01過去からのシグナル

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 汐町中学校の職業講演会で壇上に立つのは、生徒の保護者である綾瀬学のはずだった。当時悠真が勤めていた綾瀬設計事務所の代表だ。 「久我、明日中学校に行ってくれ。俺のピンチヒッターだ」  大事な打ち合わせが入った綾瀬の代わりに講演をすることになり、冷や汗をかいたのを昨日のことのように思い出す。悠真は慌てて散髪に行き、クローゼットの奥からそれらしいスーツを引っ張り出した。当日ガチガチだったのは言うまでもない。 「生徒たちも若い建築士さんのお話のほうが身近に感じられると思います」  遥は、綾瀬の一人娘が通う学校の教師だった。  職業柄か年上だからか、初対面の悠真に対しても、緊張をほぐすよう励ましてくれるだけの余裕が、遥にはあった。 「ときどき笑顔を挟んでください。そのほうがお互いリラックスできるから」  綺麗な人だな、それが悠真の遥に対する第一印象だ。容姿だけを指しているのではない。背筋がぴんと伸びてひとつひとつの動作が美しい、そう思った。  もしも、『透き通った』とか『澄み渡った』という言葉を具現化したら、遥になるのではないか。そんなことばかりを考えて、悠真はまったく身の入らないプレゼンをしてしまうのだ。数人の生徒があくびをしていたところで、自分のせいだと申し訳なく思う。 (小山遥先生、か)  講演を終えると、悠真は一目散に遥の元へ駆け寄った。 「プレゼンで使った資料、良かったらメールで送ります」  恋に落ちた、程度ではない。真っ逆さまに落ちた、くらいじゃないと。  このチャンスを逃せば次はない。悠真は必死だった。  あっという間に遥とつきあうまでのエスキスをまとめてしまった(計画をたてた)悠真は、素早く二人の未来を図面に描く(行動に移す)。  平静を装っていたが、内心ドキドキしていた。メールアドレスを手に入れたとき、実は飛び上がりそうなほど嬉しかった。  あとは、どさくさにまぎれて美術館や博物館のデートに誘ってみる。悠真にすれば大勝負だ。ところが意外にも遥はすんなりと誘いを受けてくれた。   そのように、ごく自然に二人の交際はスタートした。一度はじまってしまえば悠真はすっかり余裕で、これがはじめての恋だなんてあえて言う必要もないだろうと思った。  たぶん遥も同じ気持ちだったに違いない。悠真が毎日遥を思っていたように、遥も毎日思い出してくれていたはずだ。悠真がどんどん遥を好きになっていったように、遥も悠真のことを――、しかし。  遥はいなくなった。ただその事実だけが悠真に残された。  ふいに手元のスマホからデジタル音。手紙のアイコンに数字の『1』が灯る。アプリを立ち上げると、見知らぬアドレスから『私を見つけて』という件名のメールが届いていた。悠真は胸騒ぎを覚える。
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