episode・5 それを崩す。

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「ええ、あの夜、いつもは浴びるようにお酒を飲まれていた社長が一滴もお酒を召し上がっていなかったんです」 「一滴も?」 「はい。いつもは浴びる程飲んで、飲めない瀬戸先生が車を運転して社長をご自宅にお送りしているご様子でしたのに、その日は社長の代わりに瀬戸先生が珍しく飲まれていたんです」 舘野浩二はその夜、一滴も飲まなかった。でも、瀬戸は確かバーで飲み明かした、と自分に言ったはずだ。シフォンケーキを食べながら。自分も飲まず、相手も飲んでいなかった状況で、普通飲み明かした、と言うだろうか。いや、まず、酒を飲まないのに、このバーに来るというもの腑に落ちない。 待てよ。その日、瀬戸は「ロバの耳」を出た裏口で社長と落ち合い、社長の車でバーに来たはずだ。でも、社長が普段通り飲むことを知っていたら、普通は自分が飲んでしまったら自宅に送ってあげることは出来なくなるから<飲まない>はずではないのか。なのに、なぜその日に限って飲酒したんだ? 飲酒していたとしたら、当然、運転は危険で、他に共犯者がいたとしても涼也君がさらわれた鶴見高原の現場まではいけない。電車という手段は真夜中だ、考えられない。2時間で現場まで行けたとしたら、車しかなかったはずだ。 犯人は飲酒していた瀬戸ではない? 「瀬戸先生は本当に飲んでいたのかな?」 山辺が問いを口にすると、タカは頷いた。 「はい、顔が真っ赤でお酒のお代わりを持っていた私は注文を取ったのですが、確かに口元からは飲まれていたウイスキーの薫りがしました」 「飲んでたなら、車を運転することはできないよね」 聡子が言う。 「他に運転できる人物がいる」 「…舘野社長!」 聡子が言い、山辺は頷いた。 飲んでいなかった舘野なら、自分の車だ、運転することは可能だ。 「まさか…」 山辺の中で千穂の証言が頭に浮かんだ。 「交差点で千穂ちゃんが見た時、涼也君は青い袋を持っていて交差点を渡ろうとしていた。その後、彼は舘野社長と出くわし、彼は家まで送ると言ったのかもしれない。そして涼也君を車に乗せた後、その足でロバの耳に瀬戸を迎えに行ったとしたら…」 その時、扉が開き、別の店員が顔を出した。 「おい、何やってる?」 「ああ、すみません。仕事に戻りますっ」 タカは聡子にまた連絡入れるね、と言うと、店内へ戻って行った。 聡子はそれを笑顔で見送った後、兄に言った。 「瀬戸の共犯者が舘野社長だとしたら、涼也君がその車に乗せられていたとしてもおかしくはないね」 「ああ」 万引きをして店を飛び出してきた涼也に偶然会ったふりをして家に送るといい車に乗せ、その後、ロバの耳の裏で瀬戸を待つ。車に乗せられている涼也を見たという目撃者がいないのは、おそらくトランクなどに閉じ込めていたのだろう。それから二人はこのバーに来店、瀬戸は酒を飲み、舘野は車を運転するために飲まず、舘野が瀬戸のふりをして午前一時に店を出て、鶴見高原に向かったんだ。そして、おそらく見つからないようにトランクに押し込めていた涼也君を絞殺しようとした」 「でも、動機は?甥っ子でしょう?」 「…今日、ある人物から聞いたんだ。彼の父親の賢二医師は女関係が乱れていて、社長の奥さんと不倫関係にもあったって」 「え?何それ、実のお兄さんの奥さんに手、出してたってこと?」 「ああ」 「ありえないし、うざ!」 「言葉使い」 「…いけませんわね、それは」 「とにかく、舘野浩二は実の弟に妻を寝取られ、それを恨んでいて、瀬戸も同じように賢二医師を恨んでいた。そんな二人が公私ともに仲の良いビジネスパートナーだとしたら…」 「共犯関係になってもおかしくないね!」 「ああ」 二人は狭い路地裏から外に出て、山辺の車に乗り込んだ。山辺は福祉施設と病院で今日一日、見聞きしたことを聡子に話した。 「自分の診断ミスを隠したの?ありえないし、うざ!」 「…言葉」 「ごめん」 「でも、もし、瀬戸と社長が共犯だったとしても、先輩を拉致する理由ってなんだろうか」 「先輩が邪魔になったから?」 「先輩は少なくとも瀬戸さんを犯人だと思ってはいなかった。俺と違って、男として、恋愛対象として考えていたはずだから」 「…うん、そうだね」 「つまり、社長にも先輩を拉致する理由もないということになる」 「そっか」 「すると、拉致する必要があったのは、田中麻美しかいないということになる」 「なるほど。やっぱり彼女、元カレが凛姉といるところを見て、逆上して拉致て、酷い目に遭わせようとしたんだよ。それで止めようとした瀬戸に逆に邪魔に思われて、崖から突き落とされた。うん、もう、これしかないっしょ!」 聡子は兄にド派手なネイルをした人差し指を突き付けた。 「でも、瀬戸はその夜、一人で自宅にいたんだ。それを証明する人間はいない。瀬戸は一人暮らしだ」 アリバイを証明する人間がいないということは、瀬戸が田中麻美にその日、接触したという証拠が無いということだ。 「どうするの、兄貴」 山辺は眉間に皺を刻み、目を閉じた。 「先輩がいなくなった夜の瀬戸の足取りをもう一度洗うか」 「うん」 「今日はありがとうな。それと、仕事をさぼる男とは付き合うな」 「…そっち?付き合ってはいないよ、ただ情報をもらうためにちょっかいだしただけ。もう会うことも無いし」 「そっか、ならいい」 山辺はあまり心配させるなよ、と車を発進させた。
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