油断、平和の象徴ハト、啄木

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油断、平和の象徴ハト、啄木

「安西、あなたさっきバッティングのコツを教えてくれなどと野球部に頼んでいたでしょう?」 「ああ、今度の球技大会で野球やることになったんだ」 「……ふぅ、安西、コツという言葉の語源は骨肉の骨、人体の基礎たる骨のことなのよ。すなわち、コツという言葉は元来、基本を意味する言葉なのよ」 「お~さすが初木、歩く参考図書。つまりキャリアの浅さをごまかしてくれるようなものはない。基本を重んじて練習を積むのが物事のコツだってことだな」 「ええ、素振りでもしてなさい」 「りょうか~い」  初木百花(ういきひゃっか)、高一。あまり表情が動かない、黒髪ロングの美少女。知識欲の塊で様々な知識本を読み、あらゆる知識を吸収することに無上の喜びを覚える。特に先人の奇行に関する逸話が大好物。いつも本ばかり読んでいるため安西しか友達がいない、変わった子。安西に蓄えた知識を披露すると、いつも関心を持って聞いてくれるのが嬉しい。  安西広二(あんざいこうじ)、良くも悪くも凡庸な少年。高一。初木のことが好きでいつも構っている。が、お調子者でつい悪ふざけに走ってしまうせいで距離が縮められない、抜けた男。  放課後、帰宅途上、今日も今日とて初木は安西にうんちくを垂れているのであった。 「ちなみに、今『ごまかし』と言っていたけれど、ごまかしという言葉は、昔のゴマ菓子から来てるのよ。小麦粉にゴマを混ぜて練った生地を焼くとふくらんで、見た目のわりに中がスカスカだった様から」 「なるほど。奥深いなぁ。日本語の語源」 「ちなみに、『ようかん』は元々羊肉の煮こごりのことだったのよ。だから漢字にすると「羊羹」と書くの」 「ちなみにで話が飛びすぎてない!? でもマジかよ。たまげたなぁ」 「けれど、昔のお坊さんはお肉を食べなかったから、代わりに小豆を使ってそれを作ったの。と、むしろそちらの方が定着してしまった、というわけね」 「なるほど! そういう成り立ちだったのかぁ」  こんな時間が二人にとってかけがえのない一時だったりする。 「やっちまった……」  昼休み後の掃除の時間、安西広二は、また悪ふざけをしてやらかしてしまった。  教室にて、ほうきをバット、黒板消しをボールにしてクラスメートと遊んでいたら、後ろの棚の上に置いてあった初木の提出前の美術課題、紙粘土細工に当てて、落として壊してしまったのだ。  クラスメートは即座にずらかったが、安西は友人としてそうはいかない。  しかし、これは怒られる。  安西は真っ青な顔で一計を案じた。 「面目次第もございません」  安西はハトの被り物をしながら土下座をして、初木に事の経緯を説明した。 「なるほど、つまり安西は掃除を怠けて遊んでいたせいで、私の作品を壊してしまった、と」  問いただす初木の顔はいつものようにクールだが、そこには確かな怒気が感じられた。 「はい、大変申し訳ございません。これよりは心を入れ替え、働きアリのように真面目一筋に生きたいと存じます」 「なるほど、働きアリ。安西、働きアリは実際のところきちんと働いているのは全体の二割。そして、そういったアリだけを集めても、またその内の八割は怠けて働かなくなるものなの。つまり、安西は全く反省などしていないということなのね」 「ええーっ!? イメージと違うーっ!」  まさかの働きアリの実体に意表を突かれ驚く安西。 「ですが、い、いえ、けっしてそのような意味では! ええとその、すいません油断しました。やわらかい黒板消しならなにか壊れたりはしないだろうと」 「黒板消しは背中側が硬いじゃない。それに、油断ですって? 油断という言葉は、昔のインドの暴君が、家臣に口まで油でいっぱいの壺を運ばせて少しでもこぼしたら死刑だと命じて刀を突き付けたことが由来なのよ。元来、命がけで細心の注意を払うという意味なの。口にした以上、それなりの不注意の代償を支払ってもらうわよ」 「え―――っ!?」  怒った初木と話すと、どの言葉が地雷になるかわからない。 「ところで安西、あなたはなぜそんなハトの被り物をかぶっているの?」 「いえ、その、ハトは平和の象徴なので、これ被って土下座したら許してくれないかな、と」 「そう。ハトが平和のシンボルとされることになったのは、旧約聖書の一説、人類の堕落に怒った神が大洪水を起こして人類を滅亡させたが、人の良いノア一家だけは方舟に乗せて助けた。その後ノアがハトに洪水が引いたことを教えてもらい地上に降り立ったエピソードが由来なのよ」 「え? 平和って人類壊滅のことなの?」 「まして堕落したあなたに方舟は来ない」 「え―――っ!?」  逆効果だった。  激おこの初木の命により、その日からしばらく、一人で初木の分の掃除も務めることになってしまった安西。やってもやっても終わらないが、さぼると初木にホウキで撲殺されるのでやめるわけにはいかない。 「働けど働けど、なお我が生活楽にならざり。ぢっと手を見る」 「その短歌で有名な石川啄木は、実際はまぁまぁの給料をもらっていて、当時かなり高価だった卵で頭を洗い、『なぜそんなことを、食べたらいいのに』と聞かれると『こうすると頭が良くなるのだ』と不可解な答えを返していたらしいわ。そんな歌を口にしたところで、誰も憐れんでなんてくれないわよ」 「ええ~……」  怒れる初木は厳しかった。
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