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ワルの登場
(九)
こうしてクラスでのいじめはなくなったが、今度は吹奏楽部の部活動でのいじめが始まった。恭輔は第二トランペットのパートを与えられていたのだが、上手く吹けない。音を出すのが精一杯であった。それを小学校からトランペットをやっていた田邨が馬鹿にするようになってきたのだ。田邨は恭輔の態度にいらついていた。楽器ができない癖になぜ吹奏楽部に入っているのだろうかと思っていた。勿論、恭輔がピアノを弾けるなんて思ってはいなかった。音楽室のピアノというものに恭輔が触れたことがなかったからである。
ある有名な教育評論家が言っていたが、一番いじめの多い部活動は体育部ではなくて吹奏楽部らしい。「みんなで音楽を作る」のだから下手な者や音の出せない者は置いて行かれる。そしていじめの対象になるのだ。また、先輩からの受けも全く違ってくる。トランペットの天才であった田邨に自然と尊敬の目がいくのは当然のなりゆきであった。
この頃、恭輔の幼馴染みであった野田も吹奏楽部に入ってきた。野田のパートはユーフォニュームだったので、あまり他人と比較されることがなく、いつの間にか部にも溶け込んでいた。そして暫く経つと野田はトランペットに興味を持ち始め、天才的な能力を発揮するようになってきた。また、彼はギターも上手かった。
面白くないのは恭輔である。後から入ってきた者にどんどん抜かれていくのだから当然かも知れない。
しかし、そんな恭輔に助けの手を伸べてくれた友人がいた。小学校で一緒だった不良の富山である。そしてもう一人、柔道部に入っていた幼馴染みの田岡であった。
恭輔は、よく田岡のいる柔道場へ遊びに出かけていた。音楽室が四階にあり、柔道場は一階にあったのでお互いの動きは手に取るようにわかった。そして、いじめが嫌になった恭輔は吹奏楽部をやめて柔道部に入るという挙に出たのである。この時、なぜか富山が一緒に柔道部に入った。
柔道の練習は学校の柔道場で行われるが、それとともに柔道場のある町へ火曜日と土曜日には出かけるようになった。恭輔はそうなってもピアノの練習は欠かさなかった。土曜日はピアノのレッスンのある日であり、学校が終わるとその足でピアノの練習にかけつけ、練習が終わると柔道の道場まで自転車で移動である。その距離は約十五キロ。若かったとはいえ、無謀だ。それ以来恭輔は遅刻の常習犯になる。そして富山とつるんでわるさをするようになってきた。ここに立派な不良少年が一人出来上がった。
恭輔が柔道場で柔道の練習をしていえと四階から女の子が叫ぶ。
「恭輔君、練習は?」恭輔は無視した。吹奏楽なんかには何の未練もない。そしてもう一人、田邨も窓から叫ぶ。
「この下手くそ」
田岡が反撃の手を差し伸べてくれる。
「田邨君よ、恭輔君は先輩やぞ」
「何言うとんのや?下手くそはやめてしまえ」
さて、富山と付き合い始めたことによって完全にいじめはなくなった。恭輔をいじめるということは富山に楯突くことになるからだ。
柔道の道場は夜なので、それまでに恭輔は富山と落ち合う。場所は爆竹なんかの置いてある商店である。そこで爆竹を万引きしては近くの小学校で鳴らして遊ぶのである。爆竹の置いてある所は店の死角になっていて簡単に万引きすることができた。恭輔が爆竹なんかの安いものを万引きしている間に富山は万年筆や文鎮などの高価なものを万引きする。最初、恭輔は万引きする時には体の震えが止まらなかった。当時は監視カメラなんかなかったので見つかることはない。しかしどこかに良心が残っていたのであろう。不良仲間の誰かが二人くらい万引きをしている最中に釣り道具のリールを盗んでからは弾みがついてしまった。それから一人ででも万引きすることがあった。ただし、恭輔の場合盗るものが変わっていた。本である。「カラマーゾフの兄弟」「ツアラトウストラはかく語った」「原説般若心経」などが事が発覚した後に恭輔の本棚から見つかった。
これに対して富山は根っからの「不良」である。恭輔はそれを見せつけられて「こいつここまでやるか?」と思ったことも二回や三回ではなかった。
ある日曜日のことである。富山が恭輔の家へやってきた。このワルが本物のワルだと両親は知らない。当時はインターフォンなんかなかったので、玄関を開けると富山は叫ぶ。
