一目惚れは事件のはじまり

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一目惚れは事件のはじまり

自分の書いた脚本を尊敬している脚本家である瀬戸が読んでくれている。 気が付けば感動のあまり、凛は泣いていた。嬉し涙っていいなあなんて、ぼうっと正面でコーヒーを飲みながら、パソコンのマウスをスクロールしている瀬戸の色白のほっそりとした指先に見とれながら、凛はうっとりとそれを見つめている。瀬戸は41歳、世間では女性の心の機微を熟知している恋愛ドラマの旗手と言われて人気も実力もあり、注目されている。物腰柔らかに佇む紳士的な風情と佇まいはそのいかにもモテそうで、俳優としてそのままドラマに出演しても何ら差し障りないだろうと思われるような存在感を放っている。 さっきから瀬戸の真向かいに座り、うっとりとしている凛が面白くないが、なかなか二人のテーブルに行くにいけない山辺はさっきから同じコーヒーカップをもう何十回も磨いている。さっきまであんなに手のひらの火傷を心配してくれていたのに、薬箱を取って来たと思ったら、知らない優男をテーブルに座らせて、何やら愉しげに会話をしている。面白くないわけがない。と、二人を睨んでいたら、凛がこっちを向いて手を挙げた。 いそいそと行くと、凛がナポリタン二つ、という。なんだ、注文か。 「いえ、私は大丈夫ですよ、コーヒーだけで」 優男が凛に言うが、凛は首を横に振る。 「ここのナポリタン、すっごく美味しいんです。夜食にぴったり」 「こちらの女将さんなんですか?」 「え?」 「いえ、エプロンしていらっしゃるのでそうかと思いました」 「いえ。知り合いの店なので、居心地が良くて通ってます」 知り合いって、僕、初対面の貴方より先輩の事、詳しいですけど…と不満になりながらも山辺は冷静を装いつつ注文を取る。 「先輩の方は大盛りメガマックスでいいですか?痛ッ!」 山辺の言葉に反応した凛がテーブル下で山辺の足を思いっきり踏んだのだ。凛は立ち上がると、瀬戸ににっこりと微笑んだ。 「脚本を見ていただいたお礼にごちそうしますね」 凛は、そう言うと山辺を厨房まで引っ張り、厨房の壁で山辺を壁ドンする。 「あのさぁ」 凄みのある凛の顔面が山辺を震えあがらせる。 「…は、はい、何でしょう」 「瀬戸さんの前で大盛りメガマックスとか言わないでよ」 「だっていつもメガマックス頼むじゃないですか…痛ッ!なんでまた足踏むんですかっ」 泣きそうな山辺の襟首を掴む凛。 「君は!君は昔っから恋というものが何かをなーんにもわかってない!!」 凛、その場にバッと顔を伏せて、蹲って嗚咽する。 「せ、先輩?え、ちょっと待って…泣いてる?えっと…泣かないでくださいよぉ~」 山辺、オロオロする。 「人が人を好きになる気持ちのこと、全然わかってない!彼はね、いっぱい食べる女子は好きじゃない派の人よ」 「それ、どこ情報ですか・・・?」 「安部君、情報」 「安部って、誰?」 「誰って、安部力雄よ。瀬戸さんの傑作ドラマの主人公じゃない。瀬戸さん、自分に近い人物像だって前に話してたから、きっと間違いないの」 「はあ…」 「まさか、観てない?観てない!信じられない!!人じゃないわ、この人…」 凛はぶつぶつ何やら罵詈雑言めいたワードを呟きながら山辺をまた壁に追い詰める。 「昔っから思ってたけど、顔だけ良くてもねダメなのよ。君はお伽話ばっかり読んで、世間一般常識を知らなすぎる。だから、いまだに彼女候補はわんさか寄ってくるのに、結局フラれる羽目になってるんじゃない」 山辺はお伽話…というか、児童書のファンタジー、有名なところでシンデレラとか人魚姫とかを始めとする児童文学が昔から好きで、今でも店の休憩中に棚から引っ張り出しては読んでいるのだ。 「ひ、酷い…。先輩だって、昔から周り見ないで好きになって勝手に突っ走って失敗して、結局フラれてるじゃないですか」 凛、ぶわりと涙目になって、山辺の頬をひっぱたく。 「い、痛い。一番、痛いし、今の」 「今度こそ運命の恋なの!だから、ぜーったいに邪魔だけはしないでよ、ね!」 そう言ったかと思うと、凛はつけていたエプロンを山辺の首にかけると、フライパンをコンロに置いた。 「後片付けは手伝うから、今日は閉店、延ばしてよね」 凛は置いてあったおしぼりを山辺の頬に充てると、ちょっと力入り過ぎた、ごめんと気まずそうに呟くと、それを山辺に握らせてから瀬戸の元へ嬉々として行ってしまった。 「…ここは先輩専門の婚活カフェじゃないって、何度言ったらわかるんだろ、あの人」 山辺はため息を吐くと、もう知らんし!と苛つきながら、ナポリタンを作る為にフライパンに火を入れたのだった。
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