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ふと目を覚ましたとき、時計の針は夜中の3時を示していた。 ひと呼吸おくと、雨の粒が窓にあたる音が聞こえてくる。 ああ、雨だからか。 夜に降る雨は、たまにこうして三月を深いまどろみの中から現実へと引き寄せる。 母が死んでから5年以上経つ今、顔や声はほとんど忘れかけているのに、あのとき落ちてきた黒い影は、ふとした瞬間に三月の体を支配して、暗澹とした世界へ引きずり下ろそうとする。 葬式は4月の、雨の日だったことは覚えている。 傘にぶつかる雨滴の音、火葬場の前で傘もささずにうなだれている父。 母は細い煙となって、雨粒をすり抜けるように、ゆらゆらと空に昇っていった。 当時はあの煙の正体もわからなかった。 ただ、それを見上げながら声を出して泣いている父を見て、あの煙はなにか大事なものを持ち去ってしまったのだと、漠然と悟った。 「父ちゃん、桜……。地面汚いね」 父の袖を引っぱり、足元を指さした。 火葬場の駐車場に植えられた桜の花が散って、敷石にびっしりと張り付いていた。 ピンク色は雨に打たれて茶色く淀み、木の上で揺れているときの鮮やかさは失われていた。 桜を見せたかったわけではない。 父の涙を止める方法が、空から視線をそらさせる以外に思い浮かばなかったのだ。 どうして今、こんな暗い記憶を引っ張りだしているのだろう。 あの時の病が、再発したのだろうか?  でも発病するのは決まって桜が咲く時期で、9月の今、なぜ―――― ああ、そうか。 こんな夢を見たのは、今日、タロに会えなかったせいだ。 冷たい空気が汗ばんだ背中を伝って、嫌な寒気を引き起こす。 そして、漠然と、しかし強烈な欲求がこみ上げてきた。 タロに会いたい、と。
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