愛を知らない

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愛を知らない

 郵便ポストをチェックすることが日課である。 毎日、仕事から帰ると、マンションの一階に設置されている郵便ポスト、“703”をチェックする。 大抵は、飲食店や何かのサービスの必要のないチラシが入っている。 しかし、そのチラシの下に、私が待ちわびている“あの手紙”が隠れてはいないかと、毎回必ずチェックをする。 少しの緊張と高揚を伴いながら。 しかし、私のその期待は、毎回裏切られる。 自分の意志ではどうにもならないことに一喜一憂するのは、人間の性である。 毎日、それを繰り返している私は、ある意味、とても人間らしいのかもしれない。  三年前、なんの前触れもなく突然一通の手紙が届いた。 それは、ある人の死を伝える手紙だった。 その手紙には、その人が病死したこと、そして私にはその人が残したわずかな遺産を受け取る権利があることが書かれていた。 遺産相続の手続きをしてほしい、所定の弁護士宛てに、いついつまでに書面に必要事項を記入して返送してほしい。 そんな事務的な手紙だった。 私はその手紙にとても驚いた。 しかし、その事実を冷静に受け止め、事務手続きを進めた。  私は二十六歳の平凡なOLである。 町の中心地に位置するビルの十階にあるオフィスで、大学卒業以来働いている。 仕事には特にやりがいは感じていないが、決して悪くはない額の給料の為、そして仕事を辞めてしまうような理由が特にないため働いている。 結婚もしている。 まだ新婚三カ月。 夫はとてもいい人である。 結婚をして、まさに“平凡な幸せ”というものを初めて手に入れた。 子供時代はずっと、物質的な面でも、愛情的な面でも、恵まれているとは言えない環境で育った。 それは自分ではどうしようもない運命だから仕方ないのだが。 幼い頃はそのことに葛藤もした。 今は、そんな時代もあったのだと受け入れられているが。 夫と結婚した今、私は物質的にも愛情的な面でも不自由はしていない。 そして、幼いころから家庭の事情で、“男の愛”を知らずに育った私にとっては、夫は私に“愛”を気付かせた存在である。 “父性”とでも呼ぶのだろうか。 もし私たちの間に子供が出来たら、夫はその子供を無限の愛で包むだろう。 そんな想像がたやすく出来る、“愛”を持ち合わせた人である。 そんな人と私は今、幸せに暮らしている。 昨夜、私はリビングのソファーで寝てしまったようで、目覚めると、私の体を温めるブランケットが優しくかけてあった。 ささやかな愛を感じる瞬間である。  三年前、死の知らせの手紙が届いてから、私はそのことに関して一度も泣いてはいなかった。 その人の“死”について、特に悲しいとも、むなしいとも感じなかった。 他人にとっては、そのことは無慈悲だと感じるのかもしれない。 もしくは、驚かれるかもしれない。 自分の血縁者が亡くなっているのに。 しかし、涙が出ないというのは、正直な私の感情だった。 私の中には、その人に頼ろうだとか、その人をあてにしようだとか、そういう部分がまるでなかった。 精神的にその人から完全に独立していた。 完全に。 その為、その人の死は、私にとって、無意味だった。 この世にいても、いなくても、私にはなにも関係のない、出会ったことのない誰かの死と同じだった。 だから私は一度も泣かなかった。 愛を知るまでは。  ——— 山川雪美様  突然のお手紙、失礼いたします。 山川孝弘さんの娘の彩と申します。  お元気ですか。 体調を崩されてはいませんか。 こちら、北海道は随分と寒い日が続いています。 そちら、大阪はいかがでしょうか。  父が亡くなってから三年も経ってしまいましたね。 お礼が随分と遅くなってしまいましたが、父の遺産はあのお手紙を頂いた際、無事に頂戴しています。  私は今、二十六歳になり、会社員をしています。 三カ月前に結婚もし、幸せに暮らしています。 結婚式を先月無事に終えていますので、写真を同封します。  父と離れたのは私がまだ五歳の時だったので、記憶はあまりありません。 しかし、最近は、父への思いが募る日々を送っています。 なぜ、こんなにも早くに亡くなってしまったのか。 一目会ってみたかったとつくづく感じています。  雪美さんに置かれましても、息子を亡くされたということで、大変、辛い日々を過ごされてきたとお察しします。  もし、可能でしたら、雪美さんとお会いすることは出来ないでしょうか。 こちらが大阪に伺わせていただきます。 父にはもう会うことが出来ませんが、自分の父親がどんな人物であったのか、その痕跡を少しでも知りたいという思いです。 どうぞ、ご検討ください。                                                              柳瀬彩 ———  私は“愛”を知ってしまった。 そして同時に、三年前そのかけがえのない“愛”がひとつ消えたのだと知った。 一度も求めなかった、“愛”。 もう、二度と触れることのできない、その“愛”。 私は号泣しながら手紙を書いた。 便箋が涙で濡れてしまい、何度か新しい便箋に書き直した。 なぜ、もっと早くに気づけなかったのだろうか。なぜ、生きている間に・・・。  涙はいくらでもあふれ出た。毎晩、声に出して泣いた。  私は今日も郵便ポストをチェックする。 二十年以上会っていない祖母からの手紙を待ちながら。 いや、私が本当に待っているのは、その人からの手紙ではない。 父からの手紙。 違う、私が待ち望んでいるのは、父からの“愛”である。  私に愛の存在を教えた主は、今日もリビングで寝てしまった私にそっとブランケットをかけた。  
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