02沈黙する狂気

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02沈黙する狂気

 3LDKマンションの一室に詰め込まれた段ボール箱を、ひとつずつ丁寧に開封する。なかなか目当てのものが見つからず、一息ついたところで悠真は小説アプリを立ち上げた。  不定期に『私を見つけて抱きしめて』は更新を続けていた。作品を本棚に登録することで、新しい話が追加されるとアプリに通知が来る仕組みだ。そのせいか、まだかまだかと知らせを待つようになっていた。 (ああ、懐かしいなこの感じ)  子供のころ、トレーディングカードの発売日を待ち遠しく思ったのに少しだけ似ている。欲しいカードが出るとは限らず、やきもきさせられる感じも。  ストーリーは、大きな展開があるわけでもなく相変わらず平坦だ。  女性側から語られていく、同居する男女の日常である。ただし、女性にはなにか隠し事があるようだ。  この先どうなるんだ?  二人の結末は……?  などと、むしろ読者である悠真が勝手に妄想を膨らませていた。  ただの読者より、もっと近いかもしれない。まるで物語の進行に参加しているようだった。 (すっかりはまってるな) ==========  君は改札口で待っていた。やっぱり迎えにきてくれた。  君はやさしい。  傘は一本だけ。私の傘がなかったからだ。 ==========  悠真はその日の更新内容に既視感を覚えた。 (確か、傘を探していたんだ)  予報は晴れだったのに、夕方から突然天気が崩れだす。遅くなるというメールをもらっていた悠真は遥を駅まで迎えに行った。二人の生活がはじまり一ヶ月が過ぎたころ。遥が失踪する少し前のことだ。 (新居に傘は一本しかなかった)  三年間の交際期間のほとんどが、仕事終わりのメールと月に一度のデートに終始していたなんて。大人なのに中学生なみの「おつきあい」かもしれない。そうは言っても、お互い仕事に夢中だったし、どうにもならないほど忙しかった。  遥は会えないからと弱音を吐くタイプではなかった。悠真は会えなくても遥という恋人がいるだけで満足だった。もしかすると、少しだけ二人は世間からズレていたのかもしれない。 (もっと恋人らしいことをすればよかった)  悠真は、harukaが遥であると信じはじめていたのかもしれない。虚構の世界はますますリアルに感じられるようになっていた。 ==========  出会ってすぐ、好きになると予感した。 ==========   目にした一文は、悠真の気持ちそのままだった。  はじまりはスローペースだったけど、ベッドの洞窟に入り外界から隠れて眠るようになれば、二人にはすぐさま愛が育ってしまった。  たぶん、恋は、説明しようがないし、愛は、疑いようがない。  もし二人に「好き」だとか「愛している」といったロマンチックな言葉がたっぷりとあれば違っていたのだろうか。  自分の陳腐な言葉は無駄でしかない。そんなもの照れくさくてとても言えない。一緒にいると心地いい、それだけでじゅうぶん。  現実は小説のように甘くはない。どちらかといえば生活の延長で、ときどきは相手のことをめんどうだと思うことも――なくはない。  疲れていたとき、「後にして」と遥の話をさえぎったこともあったかもしれない。悠真は記憶をたどる。 「小説の台詞にこういうのがあって」 「ごめん、もう寝たい」  あのとき、遥はなにを言いたかったのだろう。
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