最もいじめの多い部活でのいじめ

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最もいじめの多い部活でのいじめ

(十一)  二年生の二学期が始まった。嫌われ者の恭輔は嫌われていることが分かっていながらも部活動に参加していた。そしていくつかの事件が起こる。  この部活動で恭輔が親しくしていたのは幼馴染みの野田とチューバの栗田とユーフォニウムの木山であった。恭輔は、野田とは普通に付き合っていたのだが、栗田と木山との関係は微妙なものであった。二人とも真面目で成績も優秀であったが、なぜか恭輔は野田と一緒になって栗田をいじめることがあった。手を出したわけではなく、口でのいじめである。理由なんかどうでも良かった。チューバという楽器は肺活量が必要とされる。だから栗田は顔を真っ赤にして演奏していた。それが面白かったというだけのことであった。本当に吹奏楽という部はいじめが多いのだ。ただ、当時はスマホや携帯などはなく、今のようにラインで無視するようなことはなかった。  そんな頃、帰宅部であった早野と、同じく帰宅部で在日韓国人であった金が吹奏楽部に入りたいと言ってきた。二人は早速音楽準備室でトロンボーンの練習を始めた。なぜかトロンボーンなんか吹いたことなんかなかった恭輔が指導した。早野と金は性格も学業成績も全く違っていた。早野はガリ勉タイプであり、金は根っからの勉強嫌いだった。だから二人の関係はというといつも早野が金をいじめていたのである。彼らは二週間くらいいたであろうか?二人の練習が終わると恭輔は一年生の女子に呼び出された。  「ねえ加納君(なぜか中学の吹奏楽部では先輩を「さん」でなく「君」と呼んでいた)、あの二人気持ち悪い。何とかしてよ」  「何とか言うても入りたい言うてるんやから仕方ないやないか」  「そう?みんな気持ち悪い言うとるで」  恭輔は思った。「(俺のことも気持ち悪いなんて思っていたのか?)」  「とにかくやめてよ。みんな嫌がってるやないの」  そこへ野田が入ってきた。  「野田君、助けて.加納君がいじめるねん」  「俺、何もいじめたりしてないやん」  「みんなが嫌がっていることをするんやったらいじめとちゃうのん?」  「そうや、そうや、いじめや、いじめや」  野田は一言も発しなかった。しかしなぜか一年生はよってたかった言った。  「ああ、野田君はよく分かってくれるわ。それに比べて加納君は何も聞いてくれへん」   「ほんまや、ほんまや」  「わかった。それなら二人にそう言ってくる」  「ああ?うちらのせいにするの?」  「おまえ等が言い出したんやないか?」  「ああ、怖。こんな先輩無視や、無視無視」  とにかく、二人はやめた。後で早野が言っていた。「何か金と一緒にされたなあ、嫌やなあ」  また、二学期には吹奏楽コンクールがあった。それへ向けての練習も始まっていた。その前にアンサンブルコンテストがあり、恭輔はサックスの部門で二人の先輩の女子生徒と一人の一年生の女子生徒に混じって男一人で演奏した。結果は金賞であった。恭輔をいじめる後輩はいたが、なぜかいじめる先輩はいなかった。この二人の先輩は、その後二人とも音大へ入る。特にテナーサックスをやっていた津山先輩はピアノの名人であった。恭輔とは違って音楽準備室でピアノを披露することはなかったが、演奏会ではリストの「ラ・カンパネラ」などを弾きこなしていた。その上に勉強も超一流であり、スポーツもそこそこできた。また、絵を描かせても大変上手であり、恭輔はその先輩の絵を美術室で見たことがあったが、あまりの上手さに震えが起こったほどである。この先輩は後に東京芸大のピアノ科へ入る。こんな天才達の前では恭輔のピアノなんかは、あたかもまだピアノを習い始めた幼稚園児がソナチネを弾いているようなものであった。恭輔が津山先輩に持っていた感情は「怖い」であった。勿論、大変人当たりがよくて優しい先輩ではあったが、そのずば抜けた才能に対する畏怖の念が「怖い」という感情に変わっていた。  吹奏楽コンクールに向けての本格的な練習が始まった。しかし恭輔は面白くなかった。部の方も出たり出なかったりで、ほとんど幽霊部員に等しかった。  そしてコンクールが始まる。三村中学の課題曲と自由曲が終わると、浜須中学の演奏が始まった。曲目はドボルザークの「新世界」であった。最初の出だしと激しい金管楽器の音に一同が驚愕してしまった。見事な演奏であった。そして、何を思ったのか、次のコンクールで三中が同じ「新世界」をやると後輩達が言い出した。  「下手の猿まねではないか?」と恭輔は思ったが、ほぼ全員が「新世界」をやることに賛成したので、やることになった。あまりの馬鹿馬鹿しさに恭輔は呆れかえり、益々幽霊部員に等しくなっていた。  この頃から恭輔は音楽をやる人間を何か異人種か妖怪のように思い始めた。「奴らは人間ではないんだ。だから音楽なんてできるんだ」と本気で思い込み始めた。こんな連中とは付き合いたくなかった。しかし野田だけは幼馴染みでもあったので付き合いは続いていた。恭輔のこの音楽人に対する偏見は彼が教師になるまで続いていた。大学で恭輔が入っていたのは古武道部であり、音楽関係の部活動ではなかった。それは、運動ができないことをことさらに馬鹿にされていたので、喧嘩だけは強くなろうと思ったからだ。そして最初に赴任した学校で合気道部の顧問になる。しかし、新任の頃になぜか吹奏楽部の生徒達から好かれ、考えが間違っていたことに気づく。しかし、学生時代の恭輔は音楽をやる奴が本当に嫌いだった。  その頃、音楽の教師がやっていたピアノ教室で発表会があった。吹奏楽部の生徒も参加することになったが、彼はピアノを弾くことになった。彼が選んだ曲はベートーベンの「テンペスト」の第三楽章であった。  恭輔が音楽室へ入ると、早速一年生がやってきた。  「そら、加納君、ピアノの練習はせんでもええの?」  これは完全に馬鹿にしきった物言いである。一年生が恭輔のピアノの腕を買っていたわけではない。邪魔者は音楽準備室に追いやりたかったのである。  しかし、恭輔は言われた通りに練習を続けた。その曲(テンペスト)を聴いて数名の一年生がやってきた。恭輔には何の悪感情も持ってない生徒もいたのである。特に尾西という「町の子」は「いつからピアノを習っているのか」とか「今ピアノはどのあたりまで進んでいるのか」とかしつこく尋ねてきた。彼女とはなぜか悪い関係にはならなかった。不可思議な現象である。この子は後に中学の音楽の教師になる。  そして、この発表会では恭輔は子供の頃のような失敗はせずに何とかピアノを弾きこなした。  (十二)  二学期も終わりが近づいてきた。恭輔は国語の文法を覚えながら渡り廊下を歩いていた。そこへ運悪く藤田が通りかかった。「目を見てはいけない」反射的に恭輔は思って、横を向いて「せ、○、き、し、しか、○」などと国語の文法を覚えるふりをした。しかし、そのようなことでひるむ藤田ではない。このブスは恭輔をしっかりと見据え、なぜか「おえー」と言って通り過ぎて行ったのだ。こんなことは日常茶飯事だった。とにかく、恭輔はこのブスが嫌いであった。顔中ニキビだらけで目が極端に細く、その様はまさに「蛇」であった。顔だけでなく心まで蛇であった。そしてまた事件が起こる。  この頃、生徒会長選挙が行われることになった。とにかく中学時代は目立つことをやって地獄から逃げようと考えていた恭輔は生徒会長に立候補した。本当は、生徒会長になれば「忙しいから」と言って部活動をさぼれると考えていたというのが真因であった。それほど恭輔は吹奏楽が嫌だったのだ。なぜやめなかったのか今でも不思議でならない。そしてなぜか理由は不明なのだが、同じ吹奏楽部の栗田と木山も立候補した。誰かがポスターを書いて貼りだしてくれたが、恭輔は全く関心がなかった。元々生徒会長なんかやるつもりはなく、嫌な部活動から逃げたかっただけだったのだから---。  結果は三人とも落選であった。ところが、この選挙演説で三人が前の生徒会長を批判したものだから、生徒指導部長の体育の教師は怒った。三人は指導室に呼び出された。そしてそこで、この指導部長が言ってはいけないことを言ってしまったのだ。  「山岡(前生徒会長)はスポーツをやっている人間なので、そのうちに気を取り直すと思うが、おまえ等は彼に謝れ」と言ったのだ。一体この何がいけなかったのか?それは「スポーツ」という言葉だった。「スポーツ選手は立派で吹奏楽なんてやっているおまえ等は下の下だ」と恭輔には聞こえた。実は、恭輔の父親も兄も陸上の選手であった。それに比べ、恭輔はピアノ以外に何かできることがあるわけではない。これが恭輔にとっての悩みであった。クラスでも「兄もおやっさんもスポーツができるのに---」なんて言う生徒もいた。だから恭輔は大学で武道のクラブに入ったのだ。元々武道はスポーツとは違う。スポーツとは遊ぶために考え出され、ルールというものが決まっている、まさに「遊び」なのだ。しかし、武道とは生きるか死ぬかを競ってきたものであって、当然ルールなんかない。試合とは殺し合いのことであり、殺すためには何をやってもよいものなのだ。これが恭輔を引きつけたのである。とにかく、前生徒会長に謝ることによって何とかこの問題はクリアーされた。しかし三学期になってもっと大きな事件が起こったのである。  恭輔はほとほと部活に出るのが嫌になっていた。また音楽なんかやる奴にはろくな者がいないと本当に思っていた。そして頭に血が上ったら何をするかわからないような男であった。彼を突き動かしていたものは破壊衝動である。「世の中みんな狂ってる。俺はこの狂った世の中に復讐してやるのだ」と真剣に考えていた。アメリカの大統領のように核のボタンを押せたらなあ---。そんなことを考えていた。彼の脳裏には「破壊」の二文字しかなかった。「俺はニーチェの言う超人なのだ。超人は人を越えながらも人なのだ。そして全世界の核のボタンを押して人間どもを根絶やしにするのだ」  そして彼は何を思ったのか、富山と一緒に音楽準備室へ行って椅子を持ち上げて楽器の入れてあった物置のガラスを粉々に砕いたのだ。ところが、これに目撃者がいた。一年生の河村という女子と、同じ一年生の上田という男子だった。上田は恭輔が椅子を持ち上げるのを見て激怒した。  「何するんよ?」と彼が言う間もなく、恭輔はガラスに向かって椅子を投げつけた。そこには唖然とする河村と、「やってやれ」と囃し立てる富山がいた。河村は言った。  「加納君、本当に二年生?」上田も言った。  「これ何とかせえよ。自分がやったことは自分で責任とれ」  恭輔は自分が何をやっていたか記憶になく、その後ガラス片を黙々と掃除し、新しいガラスを買ってきてはめ込んだ。その後、富山が言った。  「あの上田いうて生意気やのう。一年生の癖に」  恭輔は終始無言だった。実はこの頃から富山にやってほしいことがあったのだ。しかし、それは恭輔が高校に入ってから実現する。   (十三)  恭輔は三年生になった。高校受験が近づいてきたが、焦りはなかった。市内で一番の高校に入れることが既に分かっていたからである。---というのは、この当時の兵庫県では、内申書で大体行く高校が決まり、受験は、行きたい高校へ行って「思考力検査」というのを受けたらほとんどフリーパスだったのである。  吹奏楽部でも秋の大会に向けて「新世界」の練習が始まった。新しい一年生も入ってくる。しかし、恭輔はそんなことには何の関心もなかった。この頃から恭輔は密かに音大へ行きたいと思うようになっていた。理由なんてない。音楽以外にできるものがなかったからである。だから部活動は依然として幽霊部員を決め込み、ピアノの練習に打ち込んでいた。そして新一年生のことでまたもや事件が起こってしまう。そして三年生の三人がそろって部活動を退部するという挙に出るのであった。  それは恭輔が三年生になって初めて音楽室へ行ったことによって起こった。音楽室に入ると藤田等に混じって見慣れぬ顔の女子が二、三名いた。一年生である。彼女らが藤田と話しているところへ恭輔は割り込んだのだ。大体、あからさまに自分を嫌っている奴の会話に入り込もうとした恭輔は余程の馬鹿であった。こんな時は知らぬ存ぜぬを決め込み、そっとしておくのが得策だとは思わなかったのだ。恭輔は言った。  「君ら、一年生?」  「はい」  「吹奏楽部に入るの?」  「はい」ここで恭輔は迸る自分の感情から、言ってはいけないことを正直に告げてしまったのだ。  「やめておいた方がいいよ。吹奏楽なんか」  この言葉に藤田が因縁をつけてきた。  「何よ、加納君。せっかく入ってくれると言うてるのに」  恭輔は次の言葉に窮しそうになったが、負けずに言った。  「いや、中学生のうちは運動やった方がええよ。文化部なんか---」  「じゃあ、加納君はどうなのよ?」  そして恭輔は完全に言葉に窮してしまった。これは一番きつい一言だったのである。  「みんな、こんな三年生放ったらかして行こ」  こうして藤田は音楽室を出ていった。そしてしばらくしてからなぜか藤田だけが戻ってきてきつい嫌みを言うのであった。  「加納君、あんな怖い三年生嫌やって言うてるわ」  この事件で恭輔ははっきりと部活動をやめる決心がついた。元々、部活動に入っていたら内申点がよくなるというだけの理由で嫌々やってきたのだ。もう何でも良かった。そして栗田と木山にこのことを話すと、なぜか二人とも「僕らもやめるわ」と言った。そうして三人の三年生が部活動を抜けた。当然驚いたのは顧問の音楽教師であった。三人とも呼び出され、辞めないように説得された。こうして木山と栗田は何とか残ったのであるが、恭輔は残る気なんかさらさらなかったのだ。音楽教師は恭輔に言った。  「何があったのか知らないけど、こんなことでやめるようじゃ将来ろくなもんにならんよ」  「そんなこと関係ないんです。僕は内申点を上げるためだけに部活動に入ったのですから」この言葉がよほど感に障ったのか、音楽教師は激高して言った。  「それやったらお前の音楽の点なんか1や」  本当に通知表が1になっては困る。そこで恭輔は謝った。こうしてもう一年間地獄の日々が続くことになった。  しかし元々嫌々続けている部活動である。こんなものに身が入るはずがない。そこで恭輔は吹奏楽部が潰れたらいいと考えるようになった。それから音楽教師にはことごとく反抗的な態度を取った。そして、ある日のこと、音楽の授業をボイコットして教室で過ごしていたのだ。しかし、やはり内申点が怖い。そこで音楽室を少し覗きに四階まで上がって行った。音楽室の近くに来たかと思うや、音楽教師が突然教室から出てきて怒鳴り散らした。  「加納、何でこんなことするんじゃ!」  恭輔はそのあまりの迫力に驚いた。相手は声楽もやっているのか、大声である。ビビり屋の恭輔は全く萎縮してしまい、音楽準備室でポツリポツリと話し始めた。  「僕は運動ができないことがコンプレックスなんです。だから文化部なんかに入ってみんなが馬鹿にするので嫌だったんです」  「そうか。でもなあ、お前は東高校へ行くんやろ?東高なんかへ行ったら今まで体育部に入っていた奴らもみんな文化部に入るんやで」と優しく語りかけてくれた。そして付け加えるように言った。  「わしは、お前にコンクールの時にピアノを弾いてもらおうと思っていたんやが、こんな事件ばかり起こすのでやめたんや」  ここで恭輔はなぜか下級生から嫌われ、いじめられていることを言い出せなかった。  大体、三年生の二学期になると、大半の部活動は引退ということになるのだが、吹奏楽部はコンクールがあるので、なかなか引退できなかった。コンクールの自由曲は猿まねの「新世界」であった。早朝練習もあったのだが、恭輔は参加しなかった。しかし、朝登校すると下手な「新世界」が聞こえてくる。それを聴くとなぜか反吐が出そうになった。  やがてコンクールが終わり、その後恭輔は町の中にある東高校へ進学した。  (十四)  高校へ進学した恭輔は音楽系の部活動には入らずに郷土部に入った。しかし、相変わらずピアノの練習は続けていた。  (まだ少し続きがあるから読んで下さい。衝撃のラストに入ります。)
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