっていた。部活動ではいつも田邨から馬鹿にされていたが、綺麗な音がでるまで練習した。  そんな折、部活動でも事件が起こった。それは三人の同級生の女子がホルンをやっていたのだが、その中で溝口という美人がいた。恭輔と同じクラスであった。  恭輔が机に向かってぼんやりとしていると半村が突然恭輔に言った。  「お前、溝口の方ばっかり向いて、好きなんやろ」  「いや、別に」  「言ってやろ、言ってやろ。おい、溝口」  「やめてくれよ」  「恭輔君がお前のこと好きなんやて」  溝口の顔が曇った。相手はクラスの嫌われ者の恭輔である。そんな男から好かれても嬉しいわけがない。溝口は青筋を立てて怒りだした。半村に向かってではない。恭輔に向かって怒りの刃を向けてきた。  「私、あんたのことなんか大嫌い!」そう言って思いっきり顔をしかめ、恭輔の頭を平手で叩いた。恭輔は泣き出した。  「わー。振られたから言うて泣いてやがる。こいつ本当に最低やなあ」  それから溝口は恭輔を見るたびにしかめっ面をして友人を誘ってこそこそと逃げるようになった。   (七)  元々恭輔がクラスでシカトされ、いじめを受けるはっきりとした原因をクラスの者全員が理解し、その意義を共有していたわけではなかった。半村に暴力は振るったが、それは既に終わったことだとクラスの全員が認識していた。恭輔は当時首一面にでき物ができていたのであった。そしてこれも嫌われる原因の一つであった。そのでき物は子供の頃は小さかったが、思春期になると女の子が逃げていくほどに成長していた。そしてみんなから「うつる」と思われていたのだ。  そんなことは担任も承知していた。しかし担任の栗山の意図は別の所にあった。「クラスの団結」のためにはスケープゴートが必要だったのだ。あの「葬式ごっこ事件」の教師と同じ発想であった。また、恭輔には整理整頓という概念が欠落していた。机の中はもらったプリント類が散乱し、食べ残しのパンまで詰められていた。それをある日、クラスの誰かが発見して給食の時に騒いだのだ。恭輔は一緒に給食を食べてはくれない班員に言ったことがある。  「何で給食の時に机離すの?」すると班の一人の男の子が言った。  「お前、汚いからじゃ」  「僕のどこが汚いの?」班員の別の女子が話に割り込んだ。  「それなら机の中見せてよ」そう言っていきなり恭輔の机を横に向けて机の中からあえるものを全て取り出しにかかった。給食の残りのパンやプリント類が山のように出てきた。 「おい、これ何じゃ?このゴミ男が」  「ほんま、汚な」クラスの全員の大合唱が起こった。  「ゴミ男、ゴミ男」  実はゴミを捨てることができないというのは恭輔の「障害」だったのだ。しかし、それがわかるのは彼が大人になってからだった。  しかし、ある日、溝口の態度があんまりだというクラスメイトが現れた。地獄に仏というのはこのことか?  放課後の反省会である男が言った。クラス役員をやっている男だ。  「最近の溝口さんの恭輔君に対する態度は酷いと思います」  「そうや。溝口、なんであんな冷たい態度とるのん?」男子生徒の一人が言った。  「彼のでき物のせいとちゃうか?」  「それやったらあかんで。可哀想や」  「そうや、そうや、溝口謝れ」  そこへ栗山がなぜか口を挟んだ。  「こいつは半村に暴力を振るってきた奴や。そんなのんは当たり前ちゃうか?」  「そう言われたらそうやなあ」  「そうやそうや当たり前や」  こうしてせっかくのクラスとの和解のチャンスを担任教師が無茶苦茶にしてしまった。溝口の方は同じ吹奏楽部であったので、部活動の時に謝ったが、この担任の態度が恭輔には納得いかなかった。そして第二の事件が起こった。  ある日、担任の栗山が嬉々として教室に入ってきた。そして一冊のノートに桐で穴を開け、紐を通して言った。  「これは一の一目安箱です。皆さん、一日あったことや言いたいことを何でも書き込んで下さい」そう言い残すと教室を出て行った。恭輔は早速目安箱に書き込んだ。  「喧嘩をしたのは僕と半村君なのになぜ僕だけが叱られるのでしょうか?喧嘩両成敗なのではないですか?僕がキモいからですか?」  翌日、目安箱を見た栗山は烈火のごとく怒り出した。  「おい、屑がこんなこと書いてあるぞ。お前、暴力ふるって何も反省してないんか?『なぜ僕だけが叱られるんでしょうか』やと?そんなもん、暴力を振るったからに決まってるやないか。なあ、みんな」  「そうやそうや。おい、半村も何か言うたれや」  半村はそそくさと前に進み出てノートを手に取り、恭輔の席まで歩み寄り、ノートを恭輔の机に叩きつけた。