月夜のブラッディ・マリー

3/5
前へ
/5ページ
次へ
「それにしても茉莉さん……結構お強いですね」 「そう?」 「えぇ。私が作るギムレットは結構強いので、大概皆さん吐いてしまうか、寝てしまわれるんですけどね」 「あぁ……私…彼と別れてから最近…眠れないから。睡眠薬も…利かなくて……」 「そうでしたか」  そう言いつつも、マスターが四杯目のギムレットを用意する頃にはさすがに彼女も、カウンターテーブルへ突っ伏して静かな寝息をたてていた。マスターは物音をたてないようにカウンターから出ると、彼女の背後へ回ってショートカットの下から覗く白い首筋に顔を近づける。 「やっと寝ましたか」  ふうっと生温い息を吹きかけて、ギラリと鋭く光る長い犬歯を、ゆっくりとその首筋へ突き立てる。一センチ…二センチと、犬歯が肉へ吸い込まれると、茉莉の手がピクリと動いた。 「茉莉さん……貴女もしかして、意識がありますね?」 「……」  彼女は動かない。 「やっぱり貴女、私の正体を知っていて……この店へ来ましたか?」  すると彼女は、ゆっくりと瞼を開いて「はい」と答えた。マスターは上体を起こすと、胸ポケットから白いハンカチを取り出して、先程まで犬歯を突き立てていた彼女の首筋をそっと抑える。じわりじわりと、ハンカチに赤いシミが広がった。 「それは、噂を確かめる為?」 「半分は」 「もう半分は?」 「……」  言い出し難いのか、何かと葛藤するように暫く彼女は押し黙っていた。マスターは彼女の隣に腰掛け、「何時間かかっても、貴女の話をじっくり聞くつもりですよ」という態度を見せると、茉莉はポツリと「人を……殺してしまったんです」と口にした。  その後、ポツリポツリと続いた彼女の話を要約するとこうだ。彼氏と別れた直後、不眠とまではいかなかったが寝つきが悪くなり、彼女は睡眠不足に陥った。そんな状態で仕事をしていた彼女は、ぼうっとした頭とかすむ目で、ドクターの書いた薬の単位を見間違えてしまった。予定の十倍の薬量を投与してしまった患者は、副作用で真夜中に急変し、あっけなく亡くなったのだという。 「最近眠れなかったのは、彼と別れたのが直接の原因じゃなくて、私が人を殺したからなの」 「それが何故ここへ来る理由に?」 「あってはならない医療ミスだった。勿論ドクターにも先輩にも、そして遺族にも責められた。それに私自身、そんな致命的なミスをする自分は看護師をやっはいけないと。そう思ったら急に、自分がこの世に不必要な気がして……。そんな時にあの噂を思い出したの」 「吸血鬼が血を吸っているかもしれないという話かい?」 「雑談の中で二人の患者さんがこのお店の話をしていたから、私はその噂が本当じゃないかって思ってた。私がこの世で不必要な人間なら、せめて最期は貴方に必要とされるのもいいかなって」  そこまで聞くとマスターは、ポリポリと後頭部を掻いて深い溜息をついた。そして首筋を抑えていたハンカチを外すと、彼女の首筋からはもう、彼の歯形が綺麗に消えていた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加