「恭輔君いますか?」
何も知らない脳天気な母親が「はい、今呼んで来ます」と言った。
「恭輔、お友達よ」
「はーい」玄関へ行くと富山がいた。富山は両親に聞かれないように小声で言った。
「今から隣の中学へ行くねん。一緒に来やへんか?」
「わかった、すぐに行く」玄関から外に出るとワルの仲間が他にも七人くらいいた。
「(隣町の中学で何するのやろか?)」怪訝には思ったが、恭輔もこのワルの集団に加わって自転車で出かけた。三十分も自転車で走れば隣町だ。賑やかなお祭りが行われていた。最初、恭輔一行は駄菓子屋と豆腐屋を兼ねた店に入った。何気なく恭輔が飲んだジュースの空き瓶を豆腐の入れ物に入れた。それを見ていたおじさんが激怒して恭輔に言った。
「何するんや。このガキが!これは商売道具やぞ!」そして恭輔を小突いた。これが富山にとってのワルサをするための絶好の口実になったのだ。
「おい、恭さん。何言われたんや?」
「いや、商売道具に空き瓶を入れたので怒られただけや」
「何ー?そんなことで怒りよって。よし、敵討ちじゃ」そう言って隣町の中学に向かって自転車を走らせ始めた。恭輔も後を追った。三中のワルどもが集団で通りを行く。みんな道をよけた。恭輔もいっぱしの不良になった気がした。なぜか胸が躍った。
「(これから何が始まるのだろうか?)」
すると、テニスの格好をした二人の女子中学生にすれ違った。すかざず富山はその二人を蹴り倒した。
「何するのよー?」「ほんまよ。あんたら警察呼ぶよ」すかさず富山が毒づく。
「警察?おもろいやないか。呼んでみい」
その後、ワルどもは隣町の中学目指して自転車で駆けて行った。
中学校には簡単に侵入できた。当時はセコムなんかなかったのだ。校舎から体育館へ入った。
仲間の川谷が登山ナイフを取り出して言った。
「おい、このバレーのネット切ったるか?」
「おう、やったれ、やったれ」恭輔が言った。もういっぱしの不良である。
そして数人でバレーボールのネットをズタズタに切り裂いた。その後、校庭に出てテニスのネットも切り裂いた。そして不良どもは海へ出た。そこに食堂があったので、食い逃げをした。その後ゲームセンターへ入った。
「おい、三中のワルが来たぞ」誰かが言った。
「誰が三中のワルなんじゃ?」富山はそいつの頬を思いっきり殴った。殴られた中学生は床に倒れた。
そして帰りがけに富山がとんでもないことをやらかせたのである。
婦女暴行である。
ワルどもは解散し、恭輔と川谷と富山だけが残った。そこへ自転車に乗った女子中学生が通りかかった。
「おい恭さん、行くぞ」と富山は言ったが速いかその子を追いかけて行った。
「きゃー」遠くで叫び声が聞こえた。この時、川谷が恭輔を止めた。
「おい、やめてくれ。あいつ、俺の知り合いやねん」
富山は戻ってくると恭輔に言った。
「おまえ等、何で来なかったんや?ええチャンスやったのに」
「あいつ、俺の知ってる子やねん。やめたって」川谷が言った。
その後、恭輔と富山は悪逆非道の限りを尽くした。
バイクを窃盗して走り回るわ、女子高生を襲って逃げられるわ、商店へ入ればタバコを万引きして吸うわ、無茶苦茶であった。薄れかけている恭輔の良心が言う。
「(こいつ、ワルやと思っていたけど、ここまでやるか?)」
勿論、こんなことがいつまでも続くわけはない。やがて富山等の悪行が明るみに出ることになった。
ある土曜日の夜、恭輔一行が一緒に帰っていた。その途上で富山がバイクを盗もうとして見つかり、それから芋づる式にワルどもの悪行が教師達の知るところとなった。
約七人の生徒が指導室に呼ばれた。
「おまえ等のやったことを全部反省文に書け」
こうして親を呼ばれてさんざん説教を受けた。警察には知らされなかったようである。
ワルどもの大半は柔道部をやめた。一年生の三月のことであった。
(十)
やがて恭輔は二年生になった。柔道部も辞めさせられてやることのなくなった恭輔は、半村とは当然別のクラスになって一安心した。勿論富山とも別のクラスであった。そしてやることのなくなった恭輔は教師が言ったことを丸暗記し始めた。丸暗記と言っても恭輔にとっては難しいことではなかった。ピアノをやっていると右脳を使うので記憶力がよくなるというが、それは事実のようであった。しかし、その上に恭輔には奇妙な特技があった。彼は「カメラアイ」であったのだ。すなわち、教科書や黒板を一回見ただけで、それを大脳に刻むことができたのだ。恭輔はこの能力を誰もが当然のように持っていると信じて疑わなかった。実際、恭輔は後に高校の社会科の教師になるが、授業中に言ったことがある。