みんなが拍手した。栗山は満足げに笑っているだけであった。  ここで恭輔には選択肢は残されていないと思った。しかし今から考えると選択肢はあったのだ。それも二つもあったのだ。一つは自殺、すなわち死を以て担任教師に抗議すること、そしてもう一つは不登校を決め込むことであった。大体、学校なんか命をかけてまで行く所ではない。今ではフリースクールもあるし、通信制の高校なんかいくらでもあるし、高校卒業資格認定試験もある。ところが、当時の恭輔の考えでは教師は「偉い大人」であった。だからそれに逆らう術は知らなかった。だから、彼の父親はいじめられて困っている恭輔に追い打ちをかけた。  「お前は喧嘩なんかにうつつをぬかしている暇があったら勉強せんか。勉強して見返してやれ」と言うのみであった。  こんな状況になっても恭輔はピアノの練習だけは怠らなかった。しかし明らかにピアノの腕は落ちていた。五時間もピアノに向かうということはなくなった。  そんなピアノに代わって恭輔の心を捉えたのが宗教であった。当時、朝のラジオ番組で「宗教の時間」や「信仰の時間」というのがあって、それを欠かさず聞くようになり、いつの間にか仏壇で祖父とともにサンスクリット語で般若心経を唱えたりしはじめた。恭輔の読経の声は寝室で寝ている両親にも聞こえる。 「カーティカーティパラーカーティパラーサンカーティボディースバハーパニャーパラミターチタスートラ」  また、母親の実家の浄土真宗の寺やお光りさんの宗教やキリスト教会なんかへ出かけるようになっていった。いわゆる宗教遍歴が始まったのだ。  そうなってくると今度は母親が心配し始めた。母親はクリスチャンだったのだ。そのことはあまり母親は話さなかったが、この母親は毎日寝る前に布団の中で何かおまじないを唱えていたのを恭輔は覚えている。  「天にまします我らが父よ、願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせ給え。御心の天になるごとく地にもならせたまえ。我らの日常の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯すものを我らが許すごとく我らの罪をも許したまえ。我らを試みに会わせず悪より救いだしたまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン」  これがキリスト教の「主の祈り」というものであることは恭輔が大人になって初めて知ることになる。  さて、恭輔は自分ちの仏壇だけでは飽き足らず、やがて様々な宗教団体を渡り歩くようになってきた。読む本も変わっていった。少年の読む本ではなく、ニーチャやキルケゴールなんかを読むようになったのである。この頃から恭輔の関心は音楽以外にも向き始めていた。勿論、「自分は音楽しかできない」というコンプレックスは抱き続けていたが、精神性では誰にも負けないという自負も出来上がってきた。だから栗山をはじめ、教師なんかはお馬鹿に見えてきた。勿論、恭輔を散々いじめる同級生もお馬鹿に見えてきた。すぐに「勉強して兄のように偉くなれ」なんて言う父親も馬鹿に思えてきた。彼らとは「文化」が違うと思っていたのだ。  そんな時に事件が起こった。 (八)  恭輔はお金の入っている箪笥のありかを知っていた。両親が寝ている部屋に三つの箪笥が並んでいて、みんな桐の立派な箪笥であった。母親の結婚の時に持参したものだという。 その箪笥は両親の寝ている部屋でも際立って立派に見えた。左に黒い箪笥が一つと、その右に白い箪笥が二つ林立していた。そして、中には衣類が収められていたのだが、真ん中の箪笥だけ上部に引き出しが二つあって、その右の引き出しに通帳や印鑑が入っていたのだ。恭輔がその箪笥の引き出しを開けると、中に茶封筒があった。そしてその茶封筒には「特別賞与」と書かれていた。泥棒であることはわかっていたが、恭輔はその封筒の中身を見て驚いた。一万円札が何十枚も入っていたのだ。恭輔の良心が麻痺してしまった。そして思った。  「俺が学校でいじめられているのに『勉強勉強』と言いやがって。それならこの金をくすねて家出してやる」そう思って一万円札を十枚ほど抜き取った。  その夜、恭輔は新幹線に乗っていた。行く当てがあったわけではない。とにかくこの地獄から抜けだしたかったのである。  名古屋で新幹線を降りた。服装は学生服。学校へ通学するままの服装であったから、すぐに補導員に見つかった。  「君、ここの子ではないな。どこへ行くんだ?家出か?」  ここで正直に言う所がまだ子供だった。  「はい。家出しました」  「とにかく、そこの交番で話を聞こう」  こうして恭輔は交番へ連行された。中には人のよさそうなお巡りさんがいた。  「とにかく学校と家には連絡するからな。住所と電話番号は言えるか?」  恭輔は正直に住所と電話番号を話した。その後、警官は家に電話したようである。母親がやってくるとのことであった。その間、お巡りさんが味噌カツをご馳走してくれた。  「家の人、心配してたがや。何があったのか言うてみ」  ここで恭輔は学校のことを話した。お巡りさんは調書を取りながら言った。  「そうか。いじめられっ子か。よし、いいことを教えてやる。先ずは給食の時間になったら給食の盆を持って校長室の前の廊下へ行け。そこで給食を食べる。校長先生が必ず出てくるからこう言うんだ。『僕はいじめられていてみんなと一緒に給食を食べさせてもらえません。だからここで食べているんです。最初は自殺して遺書にいじめた者の名前を書いてやろうと思ったのですが、やめました。その代わりにこの事実を手紙に書いて内容証明郵便で教育委員会へ送ります』そう言って校長に脅しをかけるんだ。わかったな」  やがて新幹線に乗って母親がやってきた。父親は仕事が忙しいので来られないということであった。  「まあ、この子、こんなに心配かけて。お父さんも心配してたで。今日はホテルに泊まるからお巡りさんにお礼を言いなさい」  「はい、どうも有り難うございました。それから貴重な助言も有り難うございます」  母親は一瞬声を詰まらせて言った。  「助言って何のこと?」警官は慌てたように何か言おうとする恭輔の口をさえぎり、「いえ、何でもないんです」と言った。  こうしてわずか二日間の家出は終わった。帰ったら父親が待っている。殴られるかも知れない。そう思っていたが、「よく帰ってきたな」と言ったきりであった。  そして二日間学校を休んだだけで恭輔は学校へ出た。  「わー。キモいのが来た」それが同級生の第一声であった。しかし恭輔は気にしなかった。あの警官の言ったことを実行するつもりでいたからだ。  四時間目が終わると給食の配膳がなされた。給食のトレイが全員に行き渡ると、恭輔の班員はいつものように恭輔の机から離れた。恭輔はトレイを持ったまま教室を後にした。  「おい、どこ行くんや?」と栗山は言ったが、追いかけてくる様子もなかったので、恭輔は警官に言われた通りに校長室の前の廊下へ行き、給食を食べ始めた。最初は何人かの教師が訝しげに恭輔を見ただけで終わったが、二日目に校長が出てきた。  「君は確か一年一組の加納君やったね。まあ、中へ入りなさい」  この校長は名校長として知られている。決して威張ることなく、人当たりがよいことで生徒の人気もあった。だから何の躊躇もなく恭輔は校長室へ入った。校長先生も生徒と同じように給食を食べていた。それは 恭輔にとっては全くの異世界の出来事のようであった。校長先生というのはみんなと違ってもっと美味しいものを食べていると思っていたからである。  「校長先生も給食を食べるのですか?」  「そうですよ。先生もみんなと同じものを食べるのですよ。ところでどうしてあんな所で給食を食べていたのですか?」  「僕が給食を食べようとするとみんなが『汚いからあっちへ行け』と言うので、いつも僕は一人で給食を食べているのです」  「担任の栗山先生は何も言わないのですか?」  「自業自得だと言ってました」  「本当ですか?本当ならそれは非道い。栗山先生も君をいじめるのですか?」  「はい」  「そこで君はどうしたいと思っているのですか?」  「はい。最初は自殺してこのことを遺書に書いて教育委員会へ送ろうと思っていました。でも考えを変えて自殺はしないけど、このことは手紙に書いて内容証明郵便で教育委員会へ送ります」  校長は一瞬動揺した。「誰がこんな子供にこんな知恵をつけたのだろうか」と思ったが、すぐに気を取り直して言った。  「わかりました。このことは職員会議で取り上げましょう。そしてその結果も伝えるから、明日からは教室へ戻りなさい」  「はい。よろしくお願いします」  それから暫くしていじめはなくなった。栗山も何も言わなくなった。校長から何か「お達し」があったのだろう。しかし職員会議の報告というのは最後までなかった。この問題を本当に職員会議で討議したか否かは不明である。 (この後は後ほど公開します。何か怖いなあ)
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