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「タロ、最近家来ないじゃん」
自分用にあてがわれたノートパソコンの電源を入れ、グラスが汗をかかぬ間に、麦茶を一気に飲み干した。
「先々週に行っただろ」
「先々週は最近じゃねえよ」
「俺にとっては、5年前でも最近のカテゴリに入るけど」
「タロ、それおっさんの証拠だよ。父ちゃんと同じこと言ってる」
「いいんだよ。事実、おっさんなんだから」
タロは背中を向けたまま、デスクトップパソコンの大きなモニターを見ている。
自分のパソコンがなかなか立ち上がらず、持て余した三月は、タロの背後に回り込んだ。
「今週は来る?」
「うーん、この仕事が今週いっぱいヤマだからなあ。どうだろ」
「来なきゃ、そろそろ父ちゃんが拗ねるよ。あいつ友達少ねーんだから」
タロは、画面の中の毒々しい色合いをしたアイスクリームを画面の中央や右上に動かしながら、微かに笑った。
笑ったときの目尻に寄る皺は、逆に彼自身を幼く見せていた。
「竣、拗ねるんだ」
タロは、父のことを名前で呼ぶ。
「拗ねるよ。タロ来ないと超不機嫌だもん。背中丸めてさ、ひとりでビール飲んでるとこ見ると、かわいそうになってくるよ」
父にとっては親友、三月にとっては小さなときから一週間の半分くらいを一緒に過ごしている他人――――
タロをひと言で表すとそうなる。
母が癌で他界したのは、三月がまだ10歳になったばかりの、桜の咲く頃だった。
悪いことは重なるもので、同時期に祖父が倒れ、一ノ瀬家は親戚中が一気に騒々しくなった。
さらに母方の祖父母は長崎に住んでいたため頼ることができず、結果として父は、慣れない家事をこなしながら、幼い三月をたったひとりで育てなければならなかった。
そのときなにかと父を助けたのが親友のタロで、以来、家族同然のような付き合いをしてきた。
三月にとってタロは、家族とも友達とも違う、簡単にカテゴライズできない存在だった。
他人と呼ぶのは後ろめたいが、それ以外に当てはめようがないのも事実である。
「謙太郎は見た目も気持ちも若いから、年の離れた兄ちゃんみたいだろ」
父は事あるごとにそう言ったが、そんな風に感じたことは一度もない。
しいて言えばタロは、三月と父の間をふわふわと浮遊する、不思議な生き物。
奇妙な依存性のある、強烈ななにかを放っているナニカ――――
タロに会わない時間が長くなると気持ちがざわつくのは、父も同じはずである。
特に、三月が高校生になってからは、親子ふたりきりでいるとなんとなく気詰まりで、リビングで会話をする時間もめっきり減った。
そのせいか、互いのタロへの欲求は、より一層色濃いものになった。
もはやタロは、一ノ瀬家の潤滑剤でもあった。
「じゃあ、竣に言っておいて。近いうち、飲みに行けそうなときに連絡するって」
タロは足をブラブラさせながら、間延びした声を出した。
中途半端に突っ掛けたスリッパがかかとで揺れている。
「俺には会いにきてくれないのかよ」
「みっきには、こうして会ってるだろ」
三月は言いながら、目の前の柔らかそうな黒髪に視点を移した。
寝癖なのか後頭部が少しはねている。
「タロさあ、父ちゃんといて楽しいの?」
「楽しいっていうか。まあ、うん。楽しいよ」
「一緒にいて、大笑いしたことってある?」
「うーん、覚えてない。一回くらいあったかもしれないけど」
タロと父の付き合いは、タロが17歳、父が22歳のころからだという。
アルバイト先のコンビニで出会い、一定期間働くことで打ち解けたらしい。
色々堅苦しく口うるさい父と、マイペースでどこか飄々としているタロが、どういう経緯で意気投合したのだろう。
ギャグひとつうまく言えないようなあの男では、人様を愉快にさせることは不可能な気がする。
いくら笑い上戸なタロが相手でも、だ。
「一回かよ! 俺といるとタロ、しょっちゅう笑ってるのにね」
「みっきが、バカなことばっか言うからだよ」
それでも、父の親友なのだ。
どんなに自分が笑わせても、会う回数が自分のほうが多くても――――
タロは変わらず画面を見つめている。
前屈みになると、うなじにある小さなほくろがよく見えた。
幼いころに抱っこされたとき、よく顔を埋めていた、三月のかつてのお気に入りの場所。
今度、父と飲みに行くといっているが、家には寄ってくれるだろうか。
ぼんやりと思いながら、タロの細い指先に視線を落とした。
画面上にあるのは、虹色に蛍光塗料をぶち込んだような、トリッキーなアイスクリームの画像。
それをどこに配置するか、悩んでいるらしい。
マウスがいたずらに動き、キーボードに置かれた指先は、キーの輪郭をなぞるように滑る。
まるで愛撫のようなその手つきに、一瞬、不埒な妄想が三月の頭を駆け抜けた。
「このアイスうまそうじゃね?」
振り切るように指先から視線をそらし、画面いっぱいに表示された写真に移す。
「さすが現代っ子だね。こんな色の、俺は食べられない」
そんなの俺も同じだ、と内心思った。
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