「社会科ができないなんて人の気持ちはわかりません。あんなもの覚えたらいいだけやないか」
この発言に当然、覚えるのが苦手な生徒はショックを受けたようである。
そんなことができるのなら昔から勉強もできたはずだと思われる人もいるだろうが、実際に恭輔はこのカメラアイの使い方が分からず、勉強ができるようになったのは中学二年からだった。
田舎の学校では勉強ができる者をいじめる奴はいなかった。いつの間にかいじめはなくなった。それから、富山との関係であるが、不思議なことに全く悪くはならなかった。三年生になってから富山と同じクラスになり、小テストなんかをこっそりと富山にカンニングさせていたからであった。恭輔がテストを書き終えると、彼はその用紙をこっそりと机の左端に出して富山に見えるようにしていたのである。
また、部活動だが、吹奏楽部に復帰した。これが命取りになるとは一考だにしなかった恭輔であった。
吹奏楽部に復帰した頃に一年生が入部してきた。最初の頃は一年生とも仲良くやっていた。恭輔は吹奏楽部を抜けていた期間があったので、一年生と同様で、二年生になってから入ったも同然であった。そして、この頃から音楽準備室にあったアップライトピアノを触るようになってきた。先輩の女子がこのピアノを使って「子犬のワルツ」なんかを弾いていたので、このピアノなら触ってもよいことが分かったからである。勿論、音楽室にあるグランドピアノを触ったら叱られるので、このピアノをよく弾いたものであった。
一体何をしに吹奏楽部に来ているのか分からない。ただ、ピアノを弾く能力は確実に落ちていた。練習はしていたのだが、土曜日だけだったので、当然腕は衰える。そこで恭輔も子犬のワルツなんかを弾いていた。
この頃から恭輔は何となく音大へ行きたいと考えるようになってきた。ピアノ科でなくても良かった。音楽と触れ合う生涯を考えていたのである。また、トランペットが口に合わないということが分かった音楽の教師はサクスフォーンに変えるように言った。恭輔は面白くなかったが、仕方なくサクスフォーンを吹くことになった。恭輔がサクスフォーンを嫌がった理由は、それがオーケストラで使われる楽器でなかったからである。また、木管楽器は大半が女生徒の持ち分だったという理由もあった。その上、恭輔が手渡されたサクスフォーンは所々メッキが剥がれ、マウスピースも汚れたままであった。だから、この時点で吹奏楽なんかやめて帰宅部になるべきであった。しかし音楽の教師の言うことなので素直に従った。また、幼馴染みの野田はトランペットにパートチェンジした。彼のトランペットは誰が聴いても上手かった。
そして夏休みが近づいていた。恭輔は一年生の永田という女の子と通知簿の見せあいをした。驚くべきことにその子は恭輔よりも成績が良かった。顔は人並みであり、体型はぽっちゃり。お世辞にも美人とは言えないが、成績は良かったのだ。
「この賢い子を襲ったら何と言われるだろうか?」
なぜか不穏な感情が湧いてきた。勿論、女の子なんか襲ってはいけないし、お触りをしてもいけない。セクハラである。しかし、そんなことが分からないということも恭輔の「障害」であった。この障害(アスペルガー)は恭輔が大人になってから発見されるのだが、恭輔は言われないと分からないのだ。例えば体に触れたとしたら、「嫌です」とか「困ります」とか言われたら何もしない。それが女の子の嫌がることだと初めて気づくのである。事実、言われないと分からないのである。しかし、そんなことが分からなかった恭輔は、この別に綺麗でもない女の子の肩をいきなり抱いてしまったのだ。
「何するの?やめてよ」と言えばよかったのだが、その子は言われるままになっていた。恐らく、先輩との人間関係が壊れると思って何も言わなかったのだろう。
気をよくした恭輔はその後も何度かこの子の肩を抱いた。柔らかい肌の感触が伝わってくる。もう誰にも止められなかった。
そして、この一件から、その子は勿論のこと、一年生から嫌われるようになってきたのである。
本当ならこの時点で部活動なんかやめたらよかったのだ。「嫌われている」と分かった時点で部活動なんかやめるのが正解である。学校をやめるというのは少しハードルが高いが、部活動なんか嫌々やるものではない。
その後、恭輔は何度か「やめたい」と顧問の音楽教師や父親に言うのだが、みんな判で押したように言うことが決まっていた。
「こんなことに耐えられないようだったら将来困るぞ」
これは大人の常套句で、さらに言えば「嘘」である。事実、恭輔は大学に入ってから武道を始めた。運動は大の苦手だったにも関わらずである。そして、武道のクラブだから当然のように「しごき」があった。しかし辞めようとは思わなかった。それどころか、三回生の時には主将をやっていた。この古武道部には「しごき」はあったが「いじめ」はなかったのだ。それに対して吹奏楽部には「しごき」はなかったが「いじめ」は厳として存在していた。
これも後になって知ることなのだが、最もいじめの多い部活動は体育部ではない。吹奏楽部なのだ。その理由は、吹奏楽というものは「連帯」を重視し、そこから外れた者はいじめられるのだ。恭輔の一年の時の担任であった栗山もクラスの「連帯」を重視するためにみんなと一緒になって恭輔をいじめた。葬式ごっこ事件で有名になった東京の富士見中学では、教師がクラスの「連帯(団結)」のために葬式ごっこに加わっていた。だから音が少しでも外れたりみんなと違うことをやったりするといじめられるのだ。だから恭輔は柔道を続けるべきだったのかも知れない。この後のいじめを考えたらそうすべきであったのだ。
しかし恭輔の母は全く違っていた。恭輔が大学で武道をやることに大反対であった。そして大学のパンフレットを見て「吹奏楽なんかあるよ」などといった的外れなことを言って恭輔を激怒させたことがあった。また、恭輔は最初に赴任した学校で合気道部の顧問になるが、それにさえも母親は反対した。そして「吹奏楽の顧問になったら」などと言ってまたもや恭輔を激怒させたのだ。恭輔が大学生以来自信をつけて古武道・居合道・空手・合気道の有段者になり、また合気道部はそれなりに楽しかったのに、昔に戻って反吐が出そうな音楽をやれと言ってるのかと思って、「わしが吹奏楽部でどれだけ嫌な思いをしてどれだけいじめられたか知ってるのか?」と怒鳴りつけたことがあった。
とにかく、恭輔は部活動が嫌で嫌でたまらなかったのだ。
さて、この一件より一年生から恭輔は徹底して嫌われた。嫌われたら嫌われ者らしくおとなしくしておけばいいものを、恭輔は逆に目立つ行動に出ることによって挽回しようとしたことがいけなかった。例えば生徒会長選挙に二度立候補したりした。勿論、幸いにも生徒会長にはならなかったのでよかったが、恭輔の取った行動はいずれもが目立つ行動であったことが事態を益々悪くしていく。
特にクラリネットを吹いていた藤田という女子は恭輔を見ると何か爬虫類でも見たかのように嫌な目をして、実際にことあるごとに嫌みを言った。生徒会長選挙のポスターを見て「おえー」と恭輔に聞こえるように言ったり、学校のバルコニーに立っていたら「そこは立ち入り禁止なんよ。生徒手帳取り上げやで」などと宣い、会うたびにあたかも爬虫類に道で出くわしたような嫌な目つきをするのだった。
恭輔は考えた。こんなブスは富山に頼んで強姦でもしてもらいたい。そうすれば嫌な部活動もやめられたであろうに---。そうして、富山がこのブスを強姦し、その上に顔を石ですり潰して元々ブスであるが、二度と見られぬ顔にしてしまうことを想像するのだった。
夜、富山がこの藤田の自転車の後をつけて行ってこのブスを蹴り倒す。ブスは間抜けにも転倒する。ブスは「うぎゃー」といった素っ頓狂な声をあげる。それを富山がペロリと姦ってしまう。その後、このブスに富山が馬乗りになって顔に硫酸をかけて二度と見られぬ顔にしてしまう。処女を喪失し、顔もやられたこのブスは電車に飛び込んで五体バラバラになってしまう---なんてどうだろうか?
とにかく、この頃より恭輔の性格はとち狂ったものになってしまった。
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