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バラエティー番組はテレビで見るから面白い。制作の裏側は闇だ。
特に芸人が体張って笑いを取るコーナー。あれ全部、事前にADがやらされる。本当に笑いが取れるか、時間はどのくらいかかるか、怪我はしないか。
準備段階でADが怪我をしたところで闇に葬られる。事故なんてあってはならないから、なかったことになる。
いつか福澤さんも、小指の骨を折る大怪我をしたと言っていた。危うく小指のない男になるところだと笑っていた。当人が呑気にしていても、とてもじゃないが笑えない。
労働基準法ってなに? 働き方改革? なにそれ、美味しいの?
「いまのテレビはなァ、生きるか死ぬかの瀬戸際なんだよ。スマホやネット配信に負けないコンテンツ、作んなきゃなんないんだよ。おまえみたいに、お気楽な女の道楽じゃねえんだって」
どやされ、どつかれ、何度も辞めてやると思った現場がようやく終わった。よく言えばマイナーチェンジ、悪く言えば打ち切り。一応、深夜に後継番組が続くので、打ち上げがお通夜のような空気にならなかったのは、救いと言えるのか言えないのか。
演者や制作スタッフが入り乱れた打ち上げは、とっくに無礼講で、抜け出したい気持ちをこらえて、笑顔で酌をしてまわる。いっそ、夜のお仕事のほうがいいなと思う。月給を拘束時間で割ると、時給五百円みたいな仕事、割に合わないにもほどがある。
「次はさ、もっと深夜のメリットを活かしたのがやりたいだよね」
泡だらけにならないように気をつけながら、鬼チーフのグラスにビールを注ぐ。適当に相槌を打つしかない。
「やっぱさ、深夜帯だったら、お色気欲しいじゃん? 一人でムラムラしてる、寂しい男がテレビにかぶりつきになるようなの、作りたいわ」
話が嫌な方向に転がりそうだったので、さりげなく席を立とうとするが、湿った手で足首をつかまれていた。しかたなく、その場で中腰になると、思いっきり酒臭い息を吐きかけられる。思わず息を止めると、酔っぱらいの据わった目で睨みつけられた。
「すかした顔してんじゃねえぞ、夏目。おまえなんて、若いだけでチヤホヤされてるクズなんだから。クズはクズらしく、もっと愛想よくしろよ」
「すみません」
酔っぱらいの説教は長い。社会人としての心構えがなっていないと言われ、向上心がないと言われ、とにかく否定されまくった。
チーフに言われていると、本当に自分が駄目な人間に思えてくる。最初は反発した。なにくそ、見返してやると誓った。けれど、人間そんなに強くない。次第に叱責にも馴れ、自分がいけないような気がしてくる。
なにしてるんだろう。
なにしたかったんだろう。
人間サンドバック? あたしでよければ、どうぞ叱ってください。それで、あなたの気が済むなら。腹を見せて仰向けになる猫の気分。
ようやく、チーフが別の男と話しだした頃には、頭が朦朧としていた。
フラフラと部屋を抜け出す。カバンとコートを手にしていた自分が、意外と冷静なことがおかしくて鼻先で笑う。なんだかんだで飲まされて、あたしも酔ってるみたい。
店を出ると、火照った頬に冷たい夜風が気持ちいい。
ネオンに彩られた通りはとてもきれいで、スキップしたくなる。変なの。なんにも楽しくなんてないのに。
駅まで歩けばすぐだけど、なんとなく向かう気になれない。人の流れにさからって、なだらかな坂を昇って公園へ向かう。
人通りはどんどん少なくなる。車のクラクションがうるさい。雲が真っ黒で、月なんてどこにも見えない。足元がふらついて、縁石の小石を蹴飛ばしていた。カラカラ音を立てて坂道を登ったと思ったら、勢いよく落ちていく。
「待って、夏目ちゃん」
ゆっくり振り向くと、坂の下には息を切らせて走ってくる福澤さんがいた。
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