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「怖がり拳士」
(序) 武道家と言えば大抵は「腹と胆の座った奴」と相場が決まっている。そりゃスポーツと違って「生きるか死ぬか」を競って鍛錬を積んできているのだからそう見えてもおかしくはない。しかし、ここに登場する聡と言う奴は自信家とはとても言えない、雌猫のような気の弱い男であった。
彼が武道を始めたのは大学時代であって、一番初めに出会った武道が古武道であった。大学のサークルが古武道部であったので、ここに入部して鍛錬を積んできた。大学三年生の時には主将を務め、二段を取得していた。
しかし元々は性格は温和であり、どこか抜けたところがあった。彼に中高生時代につけられていたあだ名が「貧弱さん」だったことからも彼の気の弱さは推して知るべしである。こんな彼が古武道部で主将をやっていた理由は、他の同学年の学生がみんなやめてしまって三年生は彼一人しかいなかったからである。彼は先輩が怖くて辞めることができなかったのだ。こんな奴だったから普通の体育系のクラブでよくあるような一年生をいじめたりするようなことはなかった。相撲の世界では後輩をいたぶる時には「可愛がる」と言うらしいが、そんなことをしたことはなかった。だから二年生の副主将が「憎まれ役」を買って出ていた。しかし彼は武道が好きだったのか、空手や合気道や居合道などもやり、合計の段位は六段を取得していた。彼のような人間が何故武道なんか始めたのかと言うと、先述したように子供の頃から運動音痴でいじめられていたからである。だから喧嘩だけは強くなりたかったのだ。
(一)
聡はあまり勉強のできる方でなかったが、なんとか大学に現役で合格した。行きたかった大学ではなかったが、彼の実力では相応の大学であった。彼が本当に行きたかったのは音楽大学であった。幼少の頃からピアノをやっていたからである。しかし高校生の時にピアノの先生から「趣味程度」と言われ、あきらめた。そして分相応の大学に受かり、そこへ入学したというわけである。
大学は京都にあり、瀬戸内の島の出身であった彼は左京区にある小さな下宿を見つけてそこに住むことになった。下宿は四畳一間で小さかったが、学生の身の聡にはもってこいの広さだった。また、下宿から百メートルくらいで鴨川へ出ることができた。鴨川の川沿いにはワコールの社長さんや有名な大学教授の邸宅などがあり、住環境は抜群であった。鴨川の河原にはいつもアベックがいて等間隔でイチャイチャしていた。また、大学までは自転車で十五分の距離であった。自転車は貰い物であった。婦人用の自転車、所謂ママチャリである。これに乗って彼は大学へ通った。
文学部社会学科の一年生は英語と第二外国語と社会学基礎論と一般教養を取る。何をどう選択したら良かったか分からなかったが、学部の先輩が懇切丁寧に単位の取得方法を教えてくれた。入学式にはなぜか過激派の生き残りが来て挨拶をした。「自治会会長」と名乗っていた。
こうして聡の学生生活が始まった。
入学当初には大学ではサークルの勧誘が盛んに行われる。一際体格が小さくて一目で一年生と分かる聡は様々なサークルから勧誘された。最初に声をかけてきたのはコーラスのサークルであった。聡は母親が音楽の教師であったから、小さい頃よりピアノを無理矢理習わされ、相当な腕を持っていた。既にショパンやリストなどを弾きこなすことができた。彼に声をかけてくれたのは上級生の綺麗な「お姉さん」であった。
「熊の子コーラス隊ですけど、音楽に興味はありますか?」と「お姉さん」は尋ねた。「興味がある」どころか、彼は高一まで音大を目指していたのだ。勿論「はい」と答えた。そうして、コーラスの練習場まで案内された。 練習場は屋外であった。綺麗な混声合唱の声が聞こえる。しかし、何かが違っていた。そう、その曲が変わっていたのだ。
「暴虐の雲光を蔽い、敵の嵐は荒れ狂う、ひるまず進め我らが友よ、敵の鉄鎖を打ち砕け---」
その「熊の子コーラス隊」という可愛いネーミングとは似つかわしくない曲であった。
「一体これは何なんだ?」そう思っているとヘルメットを被って手ぬぐいでマスクをした男が現れて演説を開始した。
「新入生の諸君、我々はデカルト的コギトではありません。大学当局の学費値上げに対して断固反対する者、怒る者です。すなわち『我怒るゆえに我あり』なのであります。横暴な大学に正義の鉄槌を下しましょう。では、次の曲は名歌中の名歌、インターナショナルであります」
「オー!」
コーラス隊が気勢を上げた。そして次の歌が始まった。
「立て、飢えたる者よ、今ぞ日は近し。覚めよ我が同胞、暁は来ぬ---」 「こんな連中が残っていたんだ。一体今を西暦何年だと思っているんだ?これは前世紀の遺物ではないか?」聡は思った。
そのうち、曲が変わった。
「よっしゃ、そんならメーデー歌や。みんな、ええな!」
「オー!」
「聞け万国の労働者、轟きわたるメーデーの、示威者に起こる足どりと、未来を告ぐる鬨の声。汝の部署を放棄せよ、汝の価値に目ざむべし、全一日の休業は、社会の虚偽を打つものぞ---」
見ると、聡を誘った綺麗なお姉さんも一緒になって大声を張り上げて歌っていた。
「これはもしかしたら噂に聞いていた民主○○同盟ではないのか?」
そう思って聡は歌っていたコーラス隊にいた一人の男子学生に声をかけた。
「あなた方は民主○○同盟ですか?」
「何?ミンコロ?ああ、違うで。あんな奴らと一緒にせんといて」彼は言った。
「(俺は親父からしつこく言われていたんだ。『絶対に学生運動なんかするなよ』って」
聡はあまりの怖さから震えだした。そして震える声で先輩に告げた。 「僕帰らせてもらいます」
こうして難を逃れた聡は一目散に逃げ出した。彼らが追ってこないか何度も後ろを振り返り振り返りしながら逃げ出した。こんな連中に捕まったら大変だ。就職は駄目になるし、下手をすればせっかく入った大学もやめなければならなくなるかも知れない。そして彼らが追ってこないことを確かめると、大学の西門のあたりをうろうろし始めた。
そうすると髪の毛を角刈りにして体格のいい男が近づいてきた。サークルの勧誘だろうが、今度も違う意味でやばそうだ。体育系のサークルであることはその男の風体から一目瞭然だ。どうも大学の体育会というのは辞めるに辞めることが出来ず、もし退部しようものなら退部金何十万という金を取られると兄から聞いていた。ここも逃げるに限る。---と思っていたら、その男は聡の片腕を大変な握力でがっしと掴んだ。
「一年生ですか?」
「はい」
「空手部ですけど」
「カラテ」と聞いて聡の全身から冷や汗が出始めた。
「(怖い)」ただそう思って即答をためらっていたのだ。
「うーん。あのー」 聡がそう言ったかと思うや否や男は吐き捨てるように言った。
「もうええわい!」 これにはさすがに温厚な聡も腑が煮えくりかえる思いだった。
「向こうから声をかけておいて『もうええわ』とは何事だ?」 頭にきた聡は空手部よりも強そうなサークルを探した。そして不動禅少林寺拳法部というサークルの練習を見学に行くことになった。練習はなぜかアスファルトの上で行われていた。三年生だとおぼしき角刈り野郎が一年生か二年生の後輩をしごいていた。後輩は一生懸命拳立てをアスファルトの上でやっていた。そこに角刈り野郎が竹刀を手に何かわめき散らしている。
「こらー!お前はこんなこともできへんのんか?みんなやってるやないか?」
そう言って竹刀で後輩を思いっきり叩く。後輩は「うーん、うーん」と唸りながら拳立てをやっている。
「そりゃ!あと二十回や!ちゃんとやらんか!このウスノロが!」 この竹刀を持った角刈り野郎は主将ではない。統制部長と呼ばれる奴だ。何をするのかと言うと、下級生をしごくのが仕事だ。その間、上級生はキックミットを蹴って遊んでいる。そして今までキックミットで遊んでいた上級生が聡の所へやってきた。
「どないや?入部の決心はついたか?」
「いやー?あのー?そのー?(こんな怖い部活、誰がやるか)」
「はっきりせん奴やなあ。怖いんか?」
「あのー、正直言うて怖いです。こんな練習僕にはできません」
「そうか。まあ、よー考えてから結論出せ。お前は空手に勝ちたいんやろ?」そう。聡は空手部の先輩に馬鹿にされたばかりだったので空手に勝てる部を探していたのだ。
「いや、勝ちたいと言うても---(これなら勝てるかも知れないが、先に俺の心身が根を上げる)」
こうして聡は何とか解放された。それにしても大学の体育会と言うのは噂に聞いていたよりも怖ろしい所だ。
次に気弱な聡は東門に向かって歩き始めた。この大学のキャンパスは明治時代にできたものをそのまま保存してあるので、タイムカプセルで明治時代に迷い込んだような気持ちだった。ほとんどの校舎が赤レンガ造りであり、それが歴史の重みを感じさせた。そして東門から外に出ようとした時に、またサークルの勧誘に捕まったのだ。眼鏡を架けた背の高い男が近づいてきた。彼はどこにでもいるような典型的な大学生に見えた。文化系のサークルだろうと思っていると、男は聡につかつかと歩み寄り、尋ねた。
「一年生ですか?」
「(見りゃ分かるだろうが)はい」
「もう何か入るサークルは決めましたか?」
「いえ、まだです」
「古武道って知ってますか?」
「(コブドウ?何だそれは?)いえ、知りません」
「四百年前に始まった大昔の武道です」
古武道はその後「ナンバ走り」などで有名になるが、当時は認知度は低かった。続けざまに男は尋ねる。
「柔術って聞いたことありますか?」
「(ああ、ジュージュツ。あの姿三四郎に悪役として出てきて講道館の姿三四郎に投げられる悪い奴らだ)はあ、聞いたことはあります」
男の目が眼鏡の奥で光ったように感じた。こいつなら勧誘できると思ったのだろう。
「僕達は、その柔術をやっています。見学に来ませんか?」
男が体育系のサークルにしては優しそうな顔をしていたのと、少し興味もあったので「考えてみます」と言ったら、男は離れていった。 その後、聡は大学の中でも一際目立つ大きな赤レンガの建物に入った。目的は、そこからだと大学のキャンパスが一望できるので、「綺麗な女子大生はいないかな」と思って物色していたのだ。すると今度は実験用の白衣を着た男が近づいてきた。理工学部なのだろう。そして先程の男と同じことを尋ねたのだ。
「一年生ですか?」
「はい」
「古武道って知ってますか?」 「(『知ってますか』って、今勧誘されたばかりだ)はい、東門の所で勧誘されました」 すると、実験服の男はゆっくりとタバコを取り出し、それをくゆらせながら言った。
「ふんふん、誰やろか?今日京都御所で練習やるねんけど一回見にこないか?」
何も知らない聡は二時に京都御所へ行く約束をしてしまった。そして御所に行ってみると、先輩達に混じってどこかで見たことのあるような男がいた。高校時代の同級生であるが、話したことはない。彼も高校時代は国公立文系でトップだったが、何のまちがいかこの大学に入っていたのだ。彼とは高校が一緒だったと言うだけで面識はない。話したことも勿論なかった。しかし彼は遠慮会釈もなく尋ねた。
「おお、お前も入るのか?」
「いやー、入るかどうかまでは---」
「アホか。何言うてるんや。入ろうや」
そして気がつくと聡は、その田崎という男と一緒に体操服を着て練習することになった。
始めに、先輩達が型を披露してくれた。柔術と棒術の型である。そしてそれを見た聡は思った。
「すごい!格好いい!」
それは空手でも柔道でも合気道でも少林寺拳法でもない。「昔の武術」だと言っていたが、この型がどれもこれも新鮮に思えた。そう思って見とれていると四年生の大先輩がやってきた。
「おお、今年は一年生は大漁やなあ。おい、一年生、簡単な護身術を教えたるわ」
そう言ってその先輩は聡の片腕を掴んだ。
「これを外してみろ」聡は外そうとしたが、四年生の細身の体からは信じられないような握力で握られていたので簡単には外れない。そこでその四年生は言った。
「今掴んでいる手の指はこっち側は4本、こっち側は親指だけの一本や。そやから親指の方に手を捻って抜く」
言われるままにやってみると手は簡単に外れた。
「次は両手で両腕を掴まれたらどうする?」と言って四年生は聡の両腕を取った。これは簡単に外れそうにない。すると、四年生は言う。
「両手を仏さんを拝むようにしてみろ。そして外す」すると、また手は簡単に外れた。
「今度は片手を両手で掴まれたらどうする?」そう言って四年生は聡の片腕を両手で掴んだ。またしても大先輩の大変な握力が伝わってくる。外そうと悪戦苦闘していたら大先輩は言った。
「相手は両手でこちらは片手やろ。普通では外れへんなあ。そやからこちらは自分の手を掴んで両手にする。こうやって小指のあたりを持つんや。そうしたら外れる」 言われた通りにやってみると手は簡単に外れた。
「これは面白いぞ」そう思った聡に実験服の男が言った。
「これを一年間ほどやったら空手初段の奴くらいなら勝てるようになるぞ」
嘘だろうとは思ったが、先程空手部の先輩から馬鹿にされたばかりだったので、その言葉は聡のハートを鷲掴みにしてしまったのだ。こうして聡は入部してしまった。
(二)
この大学の古武道部は竹内流という流派で、記録のあるところでは日本最古の柔術らしい。発生したのは十六世紀で鉄砲が伝わるよりも数年前である。竹内久盛がこの流派の流祖であり、現在の宗家は十五代目である。 練習は月曜日から土曜日までぎっしりと組まれており、レスリング場や柔道場を使って大学の講義が終わった頃から練習した。そして土曜日は京都御所の周りを裸足で走った。そのために聡は魚の目になったこともあった。土曜日の練習が終わると師範のいる山の道場へ行くこともあった。道場は北山杉の生い茂った山の中にあり、「これが京都市か?」と思わせるような場所にあった。京都は山に囲まれた盆地であり、仏教大学前でバスを降りると光悦寺という寺まで坂道が続いている。その坂を登ったところに釈迦谷というところがあり、ここにも京都市バスの停留所がある。そして、その停留所から山の中を分け入ると道場があった。道場には師範がいた。師範は思っていたよりも優しそうな方であり、練習が終わると色々な面白い話を聞かせてくれた。 とにかく、こうして聡の大学生活はスタートした。当時の聡は髪の毛を長く伸ばし、女かと間違えるような整った容姿をしていた。だから、同じ社会学科の学生から「こいつが古武道なんて全然イメージできへんわ」と言われたものだった。それは、中学・高校の同級生もそうであった。ピアノを弾き、音楽ばかりやってきた聡が古武道部なんていう硬派のサークルに入るなんて誰も思っていなかった。「どうせすぐにやめるだろう」と皆が思っていたようである。しかし、予想に反して聡はやめなかった。それどころか、二年生から空手も始め、彼の大学生活は武道一色に染まってしまっていたのである。 当時一年生は聡や田崎をはじめ、六人いた。出身地もまちまちで、同じ高校だったというのは田崎だけで、あとは北海道・神戸・福岡・名古屋の出身者であった。直接技の指導を受ける三年生は四人だけで、おびただしい数の二年生がいた。
ところで、最初の頃は聡はこの部は体育系にしては「楽勝」だと思っていた。しかし一ヶ月もすると練習は厳しくなってきた。何か二年生の一人が「最初は『騙された』と思ったけど--」なんて言っていた意味がようやく飲み込めた。やはりこのサークルは「体育部」だったのだ。三年生の罵声も飛ぶようになってきた。 当時、聡は同じ高校で陸上をやっていた田崎と名古屋出身の島浦とよくつるんで行動していた。まあ、どちらかと言うと「悪友」であった。そして、そんな折に聡の気弱さが露呈されてしまう事件が起こる。
ある日の夜、聡と島浦は歩道を歩いていた。何の帰りだったのかは忘れたが、恐らくは飲みに行った帰りであろう。ほろ酔い加減で歩いていると急に若い女性の声で「助けて下さい」と聞こえてきた。女性は島浦のいる歩道まで小走りに走ってきて島浦の腕に絡みついた。そして言った。「助けて下さい!」女性が言ったかと思うと、一台のシルバーの乗用車が歩道に乗り上げてきた。
「何や?おまえら?こいつとどんな関係や?」男は運転席から凄んだ。 「友達です」と島浦が言う。聡はこんな場面に遭遇したことはなかったので蛇に睨まれた蛙のように完全に凍り付いてしまった。しかし島浦は平然としていた。
「友達やて言うんやったらおまえらこいつの名前知ってるのか?」 女は小声で島浦に耳打ちをする。「堤です。堤です」
「堤さんです」島浦が男に向かって言った。
「覚えとけよ」男の車は去っていった。女は聡のことは構わずに島浦に礼を言った。
「有り難うございます、有り難うございます」
女が去ってしまうと、島浦は安堵の表情を見せて聡に言った。
「ああ怖かった」
「(何だ、彼も怖かったのか)」聡は安堵したが、同時に自分の不甲斐なさに意気消沈してしまった。そして島浦に言う。
「お前、勇気あるなあ」
「いや、あの女の人が『助けて』なんて言うから仕方なく言っただけだがや」
聡も島浦も古武道なんか習い始めたばっかりである。聡は全く自信がなかったのだ。しかし島浦は怖いとは思いながらも女性を助けた。すごい!そう思っていると島浦は名古屋弁丸出しで言った。
「あんな奴、どうせ免許取り立てで嬉しいだけだがや。格好つけやがって」
聡の田舎の言葉で怖がりのことを「おじみそ」という。事実、聡は子供の頃から「おじみそ」であった。喧嘩をしても必ず泣かされて帰ってくる。そんな様子を見ていた父親は「喧嘩に負けたんか?このドアホが!勝つまで帰ってくるな!」と言ったものだった。体育の教師であった父親らしい言い方だ。また、兄も陸上の選手であり、「柔道しようか?」などと言っては聡を投げて遊んでいた。聡はこの兄に逆らうすべは知らなかった。近所でも学校でも聡の「おじみそ」ぶりは有名であった。彼が武道を始めようとした理由もこのあたりにあった。
また、古武道部の一年では田崎が他の者に抜きん出て強かった。時々聡と組み手をやり、のばしてしまうことがあった。しかし、聡にとってこれは当然面白くない。そこで聡は空手を習い始めた。剛柔流であった。何度も殴られたり蹴られたりしたが、聡は耐えた。何せ、蹴られて倒れた所を何度も蹴ってくるような乱暴な空手だったので、ただ耐えているという状態だったのだ。しかし彼は徐々に強くなっていった。殴って蹴って強くなるのではなく、殴られ蹴られて強くなる、すなわち受動態でも強くなるということがわかってきた。
そうこうしているうちに、一年生から退部者が出た。福岡出身の八幡という男だ。彼は反憲学連などというサークルに入って、古武道部を退部することになったのだ。反憲学連とは文字通り「憲法に反対する学生の連合」である。右翼である。古武道などと言うとみんな「右翼」かと思われるかも知れないが、古武道部員はみんなノンポリであった。勿論、兼部という選択もあったのだが、彼が電柱にビラを貼っていて警察に捕まり、留置所へ一日入れられたことが災いした。部から犯罪者を出したとなれば由々しきことである。下手をすれば大学から廃部のお達しが来ることもある。そこで彼は退部という選択をしたのだ。 彼が退部する前に古武道部内で順繰りに書いている日誌にこんなことを書いていた。
「今の日本国憲法はアメリカが『日本弱くなれ、日本弱くなれ』と言う意図で書かれたものだ。我々はその意図を粉砕し、かつての大日本帝国国憲法を復活する。天皇陛下万歳!」
それを見た四年生の先輩は大笑いしながら言った。
「おい、こいつ天皇陛下万歳なんて書いてあるぞ。大丈夫か?」
彼が退部する日、古武道部では恒例になっている「お別れ組み手」なるものが催された。「お別れ組み手」とは部員全員と休憩なしで、辞める部員が一人五分間の組み手をやるというものである。部員は三十名ほどいる。一五〇分間ノンストップで組み手をやるのだ。最初、八幡は軽々とやっていた。最初は四年生だから手加減してくれる。しかし、三年生の途中から様子が変わってきた。八幡がふらつき始めたのだ。そして二年生の途中で彼は戻しそうになり、無理矢理道着の襟を掴まれて立たされた。息も絶え絶えである。いよいよ聡の順番が回ってきた。聡は八幡があまりにも気の毒に思い、手加減していたら、三年生の罵声が飛んだ。「手を抜くな!本気でやれ!」そして全員が終わると彼はどうと倒れ込んだ。そして、それを見ていた島浦が聡に耳打ちした。 「おい、こんなの見せられると辞められないなあ」
「ああ」
彼が辞めて暫く経ってから恒例の夏合宿が行われることになった。この夏合宿というのは二年生の先輩に言わせれば「これだけはどこの武道系の部にも負けてない」というほど過酷なものらしい。これが近づいてくると聡は恐怖と不安にさいなまれ寝られない日が続いた。何か、この頃から現在のパニック障害の素地があったのかも知れない。 聡の大学では夏休みに入る前に前期試験がある。その間は部活動もしない。そして体がなまった夏休みになってから合宿があるのだ。聡は自主トレをしなければならなかった。そうしないと合宿で倒れる奴もいるというから尋常ではない。しかし、勧誘の時に声をかけてくれた二年生の先輩が「一緒に自主トレをしよう」と言ってくれたので、毎日朝六時に起床して下鴨神社で合宿がやってくるまで自主トレを続けることができた。 前期試験も終わり、夏合宿の日がやってきた。場所は長野県であり、思っていたより冷涼な気候だったので、電車が着いた時には少しの安堵を覚えた。
「明日五時起きやからよー寝ておけよ」と主将が言った。そして翌日から合宿が始まった。
先ず五時に起床してから体操をやり、それから六尺棒を持ったままで走った。距離はわからなかったが、数キロはあったと思う。そして広場に到着すると棒術の素振りを千回するか、突き蹴りを千回するかだ。一年生の大半はこれで参ってしまった。そして朝食を取ってから一寝入りして十時から丘の上にある道場まで走り、ここで基礎トレーニングと技の練習を十二時まで行う。そして昼は二時から六時までトレーニング中心のメニューをこなす。これが一週間続くのだ。 この夏合宿で一年生の大半が倒れてしまった。先ずは英文科の佐藤が倒れた。彼はあまりの練習のしんどさからトマト以外何も口にすることができずに五日目には倒れてしまった。そして六日目には北海道出身の竹田が腹筋が吊ってしまって倒れた。そんな中で倒れなかったのは聡と田崎だけだった。---と言っても、聡は先輩と組み討ちをやってる時に十字固めで肘を脱臼して一日見学ができたので難に遭わなかっただけである。実際には高校時代に陸上の選手であった田崎が最後まで倒れなかった。
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