一目惚れは事件のはじまり

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凛は一人シャワーを浴びながら、ため息をついた。山辺の気持ちにはとっくに気が付いている。高3の時に知り合ってからずっと子犬のように懐いて何かと親切にしてくれる2つ下の彼が自分にどんな感情を抱いて、どういう関係を求めているのか。でも、凛は山辺とそういう関係になることを望んでいない。出来るなら今のまま、気を遣わずにいられる友人のままでいたい。 そんな願いを25歳の男盛りの青年に願ってしまうのは、酷なのだろうか。 私じゃなくても、異性には騒がれる容姿してるんだから、そっちに目を凝らせば見た目でやってくるのではない女性もいるはずだよ。 だから、私の事は諦めて。 いつもそういう気持ちで山辺に接しているとつい素っ気なくしてしまう。いっそはっきり断ってしまおうかとも思う。でも、彼に好きだと言われた訳ではない。告白されてもいないのに断るのはおかしいし、何よりある理由から凛は山辺との今の居心地良い関係が変わってしまうのが怖かった。それを話したら、きっと山辺も今まで恋した男たちのように、自分の前からいなくなっていってしまうのではないかと思っていた。 その理由とは、凛には2つ年下の25歳、ちょうど山辺と同じ年の妹、はなの事だ。はなはその名前のように可憐な色白の乙女で、中度の知的な障がいがあった。最低限のコミニュケーションはとれるが、一人で生活するには支援が必要で、20歳になるまで彼女は母親と凛と三人で実家で暮らしていたが、凛が社会人になったと同時に自宅近くのグループホームで暮らし始めた。そして、自宅で一人暮らししている母と一時帰宅中の妹が今晩、凛のアパートに泊まりに来る予定になっていて、さっき帰り着いた時も部屋には灯りがついていて、それは二人が来ていることを示していた。母は病院の事務をしている。そしてその日はグループホームで家に帰りたいとパニックを起こした妹の事を今後どうするかを話し合おうと母に言われていた日だった。 母が父と不仲の末、離婚したのは、凛が小1の時だ。母はそれ以来、酒に溺れ、昼は弁当工場、夜はスナックで仕事はしてはいたものの、凛と妹の面倒をろくに見ることもせず、年齢が上がるにつれ、帰宅することが遅くなるようになっていった。おそらく他に男を作っていたのだろう。妹の世話は実質凛が一人でやっていた。しかし、実年齢の子供と比べると知的な面で遅れている妹とは会話はかみ合わず、自分の友達と一緒に出掛けてもトラブルを起こす妹に、凛は次第に疲れていき、やがては妹と二人で放課後は家にひきこもるような生活をしていた。そんな生活が中学卒業まで続き、凛はそれを周囲に相談できず、度重なる心労からある日、妹と自宅のマンション屋上から飛び降りようとしていたところを母に止められた過去があった。 それを母は深く悔いた。それからは医療事務の資格を取り病院で勤務、凛が高校に入学するタイミングで、特別支援学校に通うはなにデイサービスの送迎支援を受けさせた。凛は朝、学校に行くはなを自宅近くに停車する送迎車まで送り、帰りは仕事を終えた母がはなを同じ場所で出迎える生活となった。 しかし、先日、母は職場の上司と再婚したいと言い出した。そうなった場合、近い将来、誰が妹を見るのか。それは、いずれにせよ姉である凛しかいなかった。凛は今晩の母との話し合いで、母が凛のサポートを自分に頼むのではないかと感じていた。凛は再婚に反対していた。その上司に母がはなの事を伝えていないと聞いたからだった。だから、話し合いたくなくて、家を出た。山辺には申し訳ないけれど、暫くここにいさせてもらおうと、スーツケースに荷物を詰め込んで、母が止めるのも聞かずに出てきてしまった。 凛は恋愛をしたいし、その先に相手と幸せな家庭を築きたいと、結婚を考えてしまう。でも、いざ結婚となると、その相手には妹の事を告げなければいけなかった。しかし妹の事を相手に告げると、相手は難色を示した。本人でなくてもその両親から良い顔をされることはなかった。そんなことが過去2回あり、凛は破局していた。だから、母にもその上司にちゃんと話してから、結婚を考えてと言ったが、母は首を縦には振らなかった。母もかつてはなの障がいの事で父と気持ちがすれ違っていき、その結果、離婚したからだった。 どんなに愛し合っていても、結婚をするとなると話が変わって来る自分の家庭環境。結婚は惚れたはれただけですることはできないものだと凛は身に染みていた。 でも、今回知り合えた瀬戸は酸いも甘いも経験しているであろう年齢の男で、自分の家庭環境を知っても動じない度量があるのではないか、と凛は今淡い期待を持っていた。傷つきたくない、でも、好きになってしまった気持ちを抑えられない。それは、凛だけではなく、誰でも同じであろう。凛もまたその例外でない、普通の女だった。